【2014年7月】のアーカイブ

 暑い暑いと言っている間に、明日から8月、あすは「八朔」です。少しは過ごしやすくなってくれるでしょうか。8月1日は語呂合わせでは花火の日、世界母乳の日、パイの日、麻雀の日、そしてパインの日ですが、もちろん果物なら八朔(ハッサク)でしょう。

 八朔は八月の朔日(さくじつ)、朔日とは毎月の第1日、ついたち、のことですが、英語ではnew moon、月と太陽の視黄経が等しくなること、また、その時刻のことで、現代的な定義での新月(しんげつ)と同義です。ただしこれは陰暦でのことですので、陰暦八朔は今で言えば8月30日~9月1日ころです。

 果物のハッサクもどちらかと言えば秋冬の果物ですが、9月くらいからは食べられるようになる、ということでハッサクの名が付いたと言います。

 また八朔は別名を「田の実の節供」とも言います。これは昔の人の語呂合わせなのですが、「田の実の節供」は「たのみの節供」「頼みの節供」で、収穫前に農家の人たちが田の神に供え物をして豊作を祈る行事でした。

 八朔は、二百十日、二百二十日と並ぶ悪天候の厄日で、三大悪日などとも呼ばれる日。台風など悪天候の多い日ともされていますが、旧暦の9月の時期は、稲作における収穫の直前の時期にあたるからと「頼みの節供」は考えられます。今でも「熊本の八朔祭り」や「福井の八朔祭り」に、この習慣は残っています。

 皇居東御苑には江戸城の名残があちらこちらに残っていますが、徳川家康が初めて江戸城に入った日が天正18(1590)年の8月1日(新暦8月30日)でした。ここから江戸時代、この日には、武士たちが江戸城に登城して将軍にお目見えする「八朔」の儀式がとり行われました。旗本1280px-Edo_P_detail.jpg・御家人・大名たちが、白帷子(しろかたびら)に長袴(ながばかま)をつけて将軍に祝辞を申し述べたといいます。

 やがて、この武家の白装束の登城の様子を模すように、遊郭吉原でも、遊女たちが白無垢の装束に身を包んで花魁道中を行うようになり、この豪華さの競争が江戸の町の話題をさらう年中行事となったそうです=メインの図版は八朔の日の吉原の遊女屋の風景、家康入城後の江戸城

 旧暦ならば、少し秋風の立ち始める9月の気候と遊女たちの白無垢が似合うのですが、今の八朔では暑さの盛り、いくら白無垢でも暑さが勝ってしまいますね。

 ビルの名前あれこれの話を4月14日の当ブログで書きましたが、久しぶりに続き。大阪です。

 3月7日、大阪市・天王寺駅前に全面開業した日本一の高層ビル「あべのハルカス」(大阪市阿倍野区、高さ約300メートル)があります。「安倍の」は地名の阿倍野。「ハルカス」の由来は「晴るかす」。平安時代に書かれた伊勢物語の第95段に出てきます。

 昔、清和天皇の二条の后の藤原高子に仕える男が、后に仕える女に求婚する話ですが、「いかで物越しに対面して、おぼつかなく思ひつめたること、すこしはるかさむ」という一節があります。男は女に求婚し続け、「何とかして物越しに(衝立かなにかを間に置いて)対面して、不安に思う気持ちを少しばかり晴々させたい」と言ったというくだりです。ちなみに、女が応じて対面すると、男は「彦星に 恋はまさりぬ 天の河 へだつる関を 今はやめてよ」と詠みます。あなたを恋しく思う気持ちは彦星にも優るから、二人を隔てる天の川の関所(衝立)を取り払ってください」と呼び掛けると、女は対面を許し・・・というハッピーエンドです。男の真心に惚れたのでしょうか。なかなかロマンチックな場面です。

 この「はるかさむ」=「人の心を晴れ晴れとさせる」にあやかり、ビルの上層階から晴れやかな景色を見渡して爽快感を味わえることや、多彩で充実した施設で来訪者に心地よさを感じてもらいたいという思いが込めているとか。「あべの」と冠して阿倍野の知名度向上とイメージアップも狙ったとか。

 大阪でもうひとつ。パレスサイドビルと同じ毎日ビルディングが管理する「毎日インテシオ」(大阪インテシオ2.jpg市北区梅田3丁目)を紹介します。毎日新聞大阪本社の敷地内の西側にあり、地上21階建て、高さ99.3メートル、延べ床面積3万2126平方メートルで、2007年8月オープン。写真㊧のように、同敷地の逆L字型の毎日新聞大阪本社ビル(写真の右側)に抱かれるように立つ兄弟ビルです。各フロアは東、北、西側の三方が横連窓でつながっていて、明るく開放的なオフィス空間を確保、非接触ICカードも導入、高度な耐震設計も取り入れています。「インテシオ」は、スペイン語の「intelectual」(知的)と「edificio」(建物)を組み合わせた造語で、情報発信基地としての役割を表現しています。(問い合わせは毎日ビルディング大阪本社☎ 06-6346-8833)

 話に脈絡はありませんが、ン十年前に住んでいた鹿児島のビルからも一つ。新幹線が止まる鹿児島市の表玄関、鹿児島中央駅東口のすぐ前に建つ「キャンセビル」です。塔屋に「ダイエー」のロゴがある通り、ダイエー鹿児島中央店がキーテナントとして入居しています。ベージュの壁面には「コキャンセビル.jpgカ・コーラ」と「さつま白波」のひときわ目立つ広告が以前はありました(今もあるんでしょうか)。駅前再開発によって、1999年6月に完成したビルです。

 1200点もの応募作の中から選ばれた「キャンセ」という名は、鹿児島の方言にちなんだもので、「来やんせ」、つまり「どうぞおいでください」「いらっしゃい」と呼びかける言葉なのです。

 ハイ、以上、話に落ちはありませんが、名前一つにも、いろんな思いが込められているわけで、人間の営みの濃さを感じます。

         

 メイン料理 - コピー.jpg昼食時2 - コピー.jpgきのう723日パレスサイドビル地下1階に『おきらく食堂』竹橋店がオープンしました。「マチの社員食堂」というコンセプトのもと、飯田橋・虎ノ門などオフィス街に展開している日本食堂です。東コア、東玄関、夢の階段、どのルートで地下に降りても分かりやすい場所です。

 店内の棚には肉じゃが、トリの唐揚げ、サバの味噌煮、肉野菜炒めなどメイン料理20種類が所狭しと並び、その奥には、冷奴、きんぴらごぼう、スクランブルエッグ、各種サラダを盛り付けた小鉢がこれまた30種類ほどギッシリと置かれています。煮物、揚げ物、焼き物、炒め物、和え物がバラエティ豊かに揃い、その種類の豊富さには圧倒されてしまいます。

 ランチタイムは、完全セルフサービス制。社員食堂よろしく、手にしたトレーに前記のメイン料理を1品、小鉢2品を棚から自由に選んで乗せ、仕上げに精算時にレジ係が盛り付けるご飯と味噌汁。ご飯と味噌汁は大盛りもお代わりも無料で、このボリュームで何と! ワンコイン(500円)です。また、50食用意したお持ち帰り弁当は1時間強で完売!大盛況でした。

 ランチ客の節約志向がますます顕著になってきた昨今、毎日来店しても飽きないくらいバラエティに富んだラインナップと財布に優しいのは我々サラリーマンにとって大歓迎のお店です。

 営業時間  平日 昼11時~15時 夜17時~23時  土日祭休

 22日、関東地方の梅雨明け宣言が出ました。いきなり暑いです。って言うか、この3連休から茹(ゆ)であがっちゃう感じです。冷夏をもたらすとされるエルニーニョ現象の発生も遅れて秋になるそうで、猛暑の予感です。

 昼休み、パレスサイドビルを出てみましたが、遠くまで歩く気にはなれず、皇居のお堀端の木陰にてちょっと休憩。皇居ランに励む人は相変わらず元気、元気。でも、心なしか、走り抜けるランナーの数は普段より少ない気がしました=写真㊤

 内堀通りを挟んだパレスサイドビル側の歩道には、ビル前200㍍の間に●DSC_2764.jpg50の百日紅(さるすべり)がピンクや赤、白のかせています。枝が張り出して影を作ってくれる木もあり、その陰でカメラを構えたら、外国人観光客とおぼしきカップルが通過しました。う~ん、やっぱり暑そうな顔してました=写真㊨

 この並木、道をいつも快適に利用できるようにと、東京都が提唱する「東京ふれあいロード・プログラム」に、パレスサイドビルが参加し、管理をしているものです

 さて、今年の梅雨明けは、昨年より16日も遅かったので、随分長かった気もしますが、平年と比べると1日遅いだけ。ただし、最終盤の19日夕方に猛烈な雷雨もあったように、雨量は多めで、梅雨入りした6月5日から7月21日までの降水量は、東京406.5ミリ(平年270.1ミリ)▽横浜404.0ミリ(同298.1ミリ)と、平年を大幅に上回っています。昔の梅雨の印象は、激しい降りというより、のべつまくなし降っていた印象があるのですが、近年は梅雨の期間中でもずーっと降るわけではないけど、ひとたび降り始めると激しいように思います。

 20日に中国・四国地方が梅雨明けし、21日は九州北部、近畿、東海地方まで明けましたが、不思議なのは関東は、なんで22日まで引っ張ったのかということ。向こう1週間の予報はず~っと晴れでしょ。21日の時点で「関東地方も明日梅雨明けの見込み」って、ニュースで言ってましたが、21日じゃいけなかったんでしょうか。

 ちなみに、気象庁のホームページの質問コーナーには「気象庁では、それまでの天候とその先一週間の予報とをもとに、天候が変わりはじめたと判断した場合に」梅雨明けを発表していると説明しています。今年は、概ね天気図も分かりやすいみたいですが、刃物でスパッと切るように、ある日突然梅雨でなくなるという判断ができるものでもないでしょう。だから、気象庁も気の毒ではあるんですね。梅雨が明けたと思って発表したら梅雨前線が復活したこともあるし、まだ明けてないと思って発表を控えているうちに真夏に なってしまって発表し損なったり、苦労しています。

 なお、気象庁は「梅雨明け宣言」なんて出していません。気象庁の発表を受けて、慣例として、新聞の「見出し」やテレビの最初の一言で、「宣言」と報道しているもの。で、気象庁の正式な発表は、新聞などの報道の本文にもある通り、「梅雨明けしたとみられます」という言い回し。時期も「〇月〇日頃」と、発表時点では断定せず、最終的に日付を確定するのは8月末か9月の初め頃だそうです。実際には、数日間(平均5日程度)の「移り変わりの期間」(遷移期間)を経て梅雨に入ったり明けたりするこ とが多く、遷移期間の概ね中日をもって「〇月〇日ごろ」と表現しているといいます。

 そんなこんなで、関東の梅雨明けは22日になったということのようです。そう考えると、多少、もって回った発表も仕方ないのでしょうネ。

 7月14日は「求人広告の日」でした。今は求人雑誌・情報誌が百花繚乱の時代ですが、もちろん求人広告と言えば本家は新聞です。パレスサイドビルに本社を置く毎日新聞の前身・東京日日新聞の1872年7月14日付(明治5年の旧暦7月14日で、西洋暦では8月17日と題字下に明記されています)が、日本初の求人広告が掲載された新聞です。きょうの毎日新聞朝刊は東京日日新聞から号数を引き継いで第49791号ですが、求人広告が最初に掲載されたのは第130号。東京日日新聞が産声をあげた1872年2月の創刊から間もないころに、既に求人広告がお目見えしていたことになります。

 きょうのブログのメーン写真がその東京日日新聞の第130号です。3段組みで、最初の記事は大蔵卿井上馨の「官書公報」、二番手が「司法省より文部省へ御達ニ相成候書面ノ写」で、最下段には郵便の出し方「宛名はしっかりと」といった駅逓寮(のちの郵便局)布告があり、かなり官報の趣が残っているのですが、最後から2番目の記事が「初の求人広告」でした。

 見出東京日日・求人広告 - コピー.jpgしは「報告」、文面は、「乳母雇入度ニ付心当りの者ハ呉服橋内元丹波守邸内天野氏へ御尋可被下候。本乳にして乳さへ宜しく候へば給金ハ世上より高く進ずべし」というもので、3行広告ならぬ4行の広告です。現代文に訳せば、「乳母を雇い入れたいので心あたりの者は(中略)御尋ねください。本乳にして乳さえよく出るならば給金は、世間並みのところより高く差し上げます」。なんと日本で最初の求人広告は、乳母となれる赤ちゃんのいる女性(の母乳)を探していたものでした。

 さて時代変わって、今年4月に話題を呼んだ米国でのネット動画キャンペーンの「求人広告」です......。

公開後わずか3日で、動画再生数は1,000万再生を超えたという動画で、中味は「世界で最も過酷な仕事」の求人をめぐる応募者と面接官とのやりとり。

 動画冒頭、「私たちは最も過酷な架空の求人募集を作った」とスタートします。ビデオチャット越しの面接官と応募者との会話のみでこの動画は進んでいき、徐々にその仕事の概容が明らかになっていきます。

・ほぼ立ちっぱなしで、体の丈夫さが要求される仕事であること。

・24時間週135時間の無期限労働の労働であること。

・「どこか座って休憩できる場所とかないの?」「休憩を取りたいということですか? 残念ですが、休憩時間はありません」

・昼食を取るなら、他の人の昼食が終わってからです。

・高度なネゴシエーション能力が必要で、医学・金融・調理のスキルが必要です。

・時には夜通しで取り組まなければいけない可能性があります。

・感謝祭の日も、クリスマスも新年も、業務上の必要があれば休みはありません。

 ここまでのやりとりを聞いた後、求職者は口々に「そんな仕事、無理に決まってる」「狂ってるよ」と答えます。さらに過酷な条件の提示は続きます。

・給与の支払はありません。完全な無償奉仕です。

 もはや「絶句」する求職者に、面接官は語りかけます。

「もうすでにこの職業について働いている方がいます。実際に10億人がこの職業についています」

 そうです。明かされるその職業の正体、その職業は「母親です」。その答えを聞いた求職者に笑みが浮かびます。これは「母の日」用のメッセージカードのコマーシャル動画でした。

 いつの時代も、どの国でも、求人広告の先陣を切るのは女性、母親のようです。

 また、パレスサイドビル手前味噌シリーズです。1月に出版された「いい階段の写真集」(BMC著、西岡潔・写真、パイ インターナショナル刊写真㊤は表紙を、まだ紹介していませんでした。このビジュアルな1冊に、パレスサイドビルが取り上げられたというお話です。

 本の帯には「非日常へといざなう らせん階段、優雅な手すりに見る職人技、美しい段裏・・・めくるめく階段の世界へようこそ。」とあります。著書のBMCは「ビル マニア カフェ」というグループで、「1950~70年代のビルがかっこいい!」という思いを同じくする大阪の5人(中心メンバーは大学の先生)で構成。1966年開館の当ビルは、まさにグループのコンセプトにピッタリ合うようです。

 さて、肝心の階段ですが、4ページにわたって紹●いい階段1.jpg介していただいているうち、最初の2ページ見開きで、1階中央廊下とB1階のコンコースをつなぐ吹き抜け空間の「夢の階段」が取り上げられています=写真㊧。キャプションを紹介します。

 「ステンレスの軸に編み込まれたネット状のステンレス線が、そのまま構造体となり、アルミの踏み板を留めて吊っているという驚きの工法。階段下に支える柱も必要なく、まるで宙に浮いたような錯覚に。」

 4月の当ブログで、ある雑誌に「夢の階段」が取り上げられたこと、また、「アナと雪の女王」に「夢の階段」にそっくりの氷の階段が出てきたことなどを書きましたが、この階段、建設の世界などでは相当な"有名人"なんだとか。

 このほか、3ページ目=写真㊨㊦=の1階正面エントランスの階段の紹介では、こち●いい階段2.jpgらも、B1階に下りる裏の男女トイレの境目の壁の円形のくり抜きや、手すりのカーブに注目するあたり、流石、目の付けどころが違うと感心します。

 それにしても、階段に特化した本が制作されるのは、素人にはやはりビックリです。他のいろんな面白い階段、変わった階段、美しい階段が紹介されていすので、古さの中にある味わい深さを、感じてみてください。

IMG_20140616_083516748.jpgDSC_0140.jpg

 パレスサイドビル地下1階中央廊下の吹き抜けを彩っていた七夕飾りが7月7日までの期間を過ぎ、降ろされました。今年も皆さんにたくさんの願い事を書いていただいた短冊は笹から外され、今は七夕飾りを企画した名店会で集計の作業中ですが、昨年の3200枚を上回る短冊を結んでいただいたようです。

 ビルで働く人、飲食店に立ち寄られた人、いろいろな願いがありました。国際色も豊かで、英語で書いた人、中国語、韓国語の短冊もありました。

 名店会の担当の方が「嬉しかったんですよ」と見せてくれたのは、

☆いろいろな願い事を見て元気が出ました。企画してくれた人、ありがとう。皆さんの願いがかないますように

という、優しさと激励の詰まった短冊だったそうです。また、国語作文教育研究所門下生の方が達筆で書かれた6枚繋がりの短冊は、まるで掌編小説のように、多くの方に読まれていたそうです。

――今年も主なものを紹介していきましょう。

★マイホームが欲しい

★貯金が増えますように

★買う宝くじのすべてが当たりますように

★世界が平和でありますように

★大きなキッチンと独立洗面台のある広い家にひっこしたい

――仕事のことや就職のこと。

★パソコンが上達しますように

★情報処理試験に受かりますように

★ニート脱出出来ますように

★社長が帰ってきませんように

DSC_0146.jpg

――家族のことや健康を願って。

★健康で過ごせますように

★ちーちゃんがスリムになって、もっともっとかわいく美人になれますように

★元気で丈夫な子どもが生まれますように

★家族が幸せいっぱい過ごせますように

★かわいい赤ちゃんがやってきますように

――恋愛・結婚ものも定番です。

★素敵な人に出会えますように

★結婚できますように

★良いご縁に恵まれますように

――大胆なもの、オモシロ願い。

★神になりたい

★仮面ライダーになりたい

★東京マラソン3時間で完走

 短冊は来週には神田明神に奉納される予定です。皆さんの願い事は、きっときっと明神様が叶えてくれることでしょう

 期間中に名店会で催していた抽選会も盛況でした。賞品は計888本、総額100万円の豪華版で、特賞の旅行券(10万円、1本)をはじめ「掃除ロボット(2本)」「タブレット型端末(3本)」など、皆さんに喜んでいただきました。


 サッカーW杯ブラジル大会はベスト4が出揃い、いよいよ大詰め。ブラジルか、アルゼンチンか、はたまたドイツ、オランダか・・・興味は尽きません。

 パレスサイドビルの1階「アートサロン毎日」では、大会の模様を伝える報道写●DSC_2743.jpg真展が開かれています。日本をはじめ、各国代表選手、サポーターらが繰り広げている熱い戦いの「一瞬」を、現地に派遣されている毎日新聞の写真部員がとらえた約50点を紹介しています=写真。12日まで、午前10時~午後6時。入場無料。

 けがが無念のネイマール選手や、さすがのプレーを見せるメッシ選手ら世界のスタースターたちが繰り広げる迫力のプレー。なかなか見応えがあり、昼休みなど、人が途切れずに入っていました。日本の戦いぶりもたっぷり見られます。でも、残念ながら予選リーグで敗退ですから、気分は「花(本田選手)より団子(コロンビアの美人サポーター)」といったところです、個人的には(真面目なサッカーファンのみなさん、ゴメンナサイ)=一番上の写真参照●まだ青かった1.jpg

 毎日新聞のニュースサイトでは、日本代表のワールドカップ(W杯)での戦いを振り返る特集「日本代表の軌跡」(http://mainichi.jp/sports/soccer/fwc/kiseki/)も掲載、ブラジル大会でのザック・ジャパンの戦いを総括する「まだ青かった」(写真がスタート画面=http://mainichi.jp/sports/soccer/fwc/kiseki/fwc_2014.html)もアップされたばかりです。

 「日本代表の軌跡」シリーズは、「パララックス」と呼ばれる表現手法を用い、画●まだ青かった2.jpg面を下にスクロールすると写真や記事が次々と浮き上がるように切り替わる仕組み。写真はギリシャ戦の画面です。

 日本代表のW杯の戦いぶりを、臨場感たっぷりに伝えています。ぜひパソコンで見てみてください。

十三番山笠川端中央街(表)「智略軍師官兵衛.jpg十六番山笠博多リバレイン(見送り)「元気100倍」.jpg

 パレスサイドビルの兄弟ビル「毎日福岡会館」がある福岡市では、7月1日から伝統の祭り「博多祇園山笠」が始まりました。15日までの祭りの期間中、福博(福岡と博多を合わせてこう呼びます)の街は祭り一色になっています。

 福岡と言えばNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」ゆかりの地です。ドラマの視聴率は官兵衛の戦とは違って、関東地方ではかなり苦戦しているようですが、もちろん福岡ではそこそこの視聴率を出しています。今年の博多山笠はいつもの年にも増して、観光客や市民でにぎわうのでしょう。メーン写真は一昨年の「追い山ならし」ですが、櫛田神社の一等席で見た山笠は圧巻でした。

 博多山笠でまず観光客や市民の目を引き付けるのが、「飾り山」。博多人形師の手になる山笠人形で飾られた、高さ10㍍を超す「飾り山」が櫛田神社をはじめ市内13カ所でお披露目されています。山笠人形は飾り山の「表」(正面側)と「見返り」と呼ばれる後方側に飾られますが、基本的に「表」は武者人形が多く、「見返り」はテレビアニメの主人公など趣向を凝らした人形になって、子どもたちを喜ばせます。福岡藩祖の黒田官兵衛(如水)を題材にした飾り山笠は昨年に続いて今年も数多くお目見えしています。中でも六番山笠・千代流は「表」と「見送り」を使って一つの物語を表現。NHK大河ドラマ主人公の歴史に残る逸話や合戦が再現されています。十三番山笠川端中央街は「智略軍師官兵衛」=写真㊤。また、見送りでは「アンパンマン」=写真㊦=や「サザエさん」も登場しています。

 博多と黒田家のゆかりは、黒田官兵衛が太閤秀吉の命を受け、博多商人の協力も得て博多の復興に力を尽くし、この再建は太閤町割りと呼ばれています。

 福岡の地名は、官兵衛の嫡男長政が筑前国に封じられた際、新しい本拠城の名称を黒田氏ゆかりの備前国福岡庄から取って「福岡城」と命名したことによります。

 この「福岡」と「博多」の境界は、市内中央を流れる那珂川で、毎日福岡会館はこの那珂川河畔にあります。ちなみに毎日福岡会館は「福岡」部です。

 773年の伝統を持つ博多祇園山笠。目を引く飾り山笠とともに、沿道で見る観客の目前を駆け抜ける勇壮な舁(か)き山笠が魅力です。この舁き山にも「表」と「見返り」に贅沢に博多人形師の手掛けた山笠人形が飾られます。重さ約1トンの舁き山を、締め込み、法被姿の男たちが担いで街中を疾走する。そのさまはまさに圧巻です。舁き山は七流(ななながれ)と言われ、7つ。太閤町割りの博多の旧町などで構成されます。区域内を巡る10日夕の「流舁き」を皮切りに、舁き山が本格始動します。12日午後は「追い山ならし」。「追い山」(15日)の予行練習として1キロ短い約4キロのコースを「オイサ、オイサ」の掛け声とともに走ります。そして13日午後になると、舁き山が那珂川を越え、福岡部の天神地区に入る唯一の行事、「集団山見せ」。毎日福岡会館の関係者ももちろん、走る山笠に勢い水をかけます。そして祭りの最高潮、最終日15日の「追い山」に向かいます。

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