【2012年10月22日】のアーカイブ

  日本で一番高い山はもちろん富士山(3776m)。二番目は南アルプスの北岳(3192m)、三番目は北アルプスの奥穂高岳(3190m)、というのは、山岳愛好家でなくでもほとんど常識でしょう。

 この常識に敢然と挑んだのが「穂高開拓の父」といわれる今田重太郎さん(18981993)です。今田さんは1924年、まだ大正年間ですが、奥穂高と涸沢岳のコル(鞍部、2996m)にわずか20人収容の穂高小屋を作りました。その後、多くの登山客に安全な登山をしてもらおうと、上高地から穂高岳への登山道である「重太郎新道」を開拓しました。上高地から岳沢ヒュッテを通過して前穂高に登り、吊尾根を奥穂高に向かうルートです。前穂高の取付にある紀美子平は自身の娘の名前を付けたものです。

 登山客が増え始めた昭和30年代に穂高小屋は増築されて、100人以上収容可能になり、現在の穂高岳山荘に改名されました。岐阜県と長野県の県境にある穂高岳山荘は、飛騨側から吹き上げる強風が吹きすさんでいますが、その風を利用しての風力発電にもいち早く取り組んできました。

 その重太郎さんが悔しくて仕方ないのが、わずか2mの差で奥穂高岳が「日本3位の標高」ということでした。「富士山は仕様がない。しかし、なんとしても北岳を越して日本2位になろう」ということで、奥穂高の頂上にケルンを積み上げ始めました。1m2mと積み上げていき、最終的には現在の姿である3mの大ケルンです。その上に奥穂高神社の小さな社があります。国土地理院は残念ながらこの大ケルンを標高には入れてくれず、どの地図をみても「標高3190m」のままですが、重太郎さんは「北岳を越した。奥穂高は日本で二番目だ」という認識だったようです。

 その重太郎さんがよく口にした言葉が「僕は穂高に生かされている」というものでした。いま息子さんが跡をついで、穂高に生かされ続けています。

 穂高岳や槍ヶ岳登山はパレスサイドビル地下1階の毎日旅行でバスツアーがあります。

竹橋ガイド

calender

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

October 2012

category

カテゴリ

月別アーカイブ

月別 アーカイブ

eBook

  • 江戸城散歩2008年3月、毎日新聞掲載
  • 江戸城今昔ものがたり
  • 東京・竹橋 花図鑑
  • 東京・竹橋 続花図鑑
  • 東京・竹橋 新緑図鑑
  • 東京・竹橋 歴史絵巻 原始〜江戸時代初期
  • 東京・竹橋 歴史絵巻 江戸時代前期〜現代
  • 東京・竹橋 国際図鑑
  • 東京・竹橋 アカデミー図鑑
  • 東京・竹橋 文学散歩
  • 東京・竹橋 紅葉図鑑
  • 東京・竹橋 歳時記
  • 東京・竹橋 さくら図鑑