【2014年10月】のアーカイブ

 毎日新聞の加藤登紀子さんの対談「Tokiko's Kiss」は、人気のページ。毎月1回のペースで、上旬に掲載されています。㊤の写真は作家の椎名誠さんをゲストに迎えての写真撮影風景です。

 さて、ここで問題です、場所はどこでしょうか?――はい、みなさん、お分かりですね。毎日新聞本社、つまりパレスサイドビルの屋上です。撮影されたのは8月19日。暑い盛りでした。椎名さんの日焼けした腕と白いTシャツのコントラストが夏らしい! 青々とした芝生も綺麗でしょ。

 対談では、旅大好きの椎名さんが訪れたモンゴルやアイスランドなどのエピソードを交えて、そこで出会った人との交流を素材に、お二人が縦横に語り合っています。その中で、「幸せ」とは何かに話が及び、椎名さんが、経済破綻した国とされるアイスランドの人々の幸せ感の高さについて、次のように語っています。

 「日本って一見、繁栄しているように見えるけど、ものすごく不幸な国に思えるんですよ。アイスランドで、1年でどれぐらい亡くなるかを聞いたら『自殺ねえ......』って感じだった。話題にならないくらい少ないんですね。国民が『幸せに感じる』ということは、国の豊かさを示す大切な尺度だと思いますね。」●加藤登紀子&椎名20140901.jpg

 その紙面が㊨の写真。モノクロなのがちょっと残念です。

 「Tokiko's Kiss」は毎日新聞の女性のためのページ「おんなのしんぶん」に掲載されていますが、その「おんなのしんぶん」のフェイスブックのページがあって(https://www.facebook.com/gakko.sato)、取材の時の様子などを含め掲載予定記事の「予告」もアップしています。

 11月の「Tokiko's Kiss」のゲストは元滋賀県知事の嘉田由●おんなのしんぶんFB140903加藤・嘉田予告.jpg紀子さんとのこと。
 すでに9月3日に「おんなのしんぶん」フェイスブックに掲載された紹介(写真㊧)には、次のようにあります。

 「お二人が学生時代に熟読したというボーヴォワールの『第二の性』をめぐる話題を皮切りに、女性がもっともっと活躍できる社会について、熱く語り合いました。・・・嘉田さんの『その人らしく、多様に生きる選択肢がある社会を!』というメッセージが印象に残っています。写真撮影は本社屋上で。今にも雨が落ちてきそうな空でしたが、まるで放課後のキャンパスでおしゃべりする学生のような明るい雰囲気で撮影は進みました。」

 掲載は連休中の11月3日の予定。お楽しみに。

2014

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木枯らし1号

 急に寒さが加速したのでしょうか。北海道や東北では雪。東京では「27日夜に『木枯らし1号』が吹いた」と、気象庁が発表しました。朝、出勤の折、強風は収まったとはいえ、上を見上げると、真っ青な空に雲が流れ=写真㊤、マンションのエントランスが落ち葉の吹きだまりになっていまし●DSC_3787トリ.jpg=写真㊨

 気象庁の観測では、パレスサイドビルから数分、東京・大手町の気象庁本庁で27日午後7時44分、最大瞬間風速17.3メートルの北北西の風を観測し、これが「木枯らし」と認定された由。昨年より15日早く、近年では2010、2011年の10月26日に次ぎます。

 ちなみに、「木枯らし」は辞書で引くと「秋の末から冬の初めにかけて吹く強く冷たい風」というように描かれていますが、気象庁の厳密な定義は、①10月半ばから11月末までの間に限る②気圧配置が西高東低の冬型となって季節風が吹くこと③東京における風向が西北西~北である④東京における最大風速が、おおむね風力5(風速秒速8メートル)以上――となっていて、これに適合する記録(1951年以降)を見ると、最早記録が10月13日(1988年)、最も遅い記録は11月28日(1969年と1981年)で、吹かなかった年も1956、1962、1977、1979年と4回あります。

 気象庁によると、27日の関東地方は冬型の気圧配置となって風が強まりましたが、大陸の高気圧が日本列島方面へ移動することで28日から次第に風は収まる見通しとのこと。昼休みにパレスサイドビル屋上に出て見ると、青く澄み渡った空のもと、やわらかい日差しでそこそこ暖かく、それでもまだ強めの風に、毎日神社の鳥居の紙垂(しで)が煽られていました=写真㊦

●DSC_3799.jpg 「木枯らし」は「凩(こがらし)」という字もありますね。日本で作られた漢字で、風の省略形と「木」の二文字の意味をあわせた「会意文字」と呼ばれるもの。「木枯らし」も「凩」も、俳句では初冬の季語ですが、「木枯やたけにかくれてしづまりぬ」(松尾芭蕉)、「木がらしや目刺にのこる海の色」(芥川龍之介)などに対し、「凩」というと、芭蕉と同時代の俳人、池西言水(ごんすい、1650~1722年)がいます。元禄年間の作とされる「凩の果はありけり海の音」で「凩の言水」の異名を取りました。なぜ彼が「凩」を使ったんでしょう。

 なお、木枯らし1号を気象庁が認定するのは東京と近畿地方だけ。「春一番」は全国的に発表されますが、それは暖かい季節の訪れを告げる明るいニュースからで、寒くなるサインである木枯らしは、あんまり歓迎されないってことでしょうか。

 デ~ンという感じで並ぶ6種類のお菓子。先週、当毎日ビルディングの社内会議が大阪でありまして、東京から出席した社員が買ってきてくれたお土産たちです。(当社は東京のパレスサイドビルのほか、大阪の毎日新聞大阪本社ビルと毎日インテシオ、名古屋のミッドランドスクエア、福岡の毎日福岡会館なども管理しています)DSC_3678.jpg

 で、お菓子ですが、ネーミングや中身に、いろいろ工夫があって面白いです。

 まず「大阪プチバナナ」=写真㊨。「東京バナナ」の向こうを張ったのは、まず間違いないでしょう。ふんわりスポンジにバナナ果肉とパッションフルーツソースが入っDSC_3683.jpgたカスタードクリームを挟んだもの。お次はハリー・ポッターのクッキー=写真㊧㊤。ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのオリジナルグッズ。出張の仕事が終わった後、週末、自腹で残って遊んできたようです(公私の区別はちゃんと付けてますヨ)。中身をみると1枚1枚にロゴが入っています=写真㊧㊦。ファンにはたまりませんね。

 大阪キャラメルプリンケーキ、神戸プチフィナンシェ、神戸カフェショコラは、それぞハリポタクッキー.jpgれ、まあ、それなり、っていうところです。

 最後に写真㊨のお菓子。「ラングドシャ」はフランスのクッキーで、フランス語で「猫の舌」を意味し、その名の通り本来は細長いものを指すようですが、日本では四角や丸型でも、おしゃれにそう呼ぶものが多いですね。有名な北海道土産DSC_3684ラングドシャ.jpg「白い恋人」も「ラングドシャ」を謳い、正方形のクッキーにチョコレートやホワイトチョコレートのクリームを挟んでいます。

 さて、今回いただいた土産は、中のクッキーが「白い恋人」と同様で、ホワイトクリームを挟んだ正方形。袋はハートマークに「KOIBITO」の文字が読め ますね。白地と併せて読むと「白い恋人」?? 何年か前、吉本興業が、北海道銘菓をパロって「面白い恋人」を売り出し、裁判の挙げ句、吉本が販売を中止し た事件がありました。またぞろ、パクリか??

 で、箱を見てみました。写真㊧のように、「大阪の恋人」が正式名称で大阪の恋人.jpgす。

 ウン? なんか、臭い。箱さえ変えれば中身は同じで、どこの土産にもなるじゃん。お饅頭なんかで、よくあるパターン。で、ググってみたら、あるわ、あるわ。写真㊦は主なところで、関西だけで大阪のほか、通天閣(ピンクと青の2バージョン)、京都、神戸元町、奈良、和歌山があり、「マラソン」は神戸のイベント関連のようです。大阪の「めっちゃ好きやねん」に対し、京都は「えろう好きどすえ」、元町は「好きやゆうとう」などのコピーに芸の細かさと遊び心を感じます。ある人のブログによると、「京都」は挟んであるクリームが抹茶味です。

 そのほかでは「坊っちゃん」(道後温泉)、「平家」(厳島神社)、「うどん」(香川)などユニークなネーミングも。東北や関東、東海もいろいろで、写真はありませんが、「東京」もあり。「どあら」は中日ドラゴンズのマスコットなので、球場で売っているのでしょう。とにかく、県名あり、観光地名ありと、多彩というか、何でもありという感じ。全て同じメーカーかは確認できませんが、箱の写真を眺める限り、よく似た同パターンのデザインですね。並べると、なかなか壮観です。

 本日(10月21日)はパレスサイドビル屋上の毎日神社で、第75回の例大祭が厳かに挙行されました=写真㊤

 10月9日の当ブログで紹介しましたように、神社はリニューアルされたばかりで、真新しい檜の社(やしろ)と鳥居に生まれ変わりました。それから初めての例大祭です。生憎の雨模様で、全体にテントが張られ、写真がちょっと暗いのはご容赦を。でも、式の時間帯は時折、ほんの小雨がパラパラという程度で、つつがなく終了しました。

 毎度の説明で恐縮ですが、毎日神社は1939(昭和14)年、毎日新聞社(当時は「東京日日新聞社」「大阪毎日新聞社」)の双発機「ニッポン」号が世界一周を達成したことを機に創建され、飛行の安全への思いを込め全国から送られてきた沢山のお札やお守りが収められています。毎日新聞社が有楽町に本社を置いていた時代です。1966年に本社が新築なったパレスサイドビルに移った時に建てられたのが前の社で、それ以来48年、ほぼ半世紀ぶりに一新されました。屋根の真新しい銅の輝きが鮮やかですね。

 神社のご祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)と大山咋神(おほやまくひのかみ)。大山咋神を祀る神社では比叡山の麓、日吉大社(大津市)が全国の総本社。太田道灌が江戸城の守護神として川越日吉社から大山咋神を勧請して赤坂近くの日枝神社を建てたことから、同神社が江戸時代に徳川家の氏神とされ、明治以降は皇居の鎮守とされているとか。

 大山咋神を祀る縁で、毎日神社には日枝神社からいつも来ていただいているそうです。この日も、神職2人のほかに雅楽奏者2人も来訪されていました 写真㊨●DSC_3715トリ.jpg楽器は、右側が笙(しょう)という、竹を組み合わせてハーモニカのような、ちょっとモワーとした音が出る管楽器で、翼を立てて休んでいる鳳凰に見立てて鳳笙(ほうしょう)とも呼ばれます。よく見ると、奏者の前の机上に練炭火鉢がありますネ。よっぽど寒がりなのかって? いえいえ、構造上、呼気によって内部が結露しやすく、吹き続けると簧(した=振動して音源となる薄片、リード)に水滴が付いて音程がずれたり音が出なくなったりするので、演奏前や合間に暖める必要があるそうです。左は龍笛という横笛。普通は、これに篳篥(ひちりき)という小ぶりの縦笛を加えて演奏するのをよく見ます。

 例大祭には毎日新聞社の朝比奈豊社長以下の役員、羽田恒夫毎日ビルディング社長ほか関連会社代表、毎日新聞とヘリを共同運行している共同通信の福山正喜社長ら関係者70人余りが参列し、玉串を奉納しました=写真㊦。ニッポン号の関係で、ニッポン号の機長、副操縦士のご遺族をはじめ、三菱重工業、三菱航空機、日本航空、ANAホールディングスの関係者らも例年通り参列されました。

●DSC_3718トリ.jpg というわけで、例大祭も飛行の安全祈願が主テーマですが、「絶対に落ちない」に通じるとして、受験合格のご利益があると、一部で話題になって、受験シーズンには参拝に訪れる人も増えるということです。

 パレスサイドビルは平日午前11時45分~午後2時、どなたでも屋上に上がっていただけます(雨などの場合は閉鎖)。皇居の眺めも最高。まだご覧になっていない方は、ぜひ一度お立ち寄りください。

 竹橋から地下鉄を乗り継いで20分ほどの両国・回向院(墨田区両国2‐8‐10)の勧進相撲で活躍した江戸時代の名横綱、2代目谷風梶之助(1750~1795年)は、浮世絵の題材としても有名です。

 9月29日の当ブログで落語「佐野山」のことを書いた際に添えた浮世絵=㊧に●谷川・小野川・木村庄之助 勝川春章.jpg再掲=の作者は勝川春章(1726~1792年)。鳥居派(美人画や役者絵にすぐれ、元禄=1688~1704年=初めごろから世襲的に芝居の絵看板・絵本番付を描き、現代まで続いている浮世絵界唯一の流派)の類型から脱し、役者絵に個性的な描写の新様式を開いたとされ、力士や美人画も多く描きました。門下に葛飾北斎(勝川春朗)もいました。

春章に師事した浮世絵師の多くも谷風を描いています。

 一番㊤勝川春好(しゅんこう、1743 ~1812年)が谷風土俵入りの様子を描いた作品。彼は役者の半身像(大首絵)をさらにクローズアップさせたブロマイドのような「大顔絵」をシリーズで出したことで知られ、東洲斎写楽にも影響を与えたとされ▼力士谷風・滝の音 勝川春英.jpgます。春章、春好の谷風は、色白・切れ長の目で柔和という、伝えられる特徴通りで、よく似ていますネ。

 勝川春英(しゅんえい、1762~1819年)の谷風=㊨=は、無精ひげをはやしていて、ちょっと趣が異なります。彼は明るく飄逸(ひょういつ)な作風だそうで、確かに、ちょっとユーモラスな感じもします。役者絵では師の春章の亡き後を継いで高い評価を得ているとか。春章門下では春好とライバル関係だったようです。

 もう一人、勝川春潮(しゅんちょう、生没年不詳)は春章の弟子でありながら、ライバルの鳥居派の画風を模した美人錦絵を多数発表する一方、並行して手懸けた肉筆美人画では春章風を忠実に守ったといい、版画と肉▼谷風となには屋おきた 勝川春潮.jpg筆画で二通りの画風を器用に使い分けた異色の絵師です。の絵は春章、春好より春英に近いというか、目がそっくりです。谷風の隣に描かれているのは、当時、有名な水茶屋(道ばたや社寺の境内で茶などを供して休息させた茶屋)の娘、なにわ屋おきたです。絵に描いたような(っていうか、絵なんですけど)美人です。

 最後に写楽の谷風も1枚、というか3枚組。「大童山土俵入り」=㊦=で、左側の絵(西方)の後列左が谷風(右隣りは雷電)。ちなみに中央の大童山文五郎は生まれながらの巨体で、最高位は西前頭5枚目ながら、幼少のころから怪童として知られ(大人になっての体格は159センチ、169キロ)、見世物としての土俵入りが人気で、写楽はこれを含め大童山を4点描いているそうです。

▼大童山土俵入 写楽.jpg

 両国の回向院(墨田区両国2の8の10)の勧進相撲において、江戸時代の名横綱、2代目谷風梶之助(1750~1795年)は詳しく解説したくなる存在です。

 孝行息子の十両佐野山のため生涯ただ一度の人情相撲(八百長)を取ったと落語「佐野山」で描かれたように、人格者として知られた大横綱です(噺はフィクション)。陸奥国(現在の仙台市若林区)で豪農の長男として生まれ、19歳で江戸に出て伊勢ノ海の弟子になり、1769(明和6)年4月場所で、「達ヶ関森右ェ門」の名で「看板大関」としてデビューし、いきなり4戦全勝。この「看板大関」は江戸時代、大関不在時の"穴埋め"として、大きいとか見栄えがするという理由で番付に大関として記載した力士だそうですから、それが勝つというのは結構、大変なことだったのかも。

 翌年、看板大関をよしとせず前頭筆頭から再スタートし、以降、順調に出世階段を上り、1775年、関脇に昇進したのを機に谷風を襲名。1781年、正式に大関に昇進し、1789(寛政元)年11月には好敵手の小野川喜三郎とともに横綱免許を授与されました。1791(寛政3)年6月に11代将軍徳川家斉の上覧相撲で、小野川と取り組みを行い、この時に賜った弓を手に土俵上で舞ってみせたのが現在の弓取式の始まりとされています。

 その谷風、1795(寛政7)年1月9日、江戸全域で猛威を奮ったインフルエンザによって、44歳であっけなく亡くなります。若いですね。でも、その歳で現役だったのも凄い。時に、35連勝中だったのですから、なお凄い。

 通算の戦績は、優勝相当成績21回、江戸本場所における通算成績は47場所258勝14敗16分16預5無勝負112休、勝率9割4分9厘という驚異的な数字です。江戸本場所だけで63連勝を記録、これは第35代横綱・双葉山が69連勝するまで約150年間更新されませんでした。さらに、京都や大阪本場所を含めると98連勝という記録もあります。基本的に当時は、江戸本場所は春秋の年2場所であり、「分(わけ)」「預(あずかり)」などというよくわからないのもありますが、谷風の記録は26年間47場所(不景気のためなど開催中止5回)で黒星は14だけ、63連勝は4年間土付かずということになります。

 横綱としては谷風が第4代、小野川が第5代ということですが、初代明石志賀之助、第2代綾川五郎次、第3代丸山権太左衛門は存命中に正式に「横綱」の免許を得ていないようで、谷風が実質初代横綱というのが定説のようです。同時昇進の小野川はどうしたかって? 一緒に昇進した場合の横綱の代数は引退が早い方の力士が先になる決まりのため、早世した谷風が先になるのです。

 地元では、「わしが国さで見せたいものは昔ゃ谷風、今、伊達模様」と、古くから唄われるように、「古今無双」の形容詞がつく大横綱。仙台市役所も万前にある勾当台公園に銅像(上の写真)があり、地元の人々に親しまれています。体格は、全盛時代で身長189cm、体重169kgのアンコ型で、足袋の中に白米が一升五合入ったという話も伝わっています。また、色白・切れ長の目で柔和というのが先月末に掲載した浮世絵に描かれた容貌です。

 力量だけでなく人望も有ったというものの、晩年は気難しい面も見られたとかで、1790年ごろ、15歳だか17歳だかの妾が取り成さないと稽古場にも下りなかったというエピソードもあるのはご愛敬といったところでしょうか。

 竹橋から両国へは地下鉄をちょっと乗り継いで20分ほどです。

 近年、屋上庭園が注目されています。その先駆けといえるのがパレスサイドビル屋上。芝生、ベンチを整備し、皇居の緑が目にしみるスポットとして、晴天の日の平日午前11時45分~午後2時には一般にも開放され、パレスサイドビルや周辺のビジネスマンらの憩いの場になっています。毎日神社20121016.jpg

 その屋上に立っている毎日神社がリニューアルされ、昨10月8日、真新しいが檜の祠(ほこら)と鳥居が設置されました=写真㊤。改修前の姿=写真㊨は201210月=と比べてみれば一目瞭然。2つの灯篭の柱は一足先に、右の写真撮影の少し前に直したばかりだったので、今回は替えていません。しばらく、灯篭だけちょっと汚れて見えますが、気にしない、気にしない。

 神社は小規模の修理などはしてきましたが、丸ごとリニューアルは、1966年にビル●IMG_0130.JPGがオープンした時に一緒に建てられて以来、48年ぶり。ほぼ半世紀です。凄いでしょ。

 屋根の真新しい銅の輝き、いかがですか。ちなみに、改修前は銅がかなり汚れてしまっていたので、数年前に緑色のペンキを塗りましたが、今回、本来の姿に戻ったっていうわけです。

 8日は朝から設置作業が始まり、まず土台の石を整備=写真㊧㊤。並行して祠の組み立て=同㊧●IMG_0140.JPG2●IMG_0161.JPG枚目、鳥居の組み立て写真㊨㊤と据え付け=同㊨㊥、そして祠が据え付けられました=同㊨㊦。さらに灯篭の上部も銅屋根輝くものが設置され、17時ごろまで、1日仕事。作業員の皆さん、お疲れさまでした。

 この神社は1939年(昭和14年)に毎日新聞が行っIMG_0189.JPGた社有機「ニッポン号」による世界一周大飛行の安全祈願のために作られました。飛行は、8月26日に羽田(東京)を出発し、千歳空港(北海道)からアメリカのノームに向かって第一歩を踏み出ました後、アメリカ各都市~南米各国~スペイン~イタリアを訪問。カルカッ夕~バンコク~台北を経て10月20日、羽田に無事帰還。飛行時間は194時間、飛行距離は5万2860キロに及び、故障もなく飛んで、日本の航空機の性能の高さを世界に知らしめました。

 毎日神社には天照大神(あまてらすおおみか●IMG_0258トリ.jpgみ)、大山咋命(おおやまくいのみこと)が祀られ、「ニッポン号」の世界1周飛行安全祈願をしたお守りが収められています。

 10月21日に行われる例大祭が、関係者へのお披露目になります。

(写真は毎日新聞社東京本社総務部提供)

 「今年最大級」。不気味な称号を与えられた台風18号は、6日午前8時過ぎに浜松市に上陸した後、関東地方を横切り、各地に激しい雨を降らせ、首都圏の交通網を大混乱させました。避難勧告などもあちこちで出され、ご苦労された方も多かったことと思います。心からお見舞い申し上げます。

 パレスサイドビルも、雨に備え、厳戒態勢で臨みましたが、幸い、大きな問題もなく台風は通過し、昼過ぎには雨も上がって、西の空から青空が広がり始めました。風はなおしばらく強かったものの、午後1時を回ると、青空が空全体に広がっていきました。

 昼休み、屋上に上がって状況を点検した同僚が、西の方角に目を向けると、北の丸公園・九段方面の向こう側に、富士山の姿を確認=写真㊤、iPadで撮影。普段、なかなかこの季節にはお目にかかれませんが、台風一過、汚れた空気を一掃してくれたからでしょうか、随分久しぶりにお会いできた気がします。日本人は、やっぱり、富士山が大好き。その雄姿を拝むとホッとします。台風はなお東北・北海道に向かっています。どうか、被害が出ませんように。富士山様、お願いします。

 もう1枚、朝方7時ごろ、出勤途中の同僚が地image.jpeg下鉄東西線・葛西駅の様子を撮影しました=写真㊨。ちょっと暗かったので、ピントが十分に合っていませんが、線路がかなり冠水し、水しぶきを上げて列車がホームに滑り込んできたところ。水をかぶらないよう、乗客はホームの端に避難しているので、ほとんど無人のように見えるのが不気味です。実は、大混雑だったそうです。

 東西線は午前9時37分に全線で運転を見合わせ、その後、東陽町~中野の折り返し運転になり、東陽町~西船橋は12時37分まで運休していました。でも、この写真の時間は、運休していなかったんですって。ホームの半分以上、水が来ていて電車はかなり深く水に浸かってますけど、これで走ってるのが凄い! なんでも、この時間帯は風がまだ強くなく、風が出た9時半以降にストップしたようです。素人には、よくわかりませんが、いずれにせよ、出勤に苦労された皆さん、お疲れさまでした。

 竹橋からも近い両国の回向院(墨田区両国2‐8‐10)で江戸時代から行われていた勧進相撲を舞台にした落語「佐野山」は、10代目金原亭馬生(1928~1982年)の爆笑ネタでしたが、その馬生は父が5代目古今亭志ん生、弟は3代目古今亭志ん朝という血筋で、長女は女優の池波志乃。若いころ、腸の病気で大手術をしてから死生観の変化により予科練志願から転じて落語家になろうと父に入門。ただ、父からは少しも稽古をつけてもらえなかったため、却って独流で噺を練り上げたりすることで独自の芸風を磨きあげたといわれます(写真はCD「名演集」のパッケージから)。

 「佐野山」は相撲の四股名あるいは年寄り名跡で、歴史を経て年寄り「佐ノ山」株を小錦が持っていた時期もあったのは、前回書いた通り。現在は元大関千代大海が佐ノ山親方として九重部屋所属です。

 力士では何人かが名乗った記録があり、一人は江戸時代の文化年間の佐野山庄兵衛(1767年~没年不詳)。山形県出身で、地元紙の荘内日報社(山形県鶴岡市)のサイトにある「郷土の先人・先覚」のページによると、庄兵衛は現在の酒田市出身で、1807~1811年に佐野山を名乗ったそうで、幕内と幕下(十両格)を行ったり来たりという余り強い力士ではなかったようです。もう一人は佐野山幸吉(1835~1900年)で、今の千葉市出身、(1869年4月~1877年12月まで前頭に在位したようです。

 落語はフィクションで、史実と違うと突っ込みを入れても仕方ありませんが、念のため書くと、上記2人の力士・佐野山は2代目谷風(1750~1795年)とは年代が合いません。また10代目馬生の「佐野山」では初代木村庄之助が行司で登場しますが、これもあり得ません。初代庄之助は寛永年間(1624~1643)の行司。2代目谷風が横綱時代の庄之助は7代目で、寛政期(1789~1800)の名行司として知られ、1771~1799年まで最長の29年間、立行司の座を守ったそうです。

 ま、細かいことは言いっこなしですな。

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