【2013年1月25日】のアーカイブ

 パレスサイドビルから徒歩5分、区立千代田図書館(千代田区九段南1-2-1、区役所9階)の「としょかんのこしょてんVOL.59 江戸幕府の碁打ち将棋指しから庶民のゲームへの道程」を先日、当ブログで紹介しました。前半の将棋の展示は28日で終了(27日は休館、後半の囲碁は29日~2月25日)ですが、せっかくなので将棋の歴史も調べてみました。

 関西将棋会館サイト(http://www.kansai-shogi.com/museum/ryakusi.html)などによると、将棋の起源は古代インドのチャトランガ=写真㊤=に遡るとの説が有力で、ユーラシア大陸各地に広がって将棋や西洋のチェスのほか、中国のシャンチー=写真㊦㊧、朝鮮半島のチャンギ=写真㊦㊨、タイのマークルックなどに分化したといいます。シャンチーとチャンギは似ていて、日本の将棋にも相対的に近そうです。(写真はいずれも関西将棋会館サイトから)

 

 日本伝来は6、7世紀と推測され、遣唐使として派遣された吉備真備(きびのまきび、695年生まれ)が持ち帰ったという説もありますが、そうであれば伝来は8世紀ということになります。平安時代に「平安将棋」(8×8マスまたは9×9マス)、「平安大将棋」(13×13マス)などとして発展。相手から奪った駒を使う将棋独特の「持ち駒」ルールの登場は11~15世紀とされます。江戸時代になると、囲碁と共に幕府の手厚い保護を受け、名人たちは幕府から俸禄を貰います。そうした安定の下で、現代に至る定番の戦法やルールの整備が進み、ほぼ現在のような形が確立しました。幕府崩壊後は、棋士たちも自立を求められ、民間の団体が設立され、現在の将棋連盟につながっていきます。この過程で、明治30年代から新聞が紙面に実戦棋譜を掲載するようになったことが、将棋文化の定着に大きく貢献しました。

 第2次大戦後、GHQは武道敵視の延長で将棋禁止を検討し、「持ち駒ルールは捕虜虐待だ」などという理屈も持ち出したとか。これに対し、将棋連盟関西本部幹部だった升田幸三がGHQに乗り込んで「チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。......(将棋は)つねに全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに働き場所を与えようという思想である。しかも、敵から味方に移ってきても、金は金、飛車なら飛車と、元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」などと反論。その効果もあってか、禁止を免れました(「名人に香車を引いた男--升田幸三自伝」中公文庫=写真㊦)。

 確かに持ち駒など将棋独特の世界は、日本的ですね。ある座談会で、羽生善治さん(現在のタイトルは王位、王座、棋聖)の説明が分かりやすいので紹介します。

 「チェスや中国の将棋は、取った駒は使えません。盤上の駒の数は減るばかりです。これなど、敵を根絶やしにする異民族間の戦争を連想させます。一方、日本の将棋は、分捕った敵の駒は自分の戦力。同じ民族同士のためか、敵を根絶やしにはしない。あるいは、駒が相手陣地に入って『成る』。これは手柄を立てた侍の出世に似ている。持ち駒の歩で玉を詰めてはいけないというルールは、私は革命の否定だと解釈しています」

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