昨日"予告"しましたが、仕事納めの28日、パレスサイドビル西側正面玄関の受付カウンターに鏡餅をお供えしました。
せっかくですから、鏡餅の由来をおさらいしてみました。元々お米は日本の農業でも特別な存在で、新嘗祭に代表されるように、収穫感謝の儀式などは古くからおこなわれていたと思われますが、日本鏡餅組合ホームページの国立歴史民族博物館・新谷尚紀教授の解説(http://www.kagamimochi.jp/saguru/page2-3.html)によると、紫式部の『源氏物語』に、宮中の正月行事で、「餅鏡(鏡餅)さへ取りよせて......祝い事どもして」という記述があるそうで、平安時代から、かなり定着していたようです。また、Wikipediaでは「現在のような形で供えられるようになったのは、家に床の間が作られるようになった室町時代以降」と書かれています。お正月は死者や先祖の霊が訪れるとの信仰や、漠然とした新しい年の良運を神様が持ってくるといった思いなどが、いつしか鏡餅の伝統に収斂していったのでしょう。新谷教授によると、丸い形は人の魂(心臓)を模したものといわれ、昔の鏡が円形だったことから「鏡餅」と呼ばれるようになったそうです。
鏡開きは土地により違う場合がありますが、松の内(1月7日まで)が明けた後の1月11日に行うのが一般的。鏡餅には神様の霊力が宿っているのですから、新しい生命力をいただくため、食べてこその鏡餅というわけです。
日本鏡餅組合は、「上下一体パック鏡餅」を製造するメーカー1972年に設立した組織で、「鏡餅」の普及、特に、「伝統的なスタイルを継承しながら現代の生活様式にマッチした新しい形の鏡餅をお届けする」のが目的とか。今回パレスサイドビルに設置したものも、2段重ねの上下を一体のパックにし、中には小分けにした切り餅が入っていて、「鏡開き」後も美味しい餅をそのまま頂ける"今風"です。考えてみれば、お正月をはじめ特別な時しかなかったお餅が1年中、いつでも食べられる時代です。子供の頃、つきたてののし餅がお米屋さんから届くと、柔らかくてすぐには切らず、1~2日して適度に固くなりかけたところで一生懸命切った日を思い出します。布巾を当てても包丁の背を押す左手が痛くなるまで頑張ったのも、ご褒美に切れ端を正月より一足早く食べたい一心でした。鏡開きで、固くひび割れた餅のカビを一生懸命ナイフや包丁で削り取り、水につけて柔らかくしてお汁粉などで食べたことが懐かしく思い出されます。来年、我が家はお餅をちゃんと重ねた鏡餅にしようかと思います。
パレスサイドビルは12月30日(日)~1月3日(木)は通常の休日と同様に、東西の玄関、地下鉄改札口からのエスカレーターの入り口は閉鎖させていただきます(29日以降の個別のお店の営業は、それぞれご確認ください)。
それでは、よいお年をお迎えください。