【2016年1月】のアーカイブ

 パレスサイドビルを出て江戸城(皇居)・平川門から東御苑へ行くと、そろそろいろいろな花が咲き始めています。

 今回は、その中から「ロウバイ」をご紹介します。

 場所は二の丸雑木林の一角、二の丸休憩所西側です。平川門から梅林坂下を抜けて中之門へ向かう途中▽P1270041トリ小.jpgの左側、白鳥濠の向かいの二の丸雑木林の端っこで、「皇居正門石橋旧飾電燈」が建っているところです=写真㊧

 黄色いのがソシンロウバイ=写真㊤、白っぽいのがロウバイ=写真㊨㊦=です。遠目ではそうでもないんですが、アップはちょっときついでしょうか。正月まで暖かくて一気に咲き、とくにロウバイの方は盛りを過ぎちゃったようです。

 ロウバイは漢字では蝋梅と書きます。クスノキ目・ロウバイ科・ロウバイ属に属する広葉の落葉低木の一つで、花の咲く時期は早生種で12月頃、晩生種では2月頃。半透明で鈍いツヤのある香り高い花がやや下を向いて咲きます。花の色は種によって濃淡の幅があり、かなり濃い黄色から、白っぽいものまでいろいろ、花びらの形も丸っこいものや細いものなど様々です。原産地は中国で、「臘梅(ラーメイ)」と呼ばれます。花びらが蝋細工のようだから、とか、臘月(ろうげつ=旧暦12月)に咲くから、その名になったと言われ、これを日本語読みしてこの名がつついたそうです。日本には江戸時代に入ってきたといい、「唐の国(中国)から来た」として▽P1270054トリ小.jpg唐梅(カラウメ)と呼ばれることも。「梅」の仲間では、もちろんありませんが、梅に似ているからそう呼ばれるといいます。似てるかな~?????????????????????????

 晩冬、つまり小寒(今年は1月6日)ごろから立春の前日(節分、今年は2月3日)ごろまでの間の季語とされています。確かに、この時期としては、結構目立つ花と言えそうです。

 ソシンロウバイはロウバイの園芸品種。ロウバイは内部の花弁が暗紫色ですが、ソシンロウバイは花全体が透き通るような黄一色で、花びらが丸っこくて香が強いのが特長。漢字で「素心蝋梅」と書きます。ネットでいろいろけんさくしたところ、「茎にスポンジ状の白い芯があることが『素心』の名前の由来」とか、「花弁(萼)、花芯まで同じ色の花を、中国ではソシン(素心)と呼ぶことに由来している」とか、「本来は複数色になる花色が単色になった品種のこと」といった説明がありました。どれが正解なんでしょうか。

 今朝も寒かった~ぁ。風がないのがせめてもの救い。とはいえ、歩いていると耳が冷たくなって、手袋した手で耳を覆って駅にたどり着きました。

 先週の雪も、都心ではほぼ完全に姿を消しましたが、気温は今週、一段と下がり、都心の最低気温は25日に今冬一番の氷点下2.6度まで下がったのに続き、26日も午前5時19分に、前日に次ぐ氷点下1.3度を記録しました。平年より2度低いということです。

 朝、皇居のお濠はどうなってるかと思って、大手町から歩いてみました。

 ありました、ありました。氷。東京消防庁の角から内堀通りに出ましたが、気象庁前の信号を渡ると、目の前の大手濠はほぼ一面の氷です。8割方、凍っていたでしょうか。大手門方面にレンズを向けたのが写真㊧㊦。7時25分ごろ、和気清麻呂像のところまで来てパレスサイドビルを眺めると、写真㊤のような姿で、左側中ほどに水〇DSC_7264小.jpg面がみえるほかは、バーっと全体的に凍って、寒々とした感じでした。

 この寒さ、「北極振動」と偏西風の蛇行が重なったためとのこと。北極圏の寒気が集まったり放出されたりする「北極振動」という現象が近年、知られるようになりました。気圧が関係しているようですが、様々な要因が重なって起きるため、予測は難しいとか。いずれにせよ、寒気が吹き出しに転じると、南下して日本列島まで下りてくる、っていうことだそうです。これと、偏西風の蛇行が重なって、気温がありえないくらいの地域まで低くなったのが 沖縄の雪や長崎、鹿児島の積雪というわけです。本当に、びっくりポンの天気でした。

 そう言えば、今冬はエルニーニョ現象のため暖冬と言われ、実際、正月までは暖かかったのですが、これを上回る寒気が流れ込んだようで、基本的にエルニーニョ=暖冬の傾向は変わらないという見立てが、気象のプロの皆さんの間では多いようです。

 この寒さは、ひとまず26日まで。午後からは南の風に変わり、気温も9度くらいまで上がるという予報。27、28日はさらに気温が上がりそうとのことで、まずは、ヤレヤレです。(´-`;)

 本日1月21日は二十四節気の中で最も寒い日とされる「大寒」です。東京はスカッとした晴天とはいえないまでも、それなりに日差しがありましたが、結構、冷え込みました。都心では午前7時10分に最低気温1.0度を記録しました。といっても、平年を0.2度上回り、氷点下0.7度だった前日より1.7度高かったことになります。

 お正月までは穏やかな日が続いた東京地方も、1月12日以降、1度を下回る日が増え、13日に氷点下0.9度と今冬最低を記録。雪が降った18日の最低気温は0.2度と"水面上"にとどまりましたが、再び寒気に見舞われた20日に氷点下0.7度まで下がったので、21日は、少しましでした。吹雪などでお困りの北国の皆さんには申し訳ないような気分です。

 昼休みに屋上に上がってみると、日は出ているものの、時々薄日になることもあって、ちょっと寒々した感じ。暖かい日には多くの人がのんびり過ごすベンチも、空席がデ~ンと広がっていました=写真㊤。11時45分からの開放で、最初の40分ほどで東側エレベーターから屋上に出た人は約60人で、普段の半分ちょいくら160121大寒小.jpgとのこと。風も、地上ではそれほどでもないようでしたが、屋上では時折強めの冷たい風がピュ~と吹き抜け、毎日神社の鳥居の紙垂(しで)も、時折煽られていました=写真㊨

 毎日新聞のニュースサイトで検索すると、この日早朝に行われた山口県防府市の春日神社の「大寒みそぎ」を伝える記事。九州・山口地方の毎日新聞夕刊に掲載されたもので、男性は褌(ふんどし)、女性は白装束姿という7~80歳の101人が午前6時半、気温0度の中、水温10度の水槽に胸までつかって心身を清め、1年の無病息災を祈る姿を紹介していました=写真㊦

 また、1月19日の毎日新聞茨城県版に掲載された鹿島神宮(鹿嶋市宮中)の「大寒禊(みそぎ)」の記事160121大寒 春日神社.jpgもありました。大寒を前に17日朝行われた伝統行事で、春日神社と同様に、境内奥の池に体を沈めて心身のけがれを払う姿を伝えています。

 毎日新聞ニュースサイトで、故郷の大寒のニュースを探してご覧になってはいかがですか。

2016

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大雪のち雨

 本日は東日本や北日本を中心に各地で大雪が降り、東京都心でも今季初めて積雪を観測、首都圏では、鉄道各社が列車の本数を減らすなどでかなり混乱しました。出社に手間取ったみなさん、本当にお疲れさまでした。

 気象庁によりますと、同日午前11時までの24時間降雪量は、東京都心では6センチを記録しました。朝、パレスサイドビルに出勤して平川門方面を眺めると、皇居全体が雪景色=写真㊤の㊤。内堀通りをちょっとパノラマ撮影もしてみました=写真末尾。でも、雪も明け方には雨に変わり始めたようで、昼ごろ○DSC_7191トリ.jpgにはせっかく積もった雪もかなり解け、平川門が黒く見えていました=写真㊤の㊦。子どもたちはがっかりでしょうね。

 この12:38の写真、赤丸の人影は走っている人です=写真㊨。ちょっとびっくりポンでした。

 関東のその他では、山梨県富士河口湖町40センチ、埼玉県秩父市34センチなど関東甲信や東北南部の山沿いを中心に20~40センチ前後を観測。横浜市は5センチでしたが、千葉方面はほとんど積もらなかったようですね。

 大変だったのは出勤でした。大雪による架線切断や倒木などの影響で、鉄道各線は運休が相次ぎましたが、特に通勤各線では、運行トラブルにより駅間で列車が長時間停止して混乱が拡大することを防ぐため、列車の本数を減らし、止まってもなるべく駅で止まるようにしたとか。運行本数を半分程度にする線が続出し、激しい混雑になりました。特に通常の3割に落ち込んだ京王本線や脚の長い東京メトロ東西線は特に大変だったようで、駅への入場規制のためホームに入れない利用客が改札に長い列を作り、一部は駅の外にまであふれ、バスに乗り換えて別の線に向かえばバスが渋滞で進まない・・・といった具合で、「2時間待ってあきらめて帰宅した」など、悲鳴混じりの話がSNSで飛び交っていました。

 この雪、気象庁によると、関東甲信地方はほぼ全域が、上空1500メートル付近で「降雪の目安」とされる氷点下3度の寒気に覆われたところに、低気圧が寒気の縁に沿うように進み、海上から多くの湿った空気が供給されたためとのこと。関東に大雪をもたらす典型的な形なのだそうです。

DSC_7197小.jpg

 パレスサイドビルを出て、しばらく江戸城(皇居)の田安門界隈をウロウロします。

 千代田区観光協会のホームページによると、田安門の辺りは、古くは「田安口」または「飯田口」ともいい、上州方面への道が通じていました。門名の由来については、古くは門内が百姓地(田畑)であり、そこに「田安大明神」があったからということです。

 さて、ここで問題です。この「田安大明神」は、今は?

 正解は「筑土神社」です。「つくど」と読みます。地下鉄東西線・九段下駅前の北の丸スクエア(旧日本債券信用銀行本店跡)の裏のビルの谷間にありますから、田安門のご近所。1994年の大改築でコンクリート壁の社殿とビルに生まれ変わりました。

 2012年2月24日の当ブログで、平将門公ゆかりの神社として紹介しました。将門公は10世紀、今の茨城県南部から千葉県北部を本拠に挙兵し、最終的に朝敵として討たれた武将ですが、その「首」にまつわる話です。

 筑土神社のホームページ(http://www.tsukudo.jp/)によると、940年に討たれ京都にさらされた将門公の首が首桶に納められて密かに持ち去られ、今の大手町近辺の観音堂にまつられて「津久戸(つくど)明神」と称したという言い伝えが神社の始まり。江戸城築城後の1478年に城の北西に社殿が置かれた後、1552(天文21)年に上平河村内の田安郷(現在の九段坂上からモチノキ坂付近)に移転、その地名を冠して田安明神とも称し、山王(日枝神社)、神田(神田明神)とともに江戸三社の一つに数えられました。ちなみに、ここが田安門の名前の由来です。

 しかし、神社自体は1589(天正17)年に徳川家康が江戸に入城した際、江戸城拡張(二の丸などを築造)のため下田安牛込見附米倉屋敷跡(現在のJR飯田橋駅付近)へ、さらに1616(元和2)年には江戸城外堀拡張のため新宿区筑土八幡町へと移転を余儀なくされます。この時、築土明神と改称、さらに明治維新後に築土神社と名を改めました。第2次世界大戦末期の1945(昭和20)年4月に戦災により社殿 ・社宝が全焼。翌1946年9月、千代田区富士見に再建され、さらに1954年に現在の九段北に移転したということです。いや~、結構忙しいですね。

 築土神社の「主神(しゅしん)」として、1875(明治7)年に天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫・天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)を祀りました。ホームページによると、「それまで当社唯一の祭神であった平将門公が明治政府に冷遇されたため、便宜上、天皇と関わりの深い神を『主神』として祀り上げることで、当時の社格を意識したものと思われる」と書いています。将門=朝敵では、仕方なかったのでしょう。

 パレスサイドビルを出て江戸城(皇居)の石垣見物は、清水門のシリーズは終わって、お次は田安門です。清水門と同様、田安門からも北の丸公園へ常時出入りでき、同じ国指定重要文化財です。清水門から行くと、4か月前(2015年9月11日)の当ブログで紹介した雁木坂を上って公園を右の方に回り込み、吉xDSC_5246小.jpg田茂像の前を通って武道館に至り、その脇を抜けると田安門に到達、という位置関係で、門を外に出ると靖国神社があり、お馴染みの花見スポットですね(写真㊨は2015年4月2日に靖国通り歩道橋から田安門方向を撮影)。

 門の脇にある案内板の文面は、清水門とウリ二つ。前半の江戸城全般の記述は全く同文で、続く「北の丸北部に位置する枡形(ますがた)門であり、正面の高麗門と、その右手奥の櫓(やぐら)門からなる」も一字一句違わず。構造が全く同じなんでx田安門の図.jpgすね。

 例によって一番上の写真(写真①)、右下の写真②~④を、図面=左=を参考にご覧ください。

 案内板は、さらに「高麗門の扉釣金具に残る刻銘」から 年代を特定xDSC_5863番号小.jpgするのは同じですが、この年に違いがあり、清水門が「万治元年(1658)に建てられたものと考えられる」のに対し、田安門は「寛永13年(1636)」と、清水門より20年以上古いということで、案内板の末尾も、田安門は「江戸城の総構完成当時に遡る現存唯一の建物であり、高い価値を有している」という文章で締められています。xDSC_5862番号小.jpg

 清水門ともども、明暦の大火(1657=明暦3年)などの火事でも焼けなかったんですネ。

 櫓門が上部損傷のため撤去されていたこと、これが1961~66年度の修理で復旧整備されたことも清水門と一緒で、両門はいわばペア、二つでワンセットって感じです。

 忘れちゃいけないのが石垣でした。写真㊦は櫓門内側左xDSC_5851番号小.jpg(北側)です。切石を隙間無く積む「切込接ぎ(きりこみはぎ)」が綺麗ですね。東日本大震災で屋根瓦のずれや漆喰壁の剥落のほxDSC_5854トリ小.jpgか、石垣もズレるなどの被害が出たため、2012年12月~2014年3月に清水門とともに修復工事が行われました。

 新春恒例、パレスサイドビル自衛消防隊の出初式が7日午前○DSC_7186トリ.jpg、屋上で実施されました。

 ビルを管理する毎日ビルディングと、設備管理を受け持つグローブシップ、警備を担うアイングと東京センター、清掃を担当するセイビの各協力会社などから計約70人が参加。訓練開始の午前10時は、この季節としては暖かい日差しが降り注ぎ、気温は10.1度と、例年になく絶好の"訓練日和"。

 訓練は火災発生を想定した消火器による初期消火訓練(消火剤でなく水を使用)、ホースを使った放水訓練、そして、けが人発生と想定した救出救護・応急手当訓練の3つです。○DSC_7192トリ.jpg

 屋内消火栓からホースを使った訓練=写真㊤=は、「火」の文字が入った丸い的を水でキッチリ打ち抜きます。ただ放水するだけでなく、赤い箱に収納されたホースを取り出し=写真㊨㊤、火元にダッシュし=写真㊨㊦、放水するという本番さながらのもの。皆、真剣な表情で取り組みました。

 救出救護・応急手当訓練は三角巾、簡易担架、AEDなどを使用。けが人役の人に三角巾を巻き、簡易担架に乗○DSC_7202トリ.jpgせて搬送。人形を相手に、AEDも使って心肺蘇生の訓練=写真㊧=も行いました。

 このほか、消火器による初期消火訓練では4人1組で、指揮者の号令一下、「火事だー」と大きな声を出しながら赤いカラーコーンに勢いよく水をかけました。

 今年も、安心・安全なビルを目指して、地道に訓練などを重ねます。

 本年も、パレスサイドビルをよろしくお願いいたします。

 皆様はどのような新年を迎えられたでしょうか。この正月は暦通りなら6連休。26日から休んだな160101富士山②トリ小.jpgら9連休でした。ゆっくりされましたか? 海外に出かけて疲れが残っている方もおられるでしょうか。

 今年の関東地方は好天に恵まれた穏やかなお正月でした。手元に届いた"らしい"写真です。

 まず、写真㊤は多摩川の土手から撮った元旦昼前の富士山。場所は狛江市と調布市の境目辺りで、同じ場所を夕方にも訪ねると、美しいシルエットが見られました=写真㊨。ニッ成田山1月3日12時18分小.jpgポン人は、やっぱり富士山、ですネ。

 お次は関東の初詣スポットの定番、成田山新勝寺(千葉県成田市)です=写真㊧㊤。明治神宮に次ぐ全国2位の約305万人(2015年正月)が訪れるというだけに、3日昼でもご覧の人出で、お参りできるまで行列ン十分待ち。

 続いての初日の出は、江戸川区小岩界隈の新中 川の土手からパチリ(1日午前6時57分)=写真㊧。これが見えたから、今年はきっと良いことがあります!160101初日の出トリ小.jpg

 ちょいと遠出も。「なんにも用事がないけれど・・・」という内田百?の精神にのっとって、元日に家族うちそろって、行く必要もない甲府駅まで往復しました。行きは「スーパーあずさ」、帰りは「かいじ」。名前に相違して、あちこちによくとまる「かいじ」の方が、車体が1451687945417トリ小.jpg新しく、座り心地もよくて快適でした。何か出かけた証拠が必要かとも思い、駅前の武田信玄公の銅像を撮影=写真㊨㊤。勝沼ぶどう郷駅~塩山駅間では甲府盆地の向こうに南アルプスの山並みが綺麗でした=写真㊨㊦

 最後に、松陰神社(世田谷区)。昨年のNHK体が「花燃ゆ」はこけましたが、松陰先生は永遠に不滅。ご利益をと、おみくじを引くと、お約束の160103おみくじ小.jpg「大吉」=写真㊧。願望(ねがいごと)は「初めは思わしくないが後は必ずよし」、待人(まちびと)は「おそいが来る」、商売も「あせっては損す1451688028693トリ小.jpgる」、相場は「荒れる 今は待て」、縁談は「後は叶う」・・・といった具合で、全体に、尻上がりに良くなるような雰囲気です。信じる・信じないはあなた次第。

 本年が皆様にとって良い年になりますよう、お祈り申し上げます。

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