【2012年12月10日】のアーカイブ

 先日、2・26事件の竹橋の写真を紹介しました。その毎日新聞の当時の紙面をみていると、いろいろ面白いです。毎日新聞は東京日日新聞(1872年=明5年創刊)と大阪毎日新聞(1876年=明9年創刊)が前身で、両紙は1911(明44)年に合併しましたが、題号を毎日新聞に統一したのは1943(昭18)年なので、2・26事件当時は別の新聞でした。

 まず、事件の筋を追うと、26日に号外で発生を知らせ、27日朝刊で「首相、内府(内務大臣)、教育総監即死 侍従長重症、蔵相負傷」と報じました=写真㊤。その後、岡田啓介首相は義弟の松尾大佐が身代わりになって無事、高橋是清蔵相は死亡が確認されたのは、ご存知の通りです。

 反乱の鎮圧は29日。この日未明に討伐命令が出され、チラシがまかれ、「軍旗に手向かふな」のアドバルーンが挙げられ、ラジオで「兵に告ぐ」と題し「勅命が発せられたのである。既に天皇陛下のご命令が発せられたのである」に始まる勧告が放送され、首謀した将校らは逮捕。反乱部隊の下士官兵は午後2時までに原隊に帰りました。

 その後は、内閣総辞職を受けた組閣をめぐる動きが紙面を連日埋めます。元老・西園寺公望が後継首相の推薦にあたりますが、「園公」の大活字で動静を大きく報じています。最初に白羽の矢を立てた近衛文麿に拝辞(辞退)され(3月4日)、広田弘毅外相が組閣することになるのですが、5日に「内閣組織の大命 広田外相に降下」と号外が書いてからが難産。いったん、吉田茂外相らが固まり、「内閣根幹成る」(3月6日朝刊)と報じられますが、陸軍側の横やりのため7日朝刊で「広田内閣流産に瀕す」、7日夕刊では「諸般の情勢一転し」と、内務大臣が川崎卓吉から松平駐英大使に差し替え報道。「組閣蒔き直し 陸軍側の主張を酌み」と閣僚の見直しが本格化。以後「組閣達成へ邁進」(8日号外)、「組閣工作また持越し」(9日朝刊)ともめた挙句、9日号外で「広田内閣成る」と名簿付きで報じられ、10日朝刊で「難航五日 広田内閣成立」となりました=写真㊦。最大の焦点だった外相は広田首相の兼務、内務大臣潮恵之輔でした。

 陸軍が陸軍大臣を出さないことを「人質」にゴネたという歴史を知っているから、なるほどということですが、日々紙面を追いながら歴史的事件を振り返るのは、いろんな発見もあります。

 毎日新聞は過去の紙面、残っている写真をデータベース化しています。写真は「毎日フォトバンク」(https://photobank.mainichi.co.jp/php/KK_search.php)から検索でき、紙面はパレスサイドビルの毎日新聞社で必要な紙面をコピーすることも可能です(有料)。

竹橋ガイド

calender

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

December 2012

category

カテゴリ

月別アーカイブ

月別 アーカイブ

eBook

  • 江戸城散歩2008年3月、毎日新聞掲載
  • 江戸城今昔ものがたり
  • 東京・竹橋 花図鑑
  • 東京・竹橋 続花図鑑
  • 東京・竹橋 新緑図鑑
  • 東京・竹橋 歴史絵巻 原始〜江戸時代初期
  • 東京・竹橋 歴史絵巻 江戸時代前期〜現代
  • 東京・竹橋 国際図鑑
  • 東京・竹橋 アカデミー図鑑
  • 東京・竹橋 文学散歩
  • 東京・竹橋 紅葉図鑑
  • 東京・竹橋 歳時記
  • 東京・竹橋 さくら図鑑