【2013年3月22日】のアーカイブ

 パレスサイドビルから地下鉄で1駅、大手町駅を降りて丸の内ビルで開催中の「Moai 未来に生きる」(28日まで)に行ってきました=写真㊤。19日の当ブログで書いたように、展示中のモアイは宮城県南三陸町に送られる高さ3メートル、重さ2トン(台座を含まず)。顔も流石の迫力です=写真㊦

 1~10メートル、重さは最大80トン超のモアイが淡路島の4分の1ほどの小さなイースター島に1000体以上あるといいます。なぜこんな巨像が数多く造られたのか? 重い石像はどうやって運ばれたのか? 文明消失の実例とされる島には、今も多くの謎が浮かびます。真相はどうだったのでしょうか。

 島に歴史の記録がありません(象形文字は残っているものの解読されていない)が、通説は次のようです。――大型カヌーに乗ったポリネシア人が島にやって文明史が始まりましたが、時期は西暦5世紀~1200年頃まで諸説あり。彼らが持ち込んだココヤシやパンノキなどの食用植物は育たず、焼畑を繰り返した結果、17世紀末までに森林は消滅。人口増と資源枯渇を背景に島内集団間の闘争が激しくなり、文明も崩壊していったとされます。モアイは祖先崇拝にもとづく宗教的な建造物として11世紀頃から造られたようですが、文明衰退に伴い16世紀頃には製作がストップし、逆に破壊されたそうです。最盛期1万人に達したとも言われる島の人口は、18~19世紀に西洋人が島に足を踏み入れた当時、2000~3000人。さらに19世紀後半に疫病(天然痘と言われる)が持ち込まれたほか島民が奴隷として連れ去られたため人口は100人そこそこまで激減。ラパヌイと呼ばれる原住民の子孫に加え、1888年のチリ併合以降の移民を含め、現在は約4000人が住む――。

 島の盛衰の謎に迫った記事が「ナショナルジオグラフィック日本版」2012年07月号にあり、ダイジェストをwebで読めます(http://special.nikkeibp.co.jp/ts/article/ac0b/139205/201207/index.html)。概略は次の通りです。

 ピュリツァー賞作家のジャレド・ダイアモンドは2005年の著書『文明崩壊』で、資源の乱開発が社会の崩壊を招いた明確な事例だし、モアイの存在が文明崩壊を早めたと主張。首長たちの力の象徴として、①より大きな像を建造しようと競い合った②石像は寝かせて木製のそりに載せられ、木のレールの上を引きずって運ばれた③運搬に大量の木材と多くの人手が必要④人が多ければ必要な食料も増える⑤さらに多くの土地を開墾......と、環境破壊が加速したというのです。これに対し米ハワイ大学のテリー・ハントらは、島の環境破壊は住民の責任ではないと考えます。①絶滅したヤシの実にナンヨウネズミが鋭い歯でかじった跡がいくつも残っていた②ネズミは移住者と同じカヌーでやって来た③ネズミは数年で島全体に広がり、ヤシの実を食べて、島の森を消滅に追い込んだ――と推定。モアイ運搬についても、立てて左右に揺らしながら前進させたので、作業は少人数ででき、木を使う必要もなかったとして、モアイのための木の大量伐採を否定しています。

 あなたも都心でモアイ像を眺めながら、俗世を離れた謎解きに思いを巡らせてみたらいかが?

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