【2012年6月】のアーカイブ

 

検閲によって発禁等の処分を受けた書物を集めた展示会「出版検閲と発禁本」(明治大学駿河台キャンパスの中央図書館1Fギャラリー)を、先日(6月12日)、このブログで紹介しましたが、展示作品の中に椋鳩十さんの本があったのに興味をひかれました。椋さんといえば、教科書で「耳の大鹿」を読んだのが最初でした。他にも「大造じいさんとガン」など、数々の動物の物語に幼い胸をときめかせたのを覚えています。日本の児童文学、動物文学の草分け的な人ですね。

問題の発禁本が写真の「鷲の唄」=写真。1933(昭和8)年4月に自費出版された「山窩調」(さんかちょう)に新作を加え、同年10月に春秋社から刊行されました。

山窩とは、定住せず山間を移動しながら生活していた山の民で、戸籍がない人も珍しくなかったとか。ヨーロッパのロマのイメージといわれます。本の題にもなっている「鷲の唄」は、鷲に幼児をさらわれ、取り返そうするも返り討ちにあってしまう、ちょっと怖くて悲しいストーリーですが、鷲が体現する自然の神々しさに圧倒されます。また、やっつけられてもたくましく生きていく自由な人々(山窩)の大らかさは、清々しささえ感じさせます。

これがなぜ発禁に? 戦前の「出版法」は「安寧秩序ヲ妨害」する社会主義思想などにとどまらず、「風俗ヲ壊乱」する文書図画を禁じていました。山窩の定住しない(管理されない)生き方(椋さんは奔放な「性」も描いています)が、お上には目障りだったのでしょう。

これら発禁本を収集して明治大に寄贈したさん城市郎(じょう・いちろう)さんはパラフィン紙のカバーをかけ、メモを書き込んでいます。「鷲の唄」には「昭和81015日発行/1028日 風俗禁止/山窩の原始的生活を耽美的筆致を以て描く/1500部発行 155部差押」とあります。発禁処分といっても、差し押さえられたのは1割くらいで、1300部以上が回収されなかったのが意外であり、ちょっと痛快でもあります。

 展示会は7月22日まで。明大へはパレスサイドビルから約10分。

 パレスサイドビル1階、正面玄関脇オープンスペースの壁に7月13日(金)から24日まで東京ドームで開かれる第83回都市対抗野球大会の大きな組み合わせ表が張り出されました。

 毎日新聞社などが主催する都市対抗野球大会。昨年は東日本大震災の影響による電力事情などを考慮して会期を10月下旬からに遅らせ、会場も京セラドーム大阪に変更して行われましたが、今回は2年ぶりに東京ドームの「真夏の球宴」となり、出場32チームが黒獅子旗(優勝旗)を目指して熱戦を繰り広げます。

 昨年の大会では初出場のチームはありませんでしたが、今回は創部4年目の名古屋市・ジェイプロジェクトが新顔として登場します。名古屋や東京などでチェーン展開する居酒屋さんのチームで、選手たちは昼に野球の練習し、夕方から居酒屋で働いているそうです。エースの井田頌二投手は名古屋駅前の居酒屋の厨房で焼き鳥などを焼く調理を担当、主将の神戸宏基選手は名古屋市の栄の店舗で接客などをしているといい、全国から集まる強豪に(ビールやハイボールでない)一泡を吹かせることができるか注目が集まります。

 また、昨年優勝の東京都・JR東日本が半世紀ぶりの連覇を達成するか、黒獅子旗を過去3度手にした垣野多鶴監督が率い、昨年準優勝の東京都・NTT東日本が栄冠を勝ち取るか、強豪横浜市・JX-ENEOSが最多の10回目の優勝を果たすか、最多54回の出場を誇る大阪市・日本生命の戦いぶりは?などチームの話題も豊富な大会です。さらに過去最多の通算14本塁打に王手をかけている40歳のベテラン狭山市・Hondaの西郷泰之選手が本塁打記録に並ぶか、どの選手がプロ野球のスカウトの目にとまる活躍をするかなどこれまで同様、興味は尽きません。

グラウンドだけでなくスタンドでの各チームのチアガールらによる趣向を凝らした応援合戦も見ものです。大会期間中、贔屓のチームを応援しに、選手たちの熱い戦いを見に、東京ドームに足を運んでみてはいかがですか。

 皇居東御苑の平川門近く、パレスサイドビル前に、「太田道灌公追慕の碑」があります。昭和11年7月、東京市長・牛塚虎次郎が造ったもので、その石碑には、「寛正五年春 江戸ノ城将太田道灌公カ上洛参朝ノ際 居城ニツキ 勅問に奉答シタルノ歌ニ

       吾庵は松原つつき海ちかく富士の高嶺ヲ軒端ニソ見ル

ノ一首アリ 城ハ東ニ川ヲ帯ビ南ハ海ニ臨ミ西ハ丘陵起伏シテ 遥ニ富士ノ秀峰ヲ仰ク」と書かれています。この和歌は、道灌の和歌のうちでも最も有名な一首。現在の東京から「遥かに富士の秀峰を仰ぐ」ことは難しいのですが、道灌は関東一の名城といわれる江戸城内のどこで、この歌を詠んだのでしょうか。

道灌は江戸城築城の候補地として、不忍池の北側の上野台地、麹町台地、品川・御殿山、馬込などを選び、その中から長禄元年(1457)、南の日比谷入江を見下ろす麹町台地(現edozue.bmp在地)の江戸氏の館跡に築城しました。現在の皇居東御苑に遺る天守台の近く、宮内庁書陵部付近です。北には神田の山、東に平川(現在の日本橋川)が流れ、西は沼(溜池)という、城としては最適な地形でした。

城郭は高さ約20~30mの崖の上に建ち、本丸の根城、二の丸の中城、三の丸の外城の三区画に分かれていました。根城が中心で、ここに道灌の館である「静勝軒(じょうしょうけん)」という高閣、いわば金閣、銀閣のような望楼がありました。品川から浅草、隅田川まで眼下にあり、富士山、筑波山が遠望されました。静勝軒は「天守」に匹敵するもので、道灌はこの望楼から、富士の白雪も眺めることが出来たのです。現在の富士見櫓が残るところと言われています。

その道灌は江戸城築城に続き、相模、武蔵などで目覚ましい戦功をあげましたが、主君の猜疑心から、文明18年(1486)7月に、現在の神奈川県伊勢原市で暗殺されました。

 いま人気のうどん店「つるとんたん」の六本木店http://www.tsurutontan.co.jp/roppongi/)の2階に不思議な空間があります。座敷の横に檜風呂があるのです。いや、檜風呂の横に座敷がある、といった方が正解かも知れません。

 パレスサイドビルからタクシーで15分くらい。六本木通りとの交差点近くの外苑東通り沿い、ビルの1階と2階に同店はあります。カップルや若いグループが1階フロア前で行列ができるほどの人気です。予約客を入れる2階の個室の一つ「楽精庵」が話題の部屋です。檜風呂があり、その向こうに茶室があり、そして座敷があります。普通の座敷の個室が3つはできるスペースに1つだけの座敷があるのです。

 ムダだと言えばムダなスペース、意味がわからない、といえば全く意味不明の空間です。窓の外には車がビュンビュン走っていますし、向かいのビルからは丸見えです(もちろん見えないようにはできます)。

お風呂のわきには手ぬぐい、浴衣が用意されています。「入浴した方はいらっしゃるんですか」と店員さんに聞くと「ある男性シンガーなど何人か入られています」とのこと。接待用に使えば、最初の15分はお風呂の話題で持ちます。最近はテレビのバラエティや対談番組の撮影でも使われているとか。いやぁ、不思議な空間です。

 今や夏の風物詩にもなったパレスサイドビルの七夕飾り。今年も25日から7月7日までの予定で、地下1階、1階の商店街にお目見えしました。

同ビルにある飲食店、商店の有志で組織する名店会(会長・中島潜赤坂飯店社長)が少しでも季節を感じ、日本の庶民の伝統行事を楽しんでもらおうと5年前から始めたもので、5月の鯉のぼり飾りとともに行きかう人々の目を楽しませてくれています。

ビルの地下1階中央廊下の吹き抜け部分の天井からは15本の大きなぼんぼりが垂れさがり、その下に笹と竹を模したパイプで組んだ小さなやぐらに色とりどりの七夕オーナメントが飾られています。やぐらなどには皆さんの願い事が書かれた短冊が吊るされています。この短冊は七夕が終わった後、神田明神に法のされる予定です。また、加盟各店の入り口の上部には小さな笹の七夕飾りも出されています。

 今年が同会結成45年になるのを記念して、2日からはほとんどの加盟各店で、毎日ビルディング賞のディズニーリゾートのパスポート券がペアで計45組をはじめクルーズ食事券がペアで計10組、加盟各店で使える金券などが当たるお楽しみのくじ引きもあります。今年もビルで大いに楽しんでください。

 

 

 

梅雨の合間、皇居周辺は多くのランナーの姿が見られます。竹橋のパレスサイドビルのロッカー&シャワー施設「ランピット」も盛況ですが、走る皆さんのウエア、シューズのファッション性にも感心させられます。

ランナーたちも愛好する、ある世界的スポーツ用品ブランドの靴が、発売中止になる騒動が起きたそうで、ネット上でちょっと話題になっています。

ファッション関連サイト「Fashionsnap.com」によると、このブランド8月発売予定の新作=写真、Fashionsnap.comから=の画像を公式Facebook(フェイスブック)に投稿したところ、チェーンがつながれている奇抜なデザインに対し、「奴隷制度を思わせる」「見苦しい」など批判的なコメントが殺到し、"炎上"状態になり、結局、販売中止が決まったそうです。

このブランド、私も好きなんですが、ここ1年ほどの間に、良くも悪くも、何度か話題になりました。昨年5月、日本法人の女性社員がツイッターに契約サッカー選手を中傷する内容を投稿し、同社が謝罪。8月には、シューズを履いた男性が駆け抜けると、ワンピースを着た女性(グラビアアイドルの黒澤ゆりかさん)のスカートが大きくめくれ上がるプロモーション動画が人気を集め、投稿サイトYoutube(ユーチューブ)で半月の間に30万回以上再生されました。

今回の騒動を含め、ネット時代ならではの話題ですね。情報が瞬時に国中、世界中に広がり、時に大きなリアクションを呼ぶ。宣伝効果は抜群。でも、マイナスイメージが打撃になる恐れが常にある。一方、良くない話でも、その後の対応がかえって評価される場合もある......。

今回は、6月14日の画像アップから数日で発売中止を決めた素早さが、結構評価されている感じもします。一昔前なら、新聞や雑誌に広告写真が載って問題になって販売を中止した時は、メーカーは大量の在庫を抱え、その間の宣伝広告費も含め大損することになったかもしれない、だから、今回はフェイスブック"炎上"が製品の生産が本格化する前だったことで、結果的に被害を回避できた――ネット上にこういう趣旨の論評がありました。そんなことも含め、ネットを上手に活用する力が求められる時代のようです。

サイン.JPG 『継往開来』と講演記念ノートにサインされた程永華駐日中国大使。日中国交回復40周年を記念して21日、帝国ホテルで開催されたアジア調査会(事務局、パレスサイドビル内)でのことです。過去を引き継いで未来を開いていこう、という意味だそうです。

 「貿易額は輸出、輸入がそれぞれ3000億㌦代後半で、40年前に比較して300倍に増えました。人的交流も1万人程度だったのがもうすぐ600万人を超えることになります。戦略的互恵関係を基盤に『一衣帯水』の隣人同士の関係はさらに深めなければなりません」と語っています。

 日中国交回復に尽くした中国の政治家であり歴史学者の郭沫若氏の「二千年の友好、五十年の干戈(かんか、戦争の意)」という言葉を引用して、お互いの理解をさらに深めあうことの重要性を強調していました。「たいへん敏感な問題について一部の人たちの挑発に乗ることなしに、双方とも慎重にそれぞれの国民感情に対処していくことが大切です」として、尖閣列島の問題にも間接的な表現ながら触れていました。

 「国交回復から40年が経過して『四十にして惑わず』といきたいですが、まだ少し惑っているようです。『成熟』の過程に入っていけるように努力していきましょう」と締めくくった講演は、すべて通訳なしの日本語でした。

  東京・大手町の内堀通りと永代通り交差点の「りそな・マルハビル」の解体作業が始まっています。地上24階、地下4階のオフィスビルは1978年に開業したもの。2008年に三菱地所の特定目的会社がビルを取得し、2010年に27%をJXホールディングスに売却しました。りそなはすでに江東区深川に移転、ニチロマルハも同区豊洲に引っ越しています。

 解体された後、2013年から2016年にかけて隣接の三菱東京UFJ銀行大手町ビル敷地と併せて、高層ビルが2棟建設される予定です。完成後にはJXグループなどが入居することになっています。

 その「りそな・マルハビル」の解体手法として使われるのが、だるま落とし工法です。ビルを下のフロアから少しずつだるま落としのように抜いていくという独特の方法で、鹿島建設が開発したカットアンドダウン工法です。2007年から2009年にかけて東京・赤坂の同社本社ビル3棟を世界で初めてこの工法で解体しました。

 地震などでの倒壊防止のためにコアウォールで内部を補強してから、ジャッキで固定→地上に近い作業階を解体→ジャッキを降ろして上層階を降ろす→新たな作業階を解体、の作業の繰り返しです。

 騒音や粉じんが少なく、廃材をリサイクルしやすく、高所作業の危険性もなく、まさに地球にやさしい解体工法です。「りそな・マルハビル」では今、解体に向けての内部作業をしています。もう少しすると、だるま落としに入っていきます。1フロアずつ背が小さくなっていくので、パレスサイドビルの屋上から観察しても最初は気がつかないかも知れません。でも24階のビルが20階以下になったころには「あれっ」と誰しもが思うでしょう。お昼休みにパレスサイドビル屋上から定点観測してみてはいかがですか。

 白いアジサイのような花が咲き始めました。パレスサイドビルの南側、皇居東御苑内二の丸雑木林の中で、これから周りを明るくしていこうという勢いも感じさせる咲き方です。ノリウツギ。アジサイ属ですからアジサイに似ているのは当たり前ですが、ほとんどのアジサイは一つの花のかたまり(花序)が球形なのに対しノリウツギは円錐形なのが特徴のようです。

漢字で書くと糊空木。枝の茎がスポンジ状で空洞のようにスカスカであることから「空木」、「糊」は水につけた樹皮の内側から溶け出た粘液が和紙を漉くときの糊として使われたことからその名が付けられたそうです。楮(コウゾ)が和紙の原料ですが、ノリウツギの糊で漉くと紙同士がくっつかなくなり、腐りにくいようです。

秋に近くなるとガクの裏側が赤く色づき表の白い色との見事なコントラストも見ものです。さらに、花が枯れてからも茶色になりながらも翌年まで残ります。このため、ある地方では娘がお嫁に行くときに親が「ノリウツギの花が無くなるまで帰るな」と言って送り出すそうです。ノリウツギの花を例えて言えば「花の命は長~くて......ことは多かりき」となるのでしょうか。

 橋本龍太郎元首相が亡くなって丸6年。元秘書官や元担当記者らが編集した『61人が書き残す 政治家 橋本龍太郎』が文藝春秋企画出版部から刊行、市販されました(定価、税込み1995円)。中曽根康弘元首相が自民党行財政調査会長として土光臨調を支えた橋本氏を悼む一文を寄せたのをはじめ、米軍普天間飛行場移設の日米合意について当時の官房副長官、古川貞二郎氏や首相補佐官だった岡本行夫氏、それに大田昌秀元沖縄県知事らが秘話をまじえて執筆するなど、日本現代政治史の一流資料になる寄稿も多いうえに、アルピニストの野口健氏、ミシェル・カムドシュ元IMF専務理事ら多彩な方々が寄稿されているのが特徴です。

 若くして厚生大臣になり、時の武見太郎・日本医師会長との丁々発止の論争で華々しくデビューした橋本氏は首相時代に省庁再編や金融ビッグバン、ユーラシア外交などの5大改革を手がけ、日本政治史に大きな足跡を残しました。「決断しない総理」が続き、政治不信が深まる現在、「決断した総理」の業績をもう一度振り返ることは意味があるのではないでしょうか。本のご購入問い合わせは編集幹事の一人である一般社団法人アジア調査会の常務理事、長田達治(電話:03-3211ー1616)へ。アジア調査会はパレスサイドビル4階にあります。

  交番といえば「こち亀」という人も多いでしょう。「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(秋本治・作週刊少年ジャンプ1976年から連載されている超長寿コミックで、単行本は6月4日に180巻が出たところです。主人公の「両さん」こと両津勘吉巡査長らユニークな登場人物が次々に大騒動を巻き起こしますが、根底に古典落語に通じる人情が流れているのが人気の秘密といわれます。

スカイツリー開業には両さんも感慨深げに、「子供が育つように完成を楽しみにしていたんだよ」と語っています(「ジャンプ」521日発売号)。

葛飾区に亀有公園はありますが、亀有公園前派出所(交番)は実在せず、亀有駅北口交番がモデルとされます。1994年の法改正で派出所は公式には「交番」とされましたが、漫画のタイトルは「派出所」のままです。

亀有公園前派出所は連載開始から10数年間、実在の「亀有警察署」所属でしたが、本物はまずいということか1990年代になって当時なかった「葛飾警察署」に修正。さらに2002年に本田(ほんでん)警察署が改称して本物の葛飾警察署が誕生すると、作中で「新葛飾警察署」へ名称変更――など、こち亀に関する蘊蓄(うんちく)は、ネットで検索すれば、いくらでも出てきます。この手の情報を一通り概観するのに便利なフリー百科事典「ウィキペディア」にも項目が立てられていますが、写真のように、一時はページの冒頭に「一部または全体を削除することが審議されています」「著作権侵害が指摘され、現在審議中です」とのお断り文が掲示されました(511日撮影)。作者や出版社とトラブったのかと心配しましたが、その後、この表示は消滅し、5月と比べた変化は、「実在の事件や社会・時事問題」の項目に、「AKB48とそのメンバーが実名で登場している」などの記述が追加されたくらいのようです。

こち亀の「少年ジャンプ」を発行する集英社はパレスサイドビルから歩いて数分、多くの出版社が集まる神保町の交差点近くにあります。

 昨年3月の東日本大震災で台湾の方々から心のこもった多額の義援金が送られてきたことを覚えていらっしゃる方も多いと思います。この5月には台湾の鴻海精密工業がシャープの堺工場を共同運営、中国でもシャープと共同事業を始めることに合意するなど、日本企業と台湾企業の密接な関係が際立ってきています。専門家は「日台アライアンスの深化」と言っています。
 パレスサイドビル4階に事務局がある一般社団法人アジア調査会は中国と台湾のFTA(自由貿易協定)にあたるECFA(両岸経済協力枠組み協定)発効2年を迎えるのを前に、7月10日に東京・内幸町の日本記者クラブで国際シンポジウム「ECFAその後と日本・台湾・中国関係」を開催します。台湾から専門家が来日、討論に参加します(日中同時通訳)。今、シンポジウムの参加者を募集しています(150人入るホールで、先着順)。参加費は無料です。2010年8月に開催された「ECFAと中国・台湾関係」シンポジウムには100人を超す聴衆がつめかけました。興味のある方はアジア調査会のHP(
http://www.aarc.or.jp/koen/koen.html#koen-sinpo-TOPlabel)をご覧下さい。問い合わせは03-3211-1616。

2012

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陸のゴンズイ

 白い小さな花から小さな実を付けようとしていました。パレスサイドビルすぐ南、皇居東御苑内「緑の泉」西側に生えている「ゴンズイ」。秋になると赤い果皮の中に黒い実がなり、赤と黒が鮮やかな対比を見せてくれます。

ゴンズイと聞くと、海で釣りをする人などはギョッとするかもしれません。痩せたナマズのような体形で口ヒゲがあり、背びれには毒のトゲを持っています。うっかり触ると刺されて、あまりの痛さに七転八倒させられる魚、ゴンズイと同じ呼び名ですからね。

陸のゴンズイの方はトゲも毒もありません。毒どころか、中国では花は痛みを和らげ、頭痛を治し、根は悪寒を治め炎症を抑制するなどの効能で、薬用価値があるとされています。ところが、日本では春先に枝を切ると樹液があふれ出し、材は脆くて役に立たないことから、同じように役に立たない魚、ゴンズイからその名が付けられたという説があります。この木にとっては何とも迷惑な命名です。

学名はEuscaphis  japonica(ユースカフィス ジャポニカ)で、これもジャポニカがついた植物です。Euscaphisはギリシャ語で「良い小舟」という意味だそうで、「俗名でなく学名で呼んでほしい」とゴンズイは思っているかもしれませんね。

戦前戦後、検閲によって発禁・押収などの処分を受けた書物を集めた珍しい展示会が、明治大学中央図書館1Fギャラリー(千代田区神田駿河台1-1、明治大駿河台キャンパス内リバティタワー)で開かれていると聞き、パレスサイドビルから10分ほど歩いて見てきました。

展示会の名前は「城市郎(じょう・いちろう)文庫展―出版検閲と発禁本」(写真はポスター)。発禁本蒐集の第一人者として知られる城市郎氏が明治大に約7000点の蔵書を寄贈。今回はその一部が公開されました。

1903(明治36年)、日光・華厳の滝に身を投じ、「インテリの自殺」として話題になった旧制一高生の藤村操を詐称した偽書で現在数点しか所在が確認されていない奇書「煩悶記」が最も希少なもののようです。ほかには小林多喜二「蟹工船」、幸徳秋水「平民主義」など戦前の左翼系の書籍、雑誌が多く見られます。また、風俗を乱すとして江戸川乱歩「蜘蛛男」は、5100字の削除・改定を命じられましたが、今回は削除されていない完全版が展示されています。他に、戦後の「チャタレー夫人の恋人」なども見られます。

「日本の出版検閲の歴史を振り返るとともに、現代のメディアについて考える機会となれば」と、戦前の出版法規と検閲の概略や、大逆事件と言論弾圧についての解説などのパネルも展示されています。

722日まで、平日は8時半~22時まで開いているので、会社帰りにも余裕で見られます(土曜8時半~19時、日曜1017時、629日は休館。入場無料)。でも、酔っ払って行かないでくださいね。

  一日10万人の観光客が訪れる東京の新名所、東京スカイツリー(高さ634㍍)。パレスサイドビルの屋上からもよく見えます。

 そのスカイツリーのふもとに東京ソラマチがあります。すみだ水族館などが入っている5階建てのソラマチビルと、31階建てのスカイツリーイーストタワーの商業スペース部分がソラマチです。スカイツリー関連商品を売る土産物店は毎日行列ができています。スカイツリーの経済効果は素晴らしいものがあります。

 どのレストランの前も同じように行列です。もちろんスカイツリー側のお店、そしてスカイツリー側の席の予約を取るのは大変です。近すぎてなかなか全体像を眺めるのは難しいみたいですが...。はるか向こうにライトアップした東京タワーが小さく見えます。

 その天空レストラン「Top of TREE」では、オードブルを出すのにツリー型の台を使っています。このツリー型の台もスカイツリーのライトアップと同じように、内蔵した照明で色が変化していきます。なかなかオシャレな演出で、ディナー客を喜ばせています。

 7月に入れば夏休み。首都圏以外の観光客も増えそうです。海外からのツアーにも組み込まれているとか。スカイツリー人気、ますます高まっていくことでしょう。

 パレスサイドビルすぐ近くの北の丸公園で、余韻いっぱいのソフトで甘美な音色が木々の間を流れていました。西洋のこぎりの形をしたミュージカルソウという楽器の調べです。そう、です。金属の板をバイオリンの弓でこすったり、マレットでたたいたりして演奏し、漫才の横山ホットブラザースが「お~ま~え~は~あ~ほ~か~」とたたいて笑いを誘ったあの楽器です。

 コントラバス用の弓を持って弾いていたのは文京区音羽に住む鈴木浩二さん(84)。平成5年にミュージカルソウに出会って以来、とりこになり、教則本も教室もないためほとんど見よう見まねの独学で演奏を習得したのだそうです。「ピアノのように鍵盤がなく、金属の板を曲げる強さ、角度で音程を変えるので、耳で確かめながら練習したのです」と話していました。詩吟をやっていた妻を3年前に亡くしたそうですが「音程がよかった妻が一番の先生でした」とも。介護施設や地域のイベントなどに呼ばれて演奏することもあるといい、「宵待ち草」「荒城の月」「影を慕いて」などスローテンポの曲が得意だそうです。

陽気がいい時には自転車のペダルをこいで北の丸公園や皇居前広場をはじめ近くの公園などに出かけ、木陰で一人で練習をしているとか。「野外で弾いた方が音もこもらないし、気持ちがいいのですよ」と話し、ラジカセから流れるカラオケ伴奏に合わせて気持ちよさそうにミュージカルソウを演奏していました。北の丸公園はアマチュア音楽家にとって一人で練習する格好の場所にもなっているようです。

 久し振りにまた交番の話を。

 竹橋のパレスサイドビルを管轄する交番は麹町警察署の九段下交番です。以前は、パレスサイドビル西側駐車場出口のところに「竹橋交番」がありましたが、交番の統廃合に伴い、警察官が常駐しない「竹橋地域安全センター」となっていることは、118日のこのブログで紹介したとおりです。

 さて、交番って、いつからそう呼ばれているか調べてみたところ、1874(明治7)年、東京警視庁が設置され、警察官を東京各地の「交番所」に配置したのが始まりということです。警察官が「代で屯所(いまの警察署)から赴いて立「」などをする場「」=「交番所」となりました。1881年から正式名称は「派出所」とされましたが、「交番所」、略して「交番」を使う人も多く、百年以上も二つの呼び方が混在していました。そして、199、「派出所」を「交番」に改める法改正が行われ、名実ともに「交番」になりました。

 ちなみに、日本の警察の基礎を築いたのが、警視庁誕生で初代大警視(後の警視総監)に就任した川路利良(かわじ・としよし)=写真=です。薩摩出身の川路は西南戦争(明治10年)に際し、郷土の英雄・西郷隆盛に従って下野するとの見方があったものの、「私情においては忍びないが、国家行政の活動は一日として休むことは許されない」と職にとどまりました。それどころか、密偵を薩摩に送り込んで情報収集に努め、西郷暗殺を企図したとの説まであります。

 鹿児島では今も「セゴドン(西郷さん)」が圧倒的に慕われ、西郷と対立した大久保利通も川路も、人気はさっぱりです。

  パレスサイドビルのある竹橋駅から地下鉄東西線を10分ほど乗ると早稲田駅です。西口で降りて、馬場下町交差点を若松町交差点の方に登る道が夏目坂通りです。夏目漱石の父親が自宅前の道を夏目坂と命名したといわれています。交差点から交差点まで690㍍です。

 漱石の随筆「硝子戸の中」に、「父はまだその上自宅の前から南に行く時に是非登らなければならない長い坂に、自分の姓の夏目の名をつけた。不幸にしてこれは喜久井町ほど有名にならずに、ただの坂として残っている。しかしその間、或人が来て、地図でこの辺の名前を調べたら、夏目坂というのがあったと云って話したから、ことによると父の付けた名が今でも役に立っているのかもしれない」と記しています。

 「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」で明治の文豪といわれる漱石ですが、教員生活やロンドン遊学、そして朝日新聞に籍を置いた時代もありました。本郷から早稲田南町に引っ越して「三四郎」「門」「心」「道草」などを発表、「明暗」執筆中の大正512月に50歳で亡くなりました。

 生誕の地には「夏目漱石誕生之地」と刻まれた黒御影石の記念碑が建てられています。また終焉の地は新宿区立漱石公園となり、平成3年に富永直樹作の胸像が出来上がりました。

 明治から大正にかけて数々の名作を世に出した日本近代文学の巨匠は、早稲田に生まれて、早稲田に死したのです。

 パレスサイドビル西側の清水濠に架かる竹橋わき石垣の下にある小さな排水口から、時々水が流れ出ているのに気が付いたことがありますか? この水は下水ではありません。近くの国立公文書館、東京国立近代美術館の地下から湧き出る水を流しているのです。

 国立公文書館によりますと、地下4階まで書庫になっているのですが、地下からは水が湧き出ており、ほおっておくと資料が水浸しになってしまいます。このため、地下123mのところに設置した大きな水槽に貯めて、一定の水位に達するとポンプアップして排水しています。地下水は34日で水槽がオーバーフローしてしまうほど湧き出ており、水槽からは1時間に約10トンの水を流しているそうです。

 東京国立近代美術館は地下2階に湧水をためるタンクがあり、10日に1回の割でポンプアップして流しているといいます。

 どちらも地下水のきれいな水を流しており、少しは清水濠の浄化に役立っているのかもしれません。しかし、石垣下の排水口wakimizu.jpgから下水を流しているのでは、との誤解を受けないようするためなのか、竹橋の西詰の植え込みにはこんな小さな札が立っています。「排水について 清水濠下水口の排水は当館の地下湧水です。千代田区北の丸公園32 国立公文書館庶務課」

 こぶしを握って思いっきり怖い顔をしている「おこりんぼ」クン。

 北欧ノルウェーの首都オスロの観光名物です。フログネル公園の中にあるヴィーゲラン彫刻公園。彫刻家グスタフ・ヴィーゲランの作品212点が32万㎡の敷地内に配置されています。「人生の諸相」をテーマにしたブロンズ像や花崗岩の彫刻の数々、その中でもひときわ人気なのが「おこりんぼ」クンです。「プン!プン!」と怒っている声が聞こえてくるようです。

 あなたのそばにも、こんな「おこりんぼ」クンはいませんか?

 この公園で一番大きいのは「モノリッテン」という像です。121体の男女や子供が重なって一つの塔になっています。高さ17㍍です。そのほかにも、「子育てする父親」など時代を先取りしているような彫像が並んでいます。

 北欧ノルウェーへは、パレスサイドビル内にある毎日旅行をご利用ください。

 ヴィラーゲンの作品は、日本では札幌芸術の森野外美術館にも公開展示されています。「トライアングル」「母と子」「男と女」「木の枝をすべりぬける女」「腰に手をあてる男」の5作品です。すごく親しみのもてる彫刻ばかりで、見ている者を飽きさせません。

 

東京スカイツリーに行きましたか? 展望台は簡単に登れませんが、真下から見上げ、周辺から眺めるのは自由。パレスサイドビルがある竹橋からは地下鉄東西線―半蔵門線を乗り継いで15分ほどです。

さて、スカイツリーを盛り上げるキャラクターは、公式イメージキャラクター「ソラカラちゃん公式サイトhttp://www.sorakara-chan.jp/)が有名ですが、地元の「町おこし」の期待を込めたキャラもあります。

まずツリー南・東側の押上・業平橋地区(おしなり地区)の5商店会が2009年に送り出したのが「おしなりくん」(公式サイトhttp://oshinari.jp/)。公募で応募総数563点の中から選ばれ、「業平橋」の由来になった平安の歌人・在原業平をモチーフに、タワー形の烏帽子(えぼし)姿が特徴です。09年夏から、空き店舗を活用した観光案内所兼お休み処「おしなりくんの家」(墨田区業平2-15-6)も開設されています。

おしなりくんに対抗してツリー西・北側の吾妻橋・東駒形4商店街が20113月に送り出したのが「あづちゃん」(公式サイトhttp://www.azuchan.jp/)。墨田区の歴史、地元の店や職人に詳しい「小さな歴女」で、好物はもんじゃ焼き。吾妻橋地区商店街通り沿いに118月、お休み処「あづちゃん家 (ち)」(墨田区吾妻橋3-1-7)がオープン。

おしなりくん、あずちゃんとも、人形、ストラップ、タオル、菓子などキャラクターグッズが売り出されています。一番上の写真はあづちゃんお披露目の際に墨田区役所にソラカラちゃん(左から2人目)を含む3キャラクターが勢ぞろいした珍しいショットです(右に半分写っているのは江戸東京博物館の「ギボちゃん」)。

スカイツリーは年間3200万人が訪れると見込まれ、墨田区は地元に年間880億円、全国では1746億円の経済効果があると試算しているそうです。キャラクターたちにも大いに働いてもらい、ツリーが起爆剤となって日本全体が活気づくといいですね。

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