蜷川は「日本の博物館創設に力を尽くした」官僚としての功績もさることながら、個人の研究の成果が「観古図説 陶器之部」第1~7巻(1876~80年刊)とされます。著作というより、カタログですが、陶磁器を体系的に分類した日本で最初のもので、日本の焼物の素晴らしさに外国人が関心を抱くきっかけになったようです。
第1が、東京・大森貝塚の発見でお馴染みの米国の動物学者、エドワード・シルベスター・モース(1838~1925年)=写真=との親交です。東大に招かれた「お抱え学者」だったモースは日本の陶器が気に入り、蜷川は彼に陶器の鑑識について教え、1000点以上と推測される古陶器を贈ったり、共に町に出て集めたりしたそうです。モースの影響を受けたボストン界隈の上流階級の人々による募金で、モースが集めた4000点とも5000点ともいわれる日本陶器のコレクションをボストン美術館が買い上げ、「モース日本陶器コレクション」として伝わります。同美術館のホームページで「Morse Collection」を検索すると、朝鮮の焼物なども含め5020件ヒットします(http://www.mfa.org/search/collections?keyword=Morse+Collection&objecttype=14)。モースは、関東大震災で焼けた東大図書館の再建に、1万2000冊の個人の蔵書を寄贈したことでも有名です。
もう一人、モースほど日本では馴染みがありませんが、ロンドンの大英博物館の日本陶器コレクションを築いたオーガスタス・ウォラストン・フランクス(1826~97年)も重要です。45年間、同博物館に勤務し、学芸担当部長を務めまたそうですが、蜷川の「観古図説」に影響を受け、2000点以上の日本の焼物を収集し、これが同博物館の3500点に及ぶ日本の焼物コレクションの基礎になりました。フランクスの収集品は、縄文から現代までの幅広い時代にわたりますが、中でも古墳時代の発掘品と江戸初期から中期の磁器、そして江戸後期から明治初期の焼物が充実しているといいます。セインズベリー日本芸術研究所長のニコル・ルマニエール氏によると、蜷川がフランクスに日本の陶器を売却したことを示す記録が残っているそうです。
19~20世紀に大英博物館が収集した日本の美術品に関する論文でオックスフォード大学博士号を取得した三笠宮彬子さまが、留学中に現地で話された機会に、モースとフランクスのコレクションを比較、前者は「科学標本としての陶磁器収集」、後者は「古美術収集家としての収集」と指摘されていたと、話を聞いた留学生がブログに書いています。