【2015年6月】のアーカイブ

 パレスサイドビルを設計した㈱日建設計が自社の歴史を振り返って発効した『日建設計115年の生命誌』に、当ビルも紹介されました=写真㊨㊦は表紙

 「社史」なんですが、よくあるそれではない。「日建設計をひとつの『生命系』と見立て、その誕生から現代に至るまでを紹介」(本書「エピローグにかえて」)するという手法でまとめたとのこと。

 本は非売品ですが、同社ホームページで連載した同タイトルの記事を加筆・再編集したもので、ネット上でほぼ読めます(http://www.nikken.co.jp/ja/archives/history/index.html)。

 さわりを紹介すると・・・img-629153400-0001x.jpg

 日建設計のルーツは住友財閥です。1895(明治28)年、住友の銀行設立方針が決定され、住友本店・銀行の建物は「百年の計を為す建築」とするとの考えの下、「住友本店臨時建築部」が設けられました。名前の通り、当初は本店を作るためだけの組織という位置づけでしたが、その前段として「大阪図書館」「住友家須磨別邸」から着手。やがて住友財閥の各種事業の発展に伴う建築需要に応える常設組織へと発展します。・・・(ずーっと端折って)・・・戦中は国策で住友の不動産関係部門が合体した「住友土地工務」となり、戦後は財閥解体に伴う紆余曲折を経て1950(昭和25)年に「日建設計工務」として独立。以降、住友を離れて独自の道を進みました。

 さて、パレスサイドビルのページです=一番上の写真6ページにわたり紹介されていますが、名建築と称されたリーダーズ・ダイジェスト社のビルを建て替えるプレッシャー、33か月という短工期という困難な課題を持つプロジェクトに果敢に挑んだ自負が行間ににじみます。

 サブタイトルに「日本建築が持つ質感を近代技術で実現する」とあるように、アルミで作られた日本的な繊細さを思わせる水平ルーバーと、垂直の雨樋と雨受けによるリズミカルな外壁構成を紹介。「日本建築が伝統的に持っている『透けた組成による質感』を持つ巨大なオフィス建築」と定義しています。

 これは、設計チームを率いた故・林昌二さんの思想によるもの。「ディテールは小宇宙であり、そこには空間に対する解釈が、濃縮されているとはいえ完全な形で存在しています」との林さんの言葉が紹介されています。

 作った方たちの思いが、このように込められているのかと、本書を読んで、改めて感じ入った次第です。

 パレスサイドビル1階東に三井住友銀行のATM(現金自動受け払い機)が設置されました。6月25日から稼働していて、さっそく利用する人の姿が見られます。

 場所を詳しく説明すると、下の写真のように、東の正面玄関を上がった1階の右手に三菱東京UFJ銀行(写真右の赤丸)のATMコーナー(2台)がありますが、受付をはさんで反対側、「かっぽうぎ」の脇、公衆電話の並びに、今回新設されました(同左の赤丸)。

 これで、当ビルに設置された公衆のATMは、郵便局、コンビニのファミリーマートとセブン-イレブン、そして三菱東京UFJ(2台)に続き6台目ということになります。

 営業時間は新設の三井住友が7~24時、三菱東京UFJが8~21時、郵便局も8~21時、コンビニ2店は店の営業時間(両店とも7~23時)となっていて、いずれも日曜・祝日はATMも休みです。

SMBCのATM2トリ.jpg ATMは日本全国に十数万台あるといい、トップは郵貯(2万6698台=2014年3月末)、続いてセブン-イレブンのセブン銀行が2万1316台(2015年5月末)と続きます。メガバンクは数千台規模、JAバンクも1万台規模を擁しているそうです。

 世界では、一番多いのが中国の約50万台、2位が米国の40万台余りということですが、インターネットで検索していたら、人口10万人当たりの国別のATM設置台数が出ているサイトがあり(http://top10.sakura.ne.jp/IBRD-FB-ATM-TOTL-P5.html)、「2012年 世界銀行」のデータによるというランキングは、①カナダ=207.77台、②ポルトガル=185.36台、③ロシア=182.00台、④マカオ=178.76台、⑤オーストラリア=165.95台、⑥スペイン=138.15台、⑦日本=127.78台、⑧アルバニア=120.79台、⑨ブラジル=118.60台、⑩イスラエル=116.40台・・・となっています。ちなみに、中国は37.51台で77位。ただ、この統計で「不明」とされていた韓国が実はトップだというニュースを、韓国の聯合ニュースが2014年11月15日に報じています。それによると、韓国は10万人当たり282台で断トツだそうです。日本は1つ下がって8位。上記サイトのランキングは他にも米英独なども落ちていて、英国は日本に次いで約124台で9位ということです。

 「発展途上国は金融インフラが脆弱で、ATM普及の不均衡現象がみられる」(聯合ニュース)とはいえ、日本国内では、むしろ過疎の地域の方が人口当たりの設置台数が多くなる場合もあるなど、統計数字にそれほど意味がないのかもしれません。ただの雑学として読み流してください。

 東京消防庁・麹町消防署の消防訓練審査会が22日、北の丸公園第3駐車場(千代田区北の丸公園1番1号)で開かれ、パレスサイドビルの「毎日ビルディング自衛消防隊」も参加しました。

 火災は時間がたつと一気に拡大するので、一定の時間内に消し止める初期消火が延焼を食い止めるカギを握ります。そこで、自衛消防の出番ということになります。

 そんな重い使命を担う大規模事業所の自衛消防隊の技術向上を目指し、毎年、消防署ごとに審査会が実施されています。今回は、男子隊A、同B、女子隊、警備員隊A、同Bの5つのグループに計41チームが参加。地震によりけが人が出て火事も発生したという想定で、各チーム3人が、身体防護img-623101447-0001.jpg、けが人の救護から火事の発見、報告、屋内消火栓でホースを引っ張り出しての放水・・・と、一連の作業をいかに迅速に、的確に行うかが試されました。

 審査は厳しくて、右の図のように、例えば集合時の「基本動作」一つとっても、「気を付け」の足を開く角度60度、「休め」の左右のかかとの間隔25センチ(女性は20センチ)というように決まっていて、厳しくチェックされまるのです。

 「毎日ビルディング自衛消防隊」は、警備員隊Bグループ7チームの一つとして日ごろの訓練の成果を披露。実は、わがチームは5年前に準優勝、4年前には優勝した"強豪"で、今回もイイ線いってたんですが、僅差の4位と、3位入賞を惜しくも逃しました。

 パレスサイドビルでは正月の出初め式、春と秋の総合訓練など、テナントの皆さんの参加も得て訓練を重ねています。この日の審査会で、改めて常日頃からの備えの大切さを肝に銘じました。

本格的な梅雨、のようです。九州地方を中心に激しい雨が続き、北関東では突風がありました。被害に遭われた方には心からお見舞い申し上げます。

 さて、梅雨と言えばアジサイ。写真は梅雨入り直前、皇居・東御苑を散歩して目にした時のスナップ。本丸跡の広場の西側斜面に咲いていました。アジサイというと、箱根登山鉄道のあじさい列車が有名ですね。明日20日から「夜のあじさい号」が例年通り運行されるそうです。大涌谷周辺の「噴火警戒レベル2」への引き上げで、登山鉄道の利用客は3割ほど落ちているそうですが、沿線の8000株のアジサイを見て走る分には危険はなしということで、夜のライトアップされた幻想的は風景を、少しでも多くの方が楽しんでくれれば、というのが関係者の皆さんの思いでしょう。

 ところで、なぜ梅雨前線は1カ月もの長い期間、停滞するのでしょう。「今でしょう」の東進ハイスクール・林修先生の同僚、村瀬哲史先生(地理)が、テレビのクイズ番組で解説をしていました。なんとなく聞き流していたのですが、記憶をたどると、①梅雨は日本から中国にかけての東アジアの一部にしかない、②それはヒマラヤがあるから――という趣旨の説明だったようです。

 大陸方面の冷たい高気圧(オホーツク海高気圧)と暖かい太平洋高気圧がぶつかって大気の状態が不安定になり、梅雨前線が発生するというのは、なんとなく知ってるつもりですが、詳しいメカニズムを改めて問われると、答えに窮します。

 で、村瀬先生の出番です。西から東に吹く上空のジェット気流は季節が春から夏に変わり始めると徐々に北上しますが、ヒマラヤ山脈までくると南北2つに割れて流れて行くんですって。他の気候に関するサイトなどによると、気流の主流は高度5500メートル程度で、8000メートル級の山々が連なるヒマラヤ、さらにその東側に4000メートル超のチベット高原が続き、2つに分かれた気流はオホーツク海あたりまでくっつかずに流れて、やっと合流する。で、高高度の気流は冷えてますから、オホーツク海で冷たい空気が下降して高気圧が作られ、南の太平洋高気圧と押し競饅頭(おしくらまんじゅう)よろしくセメギ合うので梅雨前線が生じ、停滞する、ということのようです。

 夏本番に向かってジェット気流がさらに北へと押し上げられ、全体がヒマラヤ山脈を越えて一つになると、太平洋高気圧もグッと北にせり出して梅雨明けです。

 今年の梅雨入りは、関東甲信地方は平年並みの6月8日でした。暦の二十四節季に次ぐ雑節の「入梅」が6月11日ですから、まあ、いいところという感じでしょうか。関東甲信地方の梅雨明けの平年は7月21日。あと1カ月余り、気を抜けない日々ですが、安心安全なビルを目指して、万全の態勢で臨みます。

 パレスサイドビルに本格的な夏の訪れを告げる催し、それが「七夕まつり」です。今年も今週初めから、ビル地下1階中央廊下の吹き抜けに七夕飾りがお目見えしました。7月11日(土)まで展示されます。

 当ビル商店街の有志の皆さんで組織するパレスサイドビル名店会(会長・島田幸正「ジャポン」店長)による毎年恒例の催しです。

 例年のように吹き抜け天井からぼんぼりを垂らし、地下1階廊下中央に笹を配置、昨年に引き続き、天の川をイメージしたLEDイルミネーションが雰囲気を盛り上げます=写真㊤

●DSC_5715トリ小.jpg 今年も短冊を用意しています。早速、筆を取って、書き込む人の姿が見られました=写真㊧㊤。願い事を書いた短冊をつるすように、昨年と同様、中央の大きな笹だけでなく、これを挟む東西2カ所のゲージ(ガーランド)にも笹を備えています=写真㊧㊦。今年はどんな願い事が書かれるでしょうか。とりあえずは、予選リーグを好発進した「なでしこジャパン」のW杯連覇あたりか......。始まったばかりで、まだ数は少ないですが、いくつか見てみると、写真㊨㊦のように、まずはオーソドックスに「義兄の病気がなおりますように」といった健康祈願、「水泳の記録が良くなりますように(頑張ります)」といった半分は決意表明の願い。そして「きれいになりますように」など美しさを求め、●0DSC_5701小.jpg「5キロ痩せたい」という具体的希望の先には「すてきな彼氏ができますように」という本人の望みだけでなく、結婚難を反映した「息子に素敵な彼女が出来て結婚出来ますように」という親の切実な願いも。ただし、結婚はゴールにあらず。「嫁に見捨てられませんように」という状況もあり得るわけですね。

「無事に就職して、無事に卒業できますように」は就活生の切実な声ですが、職を得ても「はやく異動したい」なんて悲鳴を発する場合もあるようです。物欲からも逃れられませんが、「宝くじが必ず当たりますように」の「必ず」の文字に強い願望が込められている? 時事ネタは安保法制がありました。

 皆さまの想いがかなうよう、短冊は七夕終了後、例年の通り神田明神に奉短冊x.jpg納されることになっています。是非一筆どうぞ。

 7月1日(水)~3日(金)の3日間、名店会加盟の各店でご飲食・お買い物をされた方にスクラッチカードを配布し、「当たり」の方は7月6日(月)~8日(水)の各日2回(12時~14時と18時~20時)に行われる抽選会に参加できます。商品は、七夕賞=スマートウォッチ(2本)、1等=旅行券(5万円、2本)、2等=家庭用ゲーム機(2本)、3等=コードレス・ハンディ・クリーナー(3本)、4等=ふとんクリーナー(3本)、5等=羽根なし扇風機(3本)、6等=空気清浄機(10本)など、計2025本、総額120万円という豪華版ですから、乞う、ご期待!!

 昨年春に2回書いた水戸の梅の話、超久しぶりの続きです。
 水戸の偕楽園の梅の実を買うことができるって、ご存知でしょうか(^ω^)。茨城県の職員が毎年6月、実落としをします=写真㊤。いっぱい採れるんですよ●梅実落とし4.jpg写真㊧。状態の良いものは「偕楽園の梅」として、2日間だけ公園内で直売するのが恒例になっています。
 今年の梅落としは偕楽園で6月12日(金)~14日(日)、近くの弘道館で11日(木)~13日(土)に行われ、販売は偕楽園で13日、14日の土日2日間、いずれも午前9時から。1袋(1.5キロ)300円=写真㊧㊦=を1日2000袋、計4000袋という貴重品(昨年は3000袋だったので、今年は生育が良いようです)。少しでも多くの人が購入できるよう、1人2袋まで●梅実落とし6.jpg限定です。
 パレスサイドビルがある都心から水戸へは、常磐線の東京駅乗り入れで便利になりました。週末の朝なら、東京を6時53分発の「ひたち1号」(水戸着8時10分)、9時53分発「ひたち7号」(同11時5分)などの直通列車があります。
 さて、以前、当ブログで書きましたが、梅は「茨城県の木」ですから、農業県の茨城のこと、梅の実の生産量も多いはず・・・と思いきや、調べてみたら、実は、全然、大したことないんです。今年5月発表の農林水産省の作況調査(果樹)によると、2013年の収穫量は全国で11万1300トン(出荷量は9万7000トン)、うち和歌山(梅は「県の花」)が7万1400トンと64%を占め断トツ。2位がその10分の以下の5400トンの群馬、以下、奈良、長野、三重、山梨、福井、神奈川、宮城、福岡と続き、茨城は1380トンで11位と、トップ10にも入っていません(出荷量は13位)。
 劣勢を挽回しようと、梅の実のブランド化などの取り組みが時折、地元紙や全国紙の県版で紹介されます。そうした努力が実を結ぶことを祈りましょう。

 きょう68日は「千代田区一斉清掃の日」。ちょうどこの日午後、関東甲信地方の梅雨入りが発表されました。その前の"駆け込み"ってわけじゃありませんが、朝のうちは、お掃除日和って感じでしょうか。パレスサイドビルでも内堀通 り沿いの歩道や植え込みなど、汗ばみながらごみを拾いました=写真㊤

 一斉清掃の日は、「千代区生活環境条例」に基づいて毎年6月と11月に行われているもの。パレスサイドビルも、自分たちが生活し00DSC_5650トリ.jpgている街を住民や勤務している人たちで美しくしていこうという趣旨に賛同し、毎回、早朝にビル周辺を綺麗にしています。

 今回も、ビル関係者だけでなく、館内テナントさんも含め、多数の参加をいただき、総勢約120人。午前8時、竹橋交差点側の西口玄関前に集合。軍手、ゴミ拾いはさみ、ゴミ袋などを受け取ると、ビル周辺に一斉に繰り出します。3040分、汗を流しました。

 いつも、多く参加してくださるのは、NTTビジネスアソシエさん(そろいの黄色い蛍光色のウィンドブレーカー姿)と関連会社のNTTビジネスアソシエ・パートナーズさん(オレンジ色のウィンドブレーカー)の計45人、黒いジャンパーで統一したファミリーマートさん約40人など。もちろん、1人だけで参加してくださる会社やお店も多く、みなさんのボランティア精神に感心するばかりです。

 首都高速道路下=写真㊧㊤=などを含むビルの外周りだけでなく、日本橋川の周辺、一ツ橋対岸などへと"遠征"するグループもありました。紙ご00DSC_5730トリ.jpgみ、ビニール袋、木屑、吸い殻、空き缶・ペットボトルなど、拾ったゴミは正面玄関前に集められ=写真㊨45㍑の袋で普通ごみ7袋、粗大ごみ1袋、びん・缶類2袋の計10袋になりました。

 参加してくださった皆様、本当に有難うございました。(●^o^●

 パレスサイドビルの向かい、江戸城(皇居)の中之門の周辺を紹介していますが、さらに本丸(天守台前の広場のところ)へ上がっていく途中に、もう一つ、門の跡があります。これが「中雀(ちゅうじゃく)門」の跡です=写真㊤。前に、中之門を本丸への「最後の関門」と書きましたが、正確には、さらにその奥にもう一つ、この中雀門があったので、不正確でした。

中雀門ルート.jpg さて、中之門を入り大番所前を左に折れ、大きい石が積まれた石垣を見ながら登る坂道です。この坂は、もともと江戸城東側に広がる低地と本丸のある台地との境にあたり、これを登って右に折れた所にあるのが、本丸の正門たる中雀門です。今は坂ですが、江戸時代は会談だったといいます。ここを抜けると広々とした広場に出ますが、ここがかつての本丸御殿の跡になりますが、城内は、セキュリティーのため直進できないようになっているのを、改めて実感します=㊧地図参照

 1657年の「明暦の大火」で天守閣が焼け落ちたことは、当ブログで何回も書きました。この時に天守台の石垣もかなり炎にやられたため、伊豆石から御影石に取り替えられましたが、もとの石のうち再利用可能なものが、こ の中雀門などの石垣に転用されました(なお、傷みがひどいものは土中に埋0中雀門 焼け跡.jpgめる基礎などに使われたそうです)。

 しかし、江戸時代は火事続き。幕末の1863(文久3)年の火災で本丸御殿が焼けた時に中雀門にも類焼したため、石垣の表面は熱によりボロボロに。これが今残っているものです=写真㊨㊤。石垣の下には、柱を立てた礎石の溝も残っています=写真㊨㊦

 「中雀」のいわれは諸説あり、「鍮石(ちゅうじゃく)」からというのが一つ。かつては高価な真鍮(しんちゅう)が使われたということ。また、本丸の南にあるので、四神思想の南の守護神である朱雀(すざく、すじゃく)に由来するとの0中雀門 溝.jpg説や、城中につくった中柵(ちゅうざく)門から転じたとの説もあるようです。いずれにせよ、本丸に一番近い門ですから、真鍮などで豪華な装飾が施されていたことでしょう。

 0中雀門.jpg幕末か明治初期と思われる写真写真㊧=を見ると、左に二重櫓が二つ見えますね。手前の櫓は同じ大きさで二層になっている「重箱櫓」ともいわれるものでした。

 厳重な警備がされていたことでしょう。与力10騎、同心20人が詰め、徳川御三家といえどもこの門前で駕籠を降り、あとは徒歩で本丸に向かったそうです。

 パレスサイドビル向かいの江戸城(皇居)を散歩して、中之門の手前の「百人番所」を先日紹介しました。警備の詰所、あるいは検問所である「番所」は、城内各所にあったのですが、今残っているのは、百人番所を含め中之門周辺の三つだけ。

 大手門から本丸へと向かっていくと、大手休憩所を過ぎて、道が中之門の方へ左に直角に曲がる手前の右側に「同心番所」がみえ、そこを左折したところの左側に百人番所、そしてその斜め向かいの中之門を抜けて本丸方向へ坂を登り始めたすぐ右手に「大番所」=写真㊤=があります。その位置関係を確認すると、140715③.jpg㊧の地図のようになっています。

 百人番所は前回説明したので、他の二つはどういうものかというと、まず大番所は江戸城本丸への最後の番所です。警備上の役割はきわめて重要だったのでしょう、設置されている案内板には「他の番所より位の高い与力・同心によって警備されていました」と書かれています。

 千代田区観光協会のホームページには「大番所は再建されたものですが、背後の15段の射撃用の石段も古く風格のある立派な建物です」と書かれていますxDSC_5578小.jpghttp://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/251/Default.aspx)。

 同心番所=写真㊨㊤=は大手門から入城した大名が最初に通る番所で、昔あった「大手三の門」のすぐ内側にあります。今も、三の門の石垣が残っていますね=写真㊨㊦。石垣の右奥が同心番所です。千代田区観光協会のホームページによると、三の門は「本来は枡形門で、両側xDSC_5587小.jpg和水堀でした」(http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/989/Default.aspx)。

 同心番所は三つの番所の中では格が下で、大名自身というよりお供の者の監視が任務だったようです。ただし、駕籠に乗ったままここを通ることができたのは、尾張・紀伊・水戸の徳川御三家の殿さまだけで、それ以外の大名はここで降ろされたことから、三の門は「下乗門」とも呼ばれたそうです。さらに、各大名のお共の者はここで主人の帰りを待つことになり、情報の交換の場になったとか。これが「下馬評」の語源とされます。

登場の図(徳川盛世録・所収).jpg 当時の大名の登城の様子を描いたのが㊧の絵です(「徳川盛世録」=国立国会図書館蔵=より)。絵の中央右寄りに描かれた橋のたもとにあるのが同心番所。

 同心番所の屋根瓦は一番高いところだけ徳川家の葵の御紋の妻瓦があます=写真㊨㊦、赤〇囲いが葵の御紋。訪ねたら、目を凝らして見てみてください。

 ちなみに、各番所に詰めていた与力とその配下の同心を少し説明しておきましょう。与力とは、元々、鎌倉時代に「加勢する人」のことを指しましたが、 やがて有力武将に従う下級武士を示す言葉になり、同心はそのさらに下の武士とx同心番所 瓦〇小.jpgいうことになります。

 奉行所で悪い奴を捕まえたりする時代劇のイメージが強いのですが、これは町方与力、町方同心。他の所司代・城代・大番頭などの配下に属し、庶務・警備の仕事をしていた下級役人を総称したものということです。

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