【2014年6月 2日】のアーカイブ

竹橋のパレスサイドビルからも近い神田下水、さらに横浜の旧外国人居留地の下水を当ブログで3回にわたり紹介しました(201311月)。どちらが日本最古かということで、できたのは横浜が早いものの、治外法権の居留地ということで、「日本」では神田が一番、などと書きました。

でも、さらに調べると、ホントの日本初は神田でも横浜でもなく、神戸のようです。

神戸は1858(安政5)年の日米修好通商条約締結に伴い、長崎、横浜、新潟、函館とともに開港されることが決まり、外国人居留地が造成されることになりました。しかし、幕末の不安定な世情の中で、開港は1867(慶応3)年まで延び、居留地は現在のJRや阪急の三宮駅の南西、元町駅のすぐ南の辺りに決まり、翌1868年に最初の土地の競売が行われました。

「建設マネジメント技術」という雑誌(20085月号)によると、居留地の街づくりは英国人土木技師ジョン・ウィリアム・ハートの手により進められ、下水道には神戸付近で焼かれた国産レンガが使われ、直径約90センチの円形管と、口径約40×54センチの卵形管の2種類があり、南北道路に沿って6本、総延長約1880メートルが敷設されたそうです。現在でもその一部(約90メートル)が大丸百貨店東側と、居留地時代(186899年)の建築物で唯一現存する「旧居留地十五番館」=写真㊤=前などに残っていて、雨水幹線として使われているということです。その歴史的価値が認められ、2004(平成16)年に「旧神戸居留地煉瓦造下水道」として国の登録文化財になりました。

さて、問題はいつできたかですね。同誌は1883(明治5)年完成と書き、神戸市のホームページ(http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/history/kakawari.html)にも「明治5年頃、円形と卵形のレンガ造りの下水道が完成」とありますが、文化庁の「国指定文化財等データベース」の登録有形文化財(建造物)には、時期として「明治2418691871)」となっています。同誌は「近代下水道施設としては、横浜と並んでわが国で最も古いもの」と書いていますが、横浜は1871明治4)年に瓦製陶管による下水管完成、●神戸下水.jpg188187年に煉瓦卵形管約4キロ敷設ですし、神田下水が造られたのは188485年ですから、神戸が群を抜いて早いということになります。

 管は今も見ることができ、「旧居留地十五番館」の前、正面に向かって右側に回り込んだところがちょっと掘られて、道路の下にあるレンガ造りの管の様子がわかるようになってなっています。これは円形管のようで、すぐ脇に、卵形管のモニュメントも展示されています=写真㊧。近くへ行く機会があれば、寄ってみたいものです。

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