パレスサイドビルがある竹橋付近にあった近衛兵の兵営を舞台に1878(明治11)年8月23日に起きた近衛砲兵第1大隊の兵260余名の反乱。この「竹橋事件」に、100年の時を経て光を当てたのがノンフィクション作家の澤地久枝さんです。
「火はわが胸中にあり――忘れられた近衛兵士の叛乱・竹橋事件」という作品が、事件から丸100年の1978年7月に角川書店から刊行されました。角川文庫、文春文庫にも収録され、最近では2008年9月に岩波書店から現代文庫で再版版されています=写真㊦は角川単行本、角川文庫、岩波現代文庫。
その書き出しは、青山墓地の一角、縦長の石に「旧近衛鎮台砲兵之墓」と彫られた竹橋事件で処刑された兵士の墓が描かれています。澤地さんの追跡の中で発刊前年の1977年に所在が確認されたそうです。同書を紹介する岩波書店のホームページの記述によると、事件からわずか2カ月後に軍法会議で死刑となり、直ちに処刑された53人は、明治憲法の発布の際の特赦で、名目上は赦されました。墓の裏側に「大赦明治二十二年二月十一日」とある通りです。最初、現在の都立赤坂高校正門のあたりに建てられ、その後、青山に移設されたもので、向かって左隣に陸軍刑務所内で刑死または獄死した、引き取り手のなかった十七名の兵士を合葬した「合葬之墓」(こちらが大きくて目立つ)があり、さらに右隣りには1987年、遺族会などによって事件殉難者の鎮魂「碑」も建てられました=写真㊤、岩波書店ホームページより。
澤地久枝さんが書いた「碑文」には次のように記されています。
「......兵士たちは徴兵によって陸軍にとられ、その多くは、前年の西南戦争の戦火をくぐりぬけて命をひろっている。徴兵制度への根本的疑問、明治維新以後の政治に対する不満が、天皇への直訴をふくむ行動へと兵士たちを駆りたてていった。生まれ在所の百姓一揆の伝統、のちの自由民権運動につながる志向も、兵士たちをささえる火であったと思われる。......踏みにじられた明治の青春の記念としていまここに碑を建て、『竹橋事件』が後世につたえられるべき火となることを願う......」
「生まれ在所の百姓一揆の伝統、のちの自由民権運動につながる志向」とは、処刑者の中に秩父出身の者もあり、1884年に自由民権運動の影響下に起こった「秩父事件」(農民の武装蜂起)を念頭に置いた文章です。西南戦争という内乱と財政難を含め経済的に大きな困難を抱えていた時代です。「反乱」「蜂起」への評価は人それぞれでしょうが、「下級兵士の不満による暴動」の一言で片付けられない背景に迫ろうとする姿勢は大切なのでしょう。