平将門公PART6です。
伝説を追って、将門(首)塚、兜神社、築土神社をめぐってきました。ほかの4地点を加えて地図上に記すと北斗七星になるという説があります。「平将門は神になれたか」(加門七海著、1993年)によると、7地点は①鳥越神社(台東区)、②兜神社、③将門塚、④神田明神、⑤筑土八幡神社(新宿区)、⑥水稲荷神社(同)、⑦鎧神社(同)です=写真。兜神社、将門塚そして、将門公をまつる神田明神は問題ありませんね。鎧神社も、神社自身が公式サイトに「将門公が討たれると、この地の人々はその死を悼み、将門公の鎧を埋めた」などの説もあると書いています。
他はちょっと「?」です。筆者は鳥越神社の名が「将門の首がここを『飛び越え』たところからついたと言うことである」とし、水稲荷神社についても「稲荷の神託によって、源経基(将門討伐軍の副将)は将門を滅ぼしたと伝えられる」と書いていますが、いずれも根拠はよく分かりません。筑土八幡神社も公式に将門公とのかかわりは伝えられていませんし、逆に、前に紹介した築土神社(将門公の首をまつると伝えられる)が7地点に入っていません。この点は筆者も「一番の弱み」としつつ、築土神社が江戸時代に筑土八幡神社のところにあったことを重視し、筑土八幡神社の場所を7地点に入れたとのこと。そして、北斗七星の柄杓(ひしゃく)型の配置を「幕府は江戸だけの守護とするために外部に霊力を漏らさない工夫をした」などと推論しています。
英国人作家、グラハム・ハンコックの「神々の指紋」をちょっと思い出しました。ピラミッドと天文学や数学との関連の謎ときなど、なかなか刺激的でしたが、さて、将門と北斗七星はどんなもんでしょうか。
パレスサイドビルがある竹橋から地下鉄東西線で東へ3駅、茅場町駅を降り立つと、兜(かぶと)町です。正式な地名は中央区日本橋兜町、言わずと知れた日本のウォール街で、中心が東京証券取引所です。その向かい、日本橋川の畔に、小さな神社があるのをご存知ですか。「兜神社」。狭くて神主さんも常駐していませんが、気になるのは、境内にある「兜岩」(元々は兜塚とも)。神社名と地名の元です。
由来は、八幡太郎として知られる源義家公(頼朝の高祖父=祖父の祖父)が前九年の役(1050年代)の折に岩に兜を置き戦勝を祈願したという説が有力ですが、将門伝説もあるんです。940年に藤原秀郷が将門公を討って首を持ち帰る道中、この地で兜を落としたため、兜を埋め、塚を築いて供養した――。首は都にさらされたが、天に舞い上がって大手町の将門塚に落ちたという伝説につながるわけです。
江戸時代、近くに将門公をまつる鎧(よろい)神社(現在新宿区にある同名の神社とは別物のようです)があり、明治になって神社と兜塚が合併して兜神社が生まれたとか。この一帯を払い下げられた三井財閥の関係で将門公や義家公とは縁が切れ、商業の守護神・倉稲魂命(ウカノミタマノミコト=お稲荷さん)が主神になり、明治11(1878)年に東証が開設されてからは "株の守り神"となりました。
「兜神社」の名は他にもあって、例えば秋田県能代市の神社は奥州藤原氏絡みの伝承があるとか。あなたの周りの神社にも面白言い伝えがありませんか?