【2014年6月】のアーカイブ

 竹橋近く、皇居(江戸城)の平川濠の石垣にへばりつくようにして、石の隙間に芽吹いた植物を取り除く作業風景を、先日紹介しました。いつもは何気に眺めて通るだけに石垣ですが、久しぶりにジッと見たので、その美しさに改めて感心し、石垣について調べてみましたら、、時代や場所、その他によりかなりバリエーションがあるんですネ。戦国時代には築城名人とされる武将がいたとか、江戸の太平の世になると防御の実質より見かけ重視になるとか、なかなかに奥深いんようです。

 ということで、その報告。まず、基礎知識として、分類から。

 石の形、加工の仕方、つまり、そのまま積むか、加工して積むか、また、加工の程度は、という点での分類です。これは、加工技術の進歩の順番で、①野面積み(のづらづみ)、②打込接ぎ(うちこみはぎ)、③切込接ぎ(きりこみはぎ)の3種類。ちなみに、「接ぎ」は「つなぎ合わせる」という意味です。

 野面積みは自然石をそのまま積み上げる手法で、城の石垣としては比較的初期の時代(戦国~安土桃山時代)のものが多いようです。平らな部分が表になるように意識して積んだものもみられますが、基本的に石の大きさや形はバラバラ。隙間や出っ張りもたくさんあり、隙間に小石を詰めて強度を高めています。一見、適当に積み上げられ不安定に見える野面積みですが、何百年も崩れないものも多いです。石積みは、裏側にある土砂や、雨が浸透した場合の水圧に耐えなければなりませんが、隙間だらけの野面積みは水を自然に排出するので、意外に頑丈ってわけです。

 打込接ぎは、石の角や面をたたき、なるべく平たくし、石と石の接合面の隙間を減らして積み上げます。関ヶ原の戦い(1600年)の後、西軍大名の領地が召し上げられ、東軍の武将に褒美として配分され、築城ラッシュが起こったのですが、ちょうどこの頃が打込接ぎのピークだそうです。この石の加工・積み上げは"ハイテク"というわけではなく、飛鳥時代以降、技術は十分に培われ、例えば世界最古の木造建築である法隆寺五重塔や金堂でも正確に加工された石材が使われています。それが、関ヶ原後に広がったのは、効率上の要請。その辺の石を大小組み合わせて積み上げる野面積みは、限られたエリアであれば手軽で短期間に完成できますが、大量の石材を必要とする場合は、自然石を拾い集めるより、岩山から石材を切り出し、部材ごとに予め決めておいた大きさに加工する方が、現場作業を単純化して効率をアップできる道理。まさに築城ラッシュが故の大量生産向きというわけです。

 最後に、切込接ぎは徹底的に石を加工して隙間なく積み上げる手法です。ブロック塀のように同サイズではありませんが、それなりに大きさも揃えます。わざわざ排水口が設けられているのが特徴。1615年の大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡し、日本国中で徳川幕府に逆らうものはいなくなり、一国一城令で各大名の居城以外の城は取り壊され、武家諸法度で城の改修も自由にできなくなると、防御としての城の存在意義はガタ落ち。権威の象徴の趣が強まるとともに、石垣も見せるための芸術性を求められるようになり、切込接ぎの時代になったのです。ただ、大規模な築城が行われなくなって石を積む機会が減少したため、元禄・宝永期(1700年頃)をピークに石垣を積む技術は退化しはじめたといいます。

 積み方による分類もあり○石垣6分類.jpgます。「布積み」は石と石の継ぎ目が横に一直線になるように(目地を通すように)積み上げる方法で、綺麗ですが強度にやや問題あり。これに対して「乱積み」は目地にこだわらず不規則に積み上げる方法で、こちらの方が難しい「職人技」です。

 これら、加工の3分類と、積み方の2分類を組み合わせて、2×3の6通りで、概ね石垣を分類できます=写真㊨はあるホームページの分類表。

 ほかに「石垣の外観による分類」という言い方もします。「算木積み」は、石垣の角を、細長い石を長短交互に整然と積み上げ、強度を高める積み方です。谷積みは布積みを45度傾け斜めに組む手法で、現代でも道路工事などで使われています。石材を六角形に加工して積み上げる切込接ぎの一種「亀甲積み」もあります。

 一番上の写真は金沢城の石川門の石垣ですが、左右で積み方が異なるのがわかりますネ。左が打込接ぎ、右が切込接ぎで、傍らの説明プレートによると、「明和2(1765)年の改修時のものと考えられている」とありますが、なぜこうなったかは書いてありません。左側は昔のままで、右側だけ綺麗に組み直したのか○DSC_2656石垣2囲み.jpgな、などといろいろ想像しちゃいます。

 江戸城にはいろいろな石垣が見られるので、改めて紹介しますが、写真㊧の平川濠のように、濠のところの石垣は概ね打込接ぎのようです。そして、丸囲いの部分は典型的な「算木積み」。角はこうしないと弱いんでしょう。

消防審査②.JPG消防審査③.JPG

麹町消防署の自衛消防訓練審査会が24日、北の丸公園第3駐車場で開かれました。「雨天決行」で関係者は空模様を気にかけていましたが、幸いなことに審査会時間中は降られずにすみました。3人1チームで、パレスサイドビルの「毎日ビルディング自衛消防隊」からも1チームが審査に参加、他のメンバーも声援に回りました。

今年は女子隊7チームを含む36事業所の46隊。急に陽が照り始めたり、今にも泣き出しそうな雨雲だったり、不安定な天候でしたが、熱心に午前中いっぱいの審査に臨みました。今年6月20日現在の麹町消防署管内の火災件数は21件。昨年1年間で39件の火災発生でしたから、残念ながら昨年と同じペースです。なかなか火災は減りません。出火原因で一番多いのは麹町消防署管内では39件のうちの16件が電気火災、二番目に多いのはタバコ8件となっています。

自衛消防訓練審査会は、大規模事業所の自衛消防隊の技術向上を目指し、毎年、消防署ごとに実施されています。審査は、≪地震によりけが人が出て、火災も発生≫という想定で、けが人の救護から消火まで、一連の作業をいかに迅速に、的確に行うかが審査されます。各チームの3人が、かかとをスタートラインに合わせて整列。係員の「訓練開始」の合図で指揮者が動き始めます。位置につくと、係員の「地震だ。身の安全を図れ」の合図で机の下に潜ると同時にヘルメットと手袋を着用します。このときのヘルメットと手袋がしっかりと着装できているかなどから、厳しく採点されます。慌ててただ身に着けただけでは大きく減点です。それからは消火器による初期消火。ホースを延ばして屋内消火栓による放水、これはもちろん実際に操法が大きな採点のウエートを占めそうです。負傷者の救護も審査されますから、自衛消防隊としての総合力テストです。

「毎日ビルディング自衛消防隊」は、最高レベルの自衛消防隊チームの一つとして日ごろの訓練の成果を披露しました=写真。4年前に準優勝、3年前には優勝した"強豪"ですが、今回は力を出し切れませんでした。

パレスサイドビルではテナントの皆さんも含めて、正月の出初め式、春と秋の消防総合訓練などを実施。また協力会社と独自に震災対応訓練を繰り返しています。

 代官町から竹橋へ、皇居(江戸城)のお濠沿いに紀伊国坂をぷらぷら下って行くと、石垣に何やら怪しげな人影が・・・。賊か? 忍者か??

 ちょうど、北桔橋門(きたはねばしもん)を過ぎて、平川濠にさしかかったところです。もう少しロングの写真㊦㊧を見ていただくと、石垣にへばりつくように4人DSC_2579○.jpg(丸囲い)いて、左下のボートにもう1人。

 どうやらお手入れの真っ最中のようです。石垣の石と石の隙間に種がついて、芽吹いたのを、せっせと取り除いているんでしょう。今月の初めごろにとりましたが、本日確認したところ、綺麗になっていました=写真㊦㊨

 皇居の敷地の広さは115万436.87平方メートル、建物は延べ10万7852.26平方メートルあるそうで、石垣だって内外に沢山ありますから、手入DSC_2650○.jpgれもさぞ大変でしょう。お金も、ずいぶんかかるのでは・・・と思って、予算をちょいと調べてみると――

 宮内庁のホームページによると、宮内庁関係予算は、大別すると皇室費と宮内庁費からなり、宮内庁の運営のために必要な人件費・事務費などの宮内庁費は2014年度106億8997万円。皇室費は計61億4984万円で、大きく3つに分けられます(皇室経済法第3条)。

 まず内廷費。これは天皇・内廷にある皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるもので、法律により定額が定められていて、2014年度は3億2400万円。内廷費として支出されたものは御手元金となり、宮内庁の経理する公金ではありません(皇室経済法第4条、皇室経済法施行法第7条)。

 次に、皇族費は、皇族としての品位保持の資に充てるためのもので、常陸宮はじめ各宮家の皇族に対し年額により支出されます。皇族費の定額は法律により定められ、2014年度の総額は2億6281万円です。皇族費として支出されたものも、宮内庁の経理する公金ではありません(皇室経済法第6条,皇室経済法施行法第8条)。

 一番大きいのが宮廷費の55億6303万円で、儀式、国賓・公賓などの接遇、行幸啓、外国訪問など皇室の公的活動に必要な経費、皇室用財産の管理に必要な経費、皇居などの施設の整備に必要な経費など、宮内庁の経理する公金(皇室経済法第5条)。皇居の石垣の手入れの費用も、この宮廷費で賄われているわけです。

 それにしても、石垣を眺めていると、本当に美しくって頑丈だって、つくづく思います。いろんな種類もあるようで、その辺りは、調べてまた報告します。

 パレスサイドビルの夏の風物詩としてお馴染みの七夕飾りが今年も今週から、ビル地下1階中央廊下の吹き抜けにお目見えしています。7月7日まで。

 ビルの飲食店・商店の有志で作るパレスサイドビル名店会(会長・中島●DSC_2639a.jpg潜赤坂飯店社長)が、季節を感じ、日本の庶民の伝統行事を楽しんでもらおうと7年前から始めた「七夕祭り」です。5月の鯉のぼり、12月のクリスマスツリーとともに、恒例行事としてすっかり定着していますネ。

 例年の通り、中央廊下の吹き抜け部分の天井から15本の大きなぼんぼりが垂れさがり、その下、真中の常設の花壇を笹で囲み、地下1階の天井の高さに、昨年初登場で好評だった青色LEDの「天の川」が今年も飾られ、目を引いています。花壇を挟んで東西2カ所にはパイプで組んだ小さなゲージが設けられ、小さい笹やオーナメントが彩りを添え●DSC_2638.jpg●DSC_2630.jpg●DSC_2629.jpg●DSC_2622.jpg●DSC_2628.jpgています=写真㊨㊤。ゲージ脇には机が置かれ、皆さんの願い事を短冊に書いていただけます。本日(19日)で4日目ですが、毎日、少しずつ増えています。

 いくつか見てみると、まず「健康で毎日元気にすごせますように」「γGTPが下がりますように」など健康祈願、「卒業までに内定が取れますように」という就活生の切実な願い、宝くじ当選のお願いなどが、やはり多いですね。その中で、「平和」「子どもや孫が戦争にまきこまれない国が続くように!」といったのが結構目立つのはアベさんのおかげ?

 個人的には「カープの優勝が見たい!」が「いいね!」です。赤い短冊に黒い●DSC_2639.jpg字で力強く書かれていました。

 皆さんの想いがかなうよう、短冊は七夕が終わった後、神田明神に奉納されることになっています。ゆめゆめ、粗略に扱うようなことはありませんから、ご安心ください。

 期間中に名店会の各店でご飲食・●DSC_2637.jpgお買い物をされた人はスクラッチカードがもらえます。「当たり」の方は7月3日(木)、4日(金)、7日(月)の各12~14時、18~20時に行われる抽選会に参加できます。賞品は、特賞=旅行券(10万円、1本)、1等=掃除ロボット(2本)、2等=タブレット型端末(3本)、3等=デパート商品券(1万円、7本)をはじめ、名店会各店で使えるお食事券など、計888本、総額100万円という豪華版ですから、お楽しみに。

花菖蒲②.JPG花菖蒲③.JPG花菖蒲④.JPG花菖蒲⑤.JPG

 梅雨入りをしたとたんに雨の日が続きました。先日の土曜、日曜は久々に晴れ間も見えましたが、まだまだ雨は続きそうです。今年はしかも雨量が多く、先週後半は梅雨前線上に発生する低気圧の影響で、関東甲信地方では雷を伴った激しい雨が降りました。今年の梅雨明けは7月20日過ぎと予想されています。昨年は今年よりも3日遅い梅雨入りでしたが、7月6日には早々に梅雨明けして、いきなりの猛暑になりましたが、今年は昨年より15日も遅い梅雨明け予想です。

 この季節の皇居東御苑の花菖蒲は毎年見事な花を咲かせますが、今を盛りと咲きそろいました。パレスサイドビルからほど近い平川門の辺り、二の丸庭園内の菖蒲田の中にところ狭しと並んでいます。ご存知のとおり平川門は東京メトロ東西線・竹橋駅が非常に近くて便利ですし、本丸跡を通れば、北の丸公園方面へも出られ、菖蒲だけではなくいろいろな花や散策が楽しめる名所です。菖蒲田には大手門からの入り方も、平川門とは似たような距離です。

 この菖蒲田には、84種のハナショウブが植えられています。菖蒲は株ごとにきちんとまとめられて、名称の書かれた木札がつけられています。皇居東御苑造成中の1966(昭和41)年に明治神宮御苑の菖蒲田から株を譲り受けて以来、大切に育てられています。1992(平成4)年には明治神宮の菖蒲園で病気が蔓延した時、この東御苑の二の丸庭園の菖蒲田から逆に株分けされたこともありました。

 さて、ハナショウブの謂れです。端午の節句の行事には花の咲かない「アヤメ(菖蒲)」を飾るという習慣ができ、そして、6月になって花が咲く「アヤメ(菖蒲)」を、「花アヤメ(花菖蒲)」と呼ぶようになります。そして、この花アヤメ(花菖蒲)は品種改良が進み人気が出て武士たちに好まれ、「菖蒲(あやめ)」の文字を縁起を担ぎ「勝負」にかけて「ショウブ」と呼ぶようになり「ハナショウブ」の言葉になっていったという説があります。

 また、アヤメは、「菖蒲」「文目」「綾目」「漢女」といった字を使います。それぞれの当て字に由縁がありますが、東御苑の二の丸庭園の菖蒲田の菖蒲には、「大紫」「小町娘」「御所遊」「江戸自慢」「獅子怒」「玉鉾」「酒大盃中花」「深窓の佳人」といった名前がついています。

 いまや日本中を席巻するゆるキャラの横綱といえば、西のくまモン(熊本県の公式キャラ)、東のふなっしー(千葉県船橋市非公認キャラ)でしょう。

 偽物の登場は、"有名税"といえなくもありません。くまモンの偽物騒ぎが春先にちょっと紙面をにぎわしました。主なところでは、「海外で『偽くまモン』続々、どう防ぐ」(西日本新聞3月25日、http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140325-00010000-qbiz-bus_all)、「くまモングッズ、世界へ 熊本県が今月解禁 悩みは偽物対策」(産経6月1日、http://sankei.jp.msn.com/region/news/140601/kmt14060102080001-n1.htm)などで、今年になって、熊本県が、これまで原則禁止してきたくまモンの海外進出(商品販売)を認めることになったのがきっかけで、中国など海外での偽物騒ぎを報じたもの。

 一方、ふなっしーは、国内で最近、頻繁に偽物の登場が伝えられています。6月1日に兵庫県高砂市であった市制60年を記念した「ご当地博」で、全国のゆるキャラが集った会場に偽ふなっしーが出現。毎日新聞6月2日夕刊は次のように伝えています。

 「兵庫県警高砂署によると、着ぐるみの中にいたのは同県加古川市の20代男性で『自分の子どもを喜ばせるために着た』と話している。黄色地の顔に水色のシャツ姿は本物にそっくりだったという。高砂市によると・・・ふなっふな偽物 名古屋.jpgしーにも参加要請していたが、日程が合わず見送られていた。ところが正午ごろ、ステージ上のアイドルが偽物を発見。気付いた子どもたちが追い掛けるなど会場がざわつきだしたため、偽物が慌てて外に駆けだし、駐車場に出たところで事情を聴かれた」(一番上の写真は同記事より)

 Jタウンネットは「全国に『偽ふなっしー』出没中!同時刻に4か所で目撃されていた」との記事をアップ(http://j-town.net/tokyo/sanpo/sanpocolumn/139680.html高砂市の偽物の多くのTwitter画像を集め、「現地にいた人が投稿した画像を見る限り、目と口がやや大きくて手の先が平べったい印象があるものの、雰囲気はよく似ている。周囲の人が本物と勘違いしたのか、それとも最初から偽物と見破っていたのかは不明だが、もみくちゃふな偽物 福岡.jpgにされるうちに形は崩れていったようだ」とコメント。このほか、「高砂市の騒動が起こった1日の昼というタイミングだけでも、全国各地に偽ふなっしーが出没していた」として、名古屋・栄のコスプレイベントに登場した頭の形が変わっている偽物=写真㊧㊤、福岡市中央区にある大濠公園でボートを漕いでいる姿=写真㊧㊥、長野県諏訪市と推定される自動車用品店での呼び込み係姿=写真㊧㊦=を、Twitterなどを転載する形で紹介している。

 6月9日、広島県呉市二河球場で行われた広島カープとオリックス・ブルーウェーブの1戦に、呉をもじった「くれっしー」と名札をつけたふなっしーモドキが登場。ふな偽物 長野.jpg報じたデイリースポーツによると、「七回に三塁側席でカープ応援歌に合わせてダンスを披露。多くの観客に囲まれ危険を察知したのか、自ら着ぐるみを脱いだ。球団側は『もう一度やったらふな偽物 呉2.jpg警察を呼ぶ』と厳重注意。その後『くれっしー』はもう現れなかった」とのこと。これも、Twitterで拡散しています=写真㊨。カープ連敗中の事だけに、熱烈なファンとしては「偽物が出たから試合に負けた」と恨み節の一つも出るところです。

 おまけに、もう一つ、「ふなっしーの作り方」解説動画はYoutubeにアップされている話です。【ふなっしー作ってみた&なってみた】(http://www.youtube.com/watch?v=j9l2yGZYGcY=写真㊧㊤=は、東大のふな偽物 東大.jpg安田講堂前とおぼしき場所で、踊っています。着ぐるみの中に、どのような態勢で入って動いているかの考察=写真㊧㊦=などマニアックで、Youtubeの類似動画に比べ、結構本格的のようです。「大学のサークルで卒業記念写真を撮るのにあわせて作った」とのテロップが流れています。

 ちなみに、ふなっしーは商標登録出願されているそうです。学園祭の仮装行列などふな偽物 東大2.jpgではいろんなキャラクターが登場するし、秋葉原もありますから、個人による「コスプレ」の範疇なら問題ないでしょうが、一線を踏み外しませんように。

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 先週6月6日に、「千代田区一斉清掃の日」に参加しました。前日前夜は、梅雨入りの雨でしたが、この朝はかろうじて雨の止み間が出ました。春(6月)と秋(11月)の年2回、「生活環境条例」に基づいて行われている一斉清掃に、パレスサイドビルでも年2回、午前8時から1時間ほど取り組んでいます。

 パレスサイドビル関係者、ビル内のテナント・オフィスなどから56人が参加しました。昨秋は110人ほどが集まりましたが、残念ながら今年は前日前夜の雨の影響で参加が少なかったようです。竹橋交差点側の西口玄関前をスタート地点にして、用意した軍手、金ばさみ、45㍑のゴミ袋、箒、チリトリなどを手にして早速取りかかりました。

 パレスサイドビルの外周りや高速都心環状線の下、内堀通り沿いの歩道・植え込みなど、それぞれのペースでおおよそ一周して吸い殻、紙くず、ビニール袋、木屑、缶などを集めました。回収したごみは45㍑の袋で16袋。総量で40㌔に少し欠けるほどでした。内訳は、可燃ごみ8袋、不燃ごみ2袋、ピン1袋、缶1袋、ペットボトル1袋、廃プラスチック3袋でした。

 写真をご覧になると分かるように、1カ所にどっさりとタバコの吸い殻が捨てられていました。場所は高速の下の植え込みです。ここで吸い続けていたのか、あとでまとめて捨てたのか、タバコのマナーはなかなか良くなりません。2020年の東京オリンピックまでに、都内をはじめとして喫煙場所の制限はさらに進むと思われます。先日のテレビニュースでは、フランスからの留学生の女性が「街がタバコ臭くてびっくり」と話していました。煙や匂いなど、喫煙者には場所も時間も制約の多い時代ですが、せめてマナーは大切にお願いします。

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 建築のディテール(細部、納まり)に焦点をあてた日本初の建築専門誌『ディテール』(株式会社彰国社)が産声をあげてから半世紀になりました。これを記念して、「原寸大|日本の建築ディテール 1964→2014」展が渋谷ヒカリエ(渋谷区渋谷2-21-1)8階 CUBE 1, 2, 3で、昨日6月4日から始まりました。この催しにパレスサイドビルディングの写真と建物と同一サイズの図面も展示されていると聞いて、さっそく覗いてきました。まだ初日でしたが、建築を学ぶ学生などで賑わっていました。

 8階でエレベーターを降りたすぐのコーナーが「原寸大」展の場所で、入り口をくぐると一番最初の展示物1番が私たちのパレスサイドビルディングでした。皇居側南面の壁面のアップの写真と、その図面。

 展示の説明文は「ガスケットの出回っている今日、ガラスを直接鉄骨に留めるのはいとも簡単なこと。また厚いガラスを強度いっぱいの大きさに使う限り、ガスケットは高価なものでないはずである。だが、大きなオフィスビルで、それを断行した建物はなかった。サッシュを節約した分が、アルミのルーバーに振り向けられていると見たのは当たっていた。縦樋が、ルーバーを留める方立として働かされているのも無駄がない。――ディテール11号」とある。専門誌「ディテール」が誕生して間もない1966年に、パレスサイドビルの竣工と同時に掲載していただいたようです。

 「ディテール」誌の創刊は1964 年、東京オリンピックの開幕前夜。今回の展覧会のテーマは、『建築全体をとらえながら201406detail-01.jpg201406detail-02 (2).jpg、物と物とがぶつかり合う納まりをどのように決めるか』。半世紀にわたり『ディテール』誌上で掲載されてきた膨大な建築作品の中から、日本を代表する近・現代のすぐれた建築ディテールを選りすぐり、原寸大(1/1)の巨大な図面と写真で紹介されています。パレスサイドビルのほかには、「プランタン戎橋店」「東京カテドラル聖マリア大聖堂」「白の家」「続 私の家」「住吉の長屋」「身延山久遠寺宝蔵」「SPIRAL」「葛西臨海公園展望広場レストハウス」「せんだいメディアアーク」の合計10作品。さすがに建築・土木図書専門出版の彰国社が見つめ続けてきた、この50年を振り返り、次の視点で新しい時代を見るというイベントですから、設計の現場で、あるいは建築雑誌で見なれたはずの図面が原寸大になることで立ち現れる、図面と実物のイメージが交差する不思議な感覚を会場で体感出来ました。

 会期は4日から6月16日まで。会期中無休で 時間は11:00~20:00(最終日は17:00まで) 。渋谷へ出掛けることがあれば、原寸大の展示の中から、ぜひともパレスサイドビルを探してみてください。

 「神は細部に宿る」というように、建築デザインの決め手はディテール設計にある。 建築全体をとらえながら、モノとモノがぶつかり合う納まりをどう決めるか。1964年の創刊以来、建築をディテールの視点から追い続けている本誌は、最新の建築レビューとともに、ディテールのポイントとプロセスをビジュアル豊かに紹介している、と同社の自信の50年がうかがえました。

竹橋のパレスサイドビルからも近い神田下水、さらに横浜の旧外国人居留地の下水を当ブログで3回にわたり紹介しました(201311月)。どちらが日本最古かということで、できたのは横浜が早いものの、治外法権の居留地ということで、「日本」では神田が一番、などと書きました。

でも、さらに調べると、ホントの日本初は神田でも横浜でもなく、神戸のようです。

神戸は1858(安政5)年の日米修好通商条約締結に伴い、長崎、横浜、新潟、函館とともに開港されることが決まり、外国人居留地が造成されることになりました。しかし、幕末の不安定な世情の中で、開港は1867(慶応3)年まで延び、居留地は現在のJRや阪急の三宮駅の南西、元町駅のすぐ南の辺りに決まり、翌1868年に最初の土地の競売が行われました。

「建設マネジメント技術」という雑誌(20085月号)によると、居留地の街づくりは英国人土木技師ジョン・ウィリアム・ハートの手により進められ、下水道には神戸付近で焼かれた国産レンガが使われ、直径約90センチの円形管と、口径約40×54センチの卵形管の2種類があり、南北道路に沿って6本、総延長約1880メートルが敷設されたそうです。現在でもその一部(約90メートル)が大丸百貨店東側と、居留地時代(186899年)の建築物で唯一現存する「旧居留地十五番館」=写真㊤=前などに残っていて、雨水幹線として使われているということです。その歴史的価値が認められ、2004(平成16)年に「旧神戸居留地煉瓦造下水道」として国の登録文化財になりました。

さて、問題はいつできたかですね。同誌は1883(明治5)年完成と書き、神戸市のホームページ(http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/history/kakawari.html)にも「明治5年頃、円形と卵形のレンガ造りの下水道が完成」とありますが、文化庁の「国指定文化財等データベース」の登録有形文化財(建造物)には、時期として「明治2418691871)」となっています。同誌は「近代下水道施設としては、横浜と並んでわが国で最も古いもの」と書いていますが、横浜は1871明治4)年に瓦製陶管による下水管完成、●神戸下水.jpg188187年に煉瓦卵形管約4キロ敷設ですし、神田下水が造られたのは188485年ですから、神戸が群を抜いて早いということになります。

 管は今も見ることができ、「旧居留地十五番館」の前、正面に向かって右側に回り込んだところがちょっと掘られて、道路の下にあるレンガ造りの管の様子がわかるようになってなっています。これは円形管のようで、すぐ脇に、卵形管のモニュメントも展示されています=写真㊧。近くへ行く機会があれば、寄ってみたいものです。

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