2012

6

12

ぶらパレス 竹橋と2・26事件

 突然ですが、2・26事件です。当ブログで、明治時代に近衛兵が反乱を起こした「竹橋事件」について何度か書きましたが、昭和最大の血なまぐさい事件の際の竹橋の写真があります。

 毎日新聞社が保管する貴重な記録の1枚です=写真㊤。撮影日は1936年2月26日。反乱部隊なのか、鎮圧部隊なのか。「昭和維新」を唱えた反乱部隊が襲撃した首相官邸、高橋是清蔵相邸などの標的は概ね皇居の西側で、赤坂の山王ホテルや三宅坂の陸軍大臣官邸を拠点に日比谷から永田町一帯を占拠。一方、27日に戒厳令が発せられて皇居東側の陸軍会館(現在の九段会館=昨年の大震災で閉鎖)に戒厳司令部が置かれています=写真㊦。竹橋に反乱部隊がいつの時点まで居たのか、あるいは居なかったのかの......。

 そのあたりの事情を推し量るのに助けになる記述を2つみつけました。 まず、個人のブログで恐縮ですが、生々しいので、引用します。

 「私は西神田小学校の5年生だった。雪の日だった。教室には何人も居なかった。居なかったと言うより来なかったのだ。何でも総理大臣が殺されたと誰かが言った。......休校と言われて家に......帰ると、大渕菓子屋の兄さんが【近衛兵が土嚢を積み上げて宮城を守っている。見に行かないか】と誘われ竹橋へ行った。土嚢の上には機関銃が据え付けられていて、兵士に帰るよう怒鳴られた。殺気立って居た。夕方には駿河台の方にも軍隊がやって来て戦いが始まるかもしれないからコンクリートのビルの裏に隠れるような事も言われた......http://blog.goo.ne.jp/goo2023/e/68944fdba831c689b405f1fece91804b

 この記述だと、宮城(皇居)を守る鎮圧部隊のように思われます。

 もう一つは鹿島建設のホームページに、2・26事件の「こぼれ話」として、山種証券創業者の山崎種二のことが書かれています。

 「(山崎種二は)226日朝7時過ぎに新築したばかりの麹町三番町の自宅で事件を知った。......車で出社する途中、竹橋近辺で2人の将校に頼まれて赤坂の連隊まで乗せることとなった。三宅坂からお堀に出ると、軍隊が銃を構えて並んでいる。社に着いたのはいつもより遅かったが、まだ場は立っていなかった......http://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki18/kobore18.html

 赤坂の連隊はおそらく今のTBSのあたりにあった近衛歩兵第3連隊とみられ、同連隊から中橋基明中尉が反乱部隊に参画し、高橋是清を殺害していますが、部隊所在地は反乱部隊と鎮圧部隊の境目のあたりになり、この記述で、赤坂まで車に乗せた将校がどちらの部隊か、判然としませんね。

 ちなみに、鹿島建設がなぜ山崎種二のことを書いているのか、ホームページの問い合わせ先にメールで問い合わせてみました。回答は頂けませんでしたが、推測するに、「こぼれ話」にも出てくる山種の本社ビル(前年兜町に新築した大理石造5階建)を建設したのが鹿島だったからではないかと思われます。

 とにもかくにも、「内戦」は回避されましたが、当時の記録を見れば見るほど、竹橋の平和な風景のありがたさを痛感させられます。

竹橋ガイド

calender

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

March 2024

category

カテゴリ

月別アーカイブ

月別 アーカイブ

eBook

  • 江戸城散歩2008年3月、毎日新聞掲載
  • 江戸城今昔ものがたり
  • 東京・竹橋 花図鑑
  • 東京・竹橋 続花図鑑
  • 東京・竹橋 新緑図鑑
  • 東京・竹橋 歴史絵巻 原始〜江戸時代初期
  • 東京・竹橋 歴史絵巻 江戸時代前期〜現代
  • 東京・竹橋 国際図鑑
  • 東京・竹橋 アカデミー図鑑
  • 東京・竹橋 文学散歩
  • 東京・竹橋 紅葉図鑑
  • 東京・竹橋 歳時記
  • 東京・竹橋 さくら図鑑