2012

19

12

ぶらパレス 2・26事件PART5

 1936(昭和11)年、竹橋前もバリケードで封鎖された2・26事件。もう少し当時の東京日日新聞(毎日新聞の前身)を繰ってみましょう。

 2・26事件を契機に軍国主義が加速し、翌1937年7月の盧溝橋事件で日中戦争に突入......と破局に向かって突き進みますが、そういう時代だったことを確認させる記事が2・26事件の当時も紙面にあふれています。

 2月29日朝刊は「大部隊の共産軍 山西を席巻の形勢」の見出しで「共匪(共産党軍のこと)の主力が山西に集中されることになれば山西軍のみをもってこれを阻止することは困難」と報じます。ソ連との関係も、「満露紛争事件 実に270件 誠意なき露の態度」(29日夕刊)と緊張激化を伝えています。ちなみに満蒙国境で日ソ両軍が衝突したノモンハン事件は3年後のことです。

 世界大戦への足音も着実に高まっていました。2月29日朝刊は、ロンドン軍縮会議での各国の対立を報じています。この会議は1930年に曲がりなりにも日米英で海軍力削減に合意した軍縮会議に続く「第2次ロンドン軍縮会議」ですが、日本はこの年1月に離脱していて、記事も「日本脱退の軍縮会議 米と仏伊の対立 纏(まと)め役の英の悩み 軸の折れた車の歩み」と、冷ややかな報道ぶり。この後、イタリアも脱退し、この3月下旬に米英仏だけでの合意はしたものの、世界大戦を阻む力にはなりませんでした。

 さらに3月8日朝刊は「欧州政局にまた爆弾」と、凸版白抜きで見出しを取り、「ロカルノ条約破棄 果然・独逸政府通告す」と報じています=写真㊤。非武装地帯へのドイツ軍の進駐を伝えたもので、同日付号外で「戦雲呼ぶライン河畔 仏政府緊急対策会議」と続報を打ちます。受験勉強や世界史の授業を思い出しますね。第1次世界大戦後の平和を担保したヴェルサイユ条約体制の終焉です。前年、日独防共協定を結んでいますから、日本はドイツ支持の論調でした。

 国内でも気になる記事がありました。3月10日朝刊社会面に「大本教総務栗原白嶺 留置場にて自殺す」と大きく出ています=写真㊦。共産主義運動の取り締まりを主眼とした治安維持法が、宗教に適用された最初の事件であり、高橋和巳の「邪宗門」のモチーフはこの事件とされます。大本教の評価はいろいろあるでしょうが、とにかく、戦時体制に向かう大きな流れの一コマといえます。

竹橋ガイド

calender

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

March 2024

category

カテゴリ

月別アーカイブ

月別 アーカイブ

eBook

  • 江戸城散歩2008年3月、毎日新聞掲載
  • 江戸城今昔ものがたり
  • 東京・竹橋 花図鑑
  • 東京・竹橋 続花図鑑
  • 東京・竹橋 新緑図鑑
  • 東京・竹橋 歴史絵巻 原始〜江戸時代初期
  • 東京・竹橋 歴史絵巻 江戸時代前期〜現代
  • 東京・竹橋 国際図鑑
  • 東京・竹橋 アカデミー図鑑
  • 東京・竹橋 文学散歩
  • 東京・竹橋 紅葉図鑑
  • 東京・竹橋 歳時記
  • 東京・竹橋 さくら図鑑