視聴率が低迷していたNHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」は7月下旬放送の中国大返しのころから視聴率も大返ししてきたようです。第29回放送の「天下の秘策」の平均視聴率が番組最高となる19.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったのですが、さて番組も佳境、徳川と豊臣のツバ競り合いのあと、先週日曜日の放送分から舞台に九州が登場してきました。
豊臣傘下に入った豊後のキリシタン大名・大友宗麟に味方し、毛利とともに薩摩の島津の侵攻を阻止する官兵衛。豊前・香春岳の麓に本陣を構えます。
次回(8月31日放送)は、天正15年3月、秀吉がいよいよ九州へ出陣(するはずです?)。秀吉の陣が九州へ渡り、最初に入ったのが豊前小倉(こくら)城でした。また、その小倉城では先週の放送で、黒田と共に出陣することに最後まで抵抗していた吉川元春(毛利元春)の最期が描かれていました。元春は『三本の矢』で有名な毛利元就の次男、隠居の身でありながら病を押して九州征伐に参加しました。化膿性炎症(癌とも)に体を蝕まれながら、毛利家の豊臣家への忠誠の証のために出征、豊前小倉城二の丸で死去しました。享年57でした。
先週、毎日ビルディングの会議で西部支社の毎日西部会館(北九州市小倉北区)と毎日福岡会館(福岡市中央区)へ出張の機会がありました。
出張のついでにちょっと小倉城公園に寄ってみました。小倉城は最初の築城年代は明らかではありませんが13世紀中ごろ、現在地の紫川河口西岸にあった丘に築かれたといわれています。慶長7(1602)年に細川忠興が南蛮造の天守などを建てたとされ、この細川氏築城とされています。もちろん、今
の城閣は再現です。1959(昭和34)年、鉄筋コンクリート構造で天守が外観復興され、内部は郷土資料館として利用されています。
本日のメーン写真のように、小倉城庭園から見る小倉城の景色はなかなかのものです。この庭園=写真㊤=は、小倉城の東側にある小倉城主・小笠原氏の下屋敷跡地に、平成10年9月にオープンした、江戸時代の大名屋敷を再現したもので、全国でも珍しい「礼儀作法のテーマ館」です。潜り戸を通って自由に庭へ入れます。小倉城を眺めるなら、絶景の穴場ポイントです。
会議での出張ですが、翌日は場所を福岡市に移しました。
黒田官兵衛の続きです。九州を平定した豊臣秀吉は、大友と島津との戦で焼け野原となった博多の復興を官兵衛と石田三成に命じます。交易で富を得る事と同時に、戦で疲れ切った民心をつかむ考えでの事ですが、作戦は上々、今も博多の人たちは「太閤町割り」と呼びます。復興にあたって、博多商人の協力を得て、「太閤町割り」と呼ばれる都市整備を2回に分けて行いました。そのおかげで今も博多の町はすっきりとしています。またこの町割りの複数の町で『流』(ながれ)を作り、この流は博多祇園山笠の山車の単位と
なっています。
さてJR博多駅前です。凛々しい立ち姿の武士が槍と盃を持って立っています=写真㊨。これは母里(もり)但馬守友信、通称は母里太兵衛です。名槍日本号を福島正則から飲み取った「黒田節」の逸話は有名ですが、母里太兵衛を演じているのは速水もこみち、なかなかに適役です。












へ。15時45分ごろ行ったら「14時~16時は休み」とのことで、10分ほど近所の土産物店で時間をつぶしてもう一度行くと、行列のギョの字もなし=写真㊧。ハワイ滞在中、何度か前を通って、その都度、写真右側の階段から歩道まであふれる行列が必ずできていたので、「待ち時間なしで入れて、超ラッキー」と家族そろってニンマ
リ。
ナッツ、ハワイアングアバの3種類。運ばれてきた時の気分は「ピース」でした=一番㊤の写真。
我が家の胃のキャパシティを超えてただけの、ちょっとした「試練」でした。
た。ここは「エッグスン・・・」とは逆に日本の店がハワイに進出したといい、日本では銀座、赤坂、中目黒、代官山や横浜、名古屋にも何店かあるそうで。だからでしょう、日本人客が目立ちましたが、オープンエアーの開放的なスペースが快適でした=写真㊧。
まあ、ハンバーグ丼ですね。「ロコモコ」でググってみると、いろんな画像が出てきますが、私たちがいただいたのは、ご飯の上に2段重ねのハンバーグ、さらにその上に目玉焼き、そしてそして、これでもかというデミグラスソース=写真㊧。どっちかというと、かかってるというよりソースの中を泳いでるように思えて、異次元感があっていいです。食べ応え満点、味も良かったですヨ。「あ~食った」感を十分味わえ、「至福」の時を過ごせました。
グッドです。
戻ってくることができるとも言われます」と書いています。先日行った際には、ガイドさんによると、もう少し"簡単"で、「ハワイで虹を1回見たらまたハワイに来られる、2回見たら住める」と話していました。で、本物は見られなかった人も見られる虹があるとのこと。ハワイの車のナンバープレートが虹なんです。おしゃれですネ=写真㊧。
Head」と呼ばれる戦士の顔のデザイン=写真㊨㊤。その前も、同じような戦士っぽい絵柄で、どうやらハワイ王国成立の立役者、かのカメハメハ大王のようで=写真㊨㊦、それ以前は無地だったとのこと。
rainbow(ノーレイン、ノーレインボー)」という言い回しがハワイにあるそうで、「雨なくして虹なし」というか、逆に「雨があるから美しい虹がある」との意味。ひいては「涙の後には虹も出る」といったニュアンスでも使われるとか。岡村孝子さんにその名の曲とアルバムがあります。
いうわけではありませんが、スーパーで見つけたのが、ブリキの容器に"お口さわやか"のミントの錠剤=写真㊧。16グラム入り2.49ドル(約250円)で、気の利いた記念品になります。もっと買ってくれば良かったと、ちょっと後悔。次にハワイに行ったら、このケースに先日書いた「サンドバー(天国の海)」の砂を入れてお土産にしようかな。
展示の目玉は、やはり「シーラカンス稚魚の標本」でしょうか。シーラカンス=写真=は「生きている化石」と言われています。
時間も限られ、主だったところを回るのが精いっぱいということで、まずはオーソドックスにワイキキビーチの夕暮れです=写真㊧。着いたその日、ちょっと泳いだ後、浜辺を散歩しながら午後7時過ぎの日の入りを待ちました。幸い、雲もあまりなく、美しいシーンを堪能でき、大満足。(_≧Д≦)
お次はウミガメ。目を凝らすと、1匹、2匹と波間に確認でき、時折頭を挙げる姿がなんとも可愛らしく感じました=写真㊧。左側のカメちゃんが、まさに頭を上げたところです。ぷハァっと息継ぎの音が聞こえそうですネ。
のチャンスを期しましょう。それでも子どもは泳いだり潜ったり、大はしゃぎの大満足でした。ちなみに、写真㊧のように、ここから見える湾の向こうの方の山では、映画「ジュラシックパーク」のロケも行われたそうで、別の日に近くを走ってみたら、まさに、恐竜が走っていそうな雰囲気でした=写真㊨㊦。≧(´▽`)≦
ば、景色の見え方も違ってくるのかもしれないと思った次第。(・ω・)
地下1階毎日ホールを会場にして、麹町消防署と公益社団法人東京防災救急協会から計4人が来館して指導に当たり、午前9時から午後5時まで、昼食を挟んで8時間のみっちりと濃密でハードな講習です。冷房の利いたホールでしたが、たっぷりと汗をかきました。終了後には「実技も多く分かりやすかった」「ビル内で講習を開いていただけ、参加しやすくて助かりました」「AEDをいざという時に使えるか、少し自信が付きました」「今後も継続してビル内で救命講習をお願いします」と、参加の皆さんから好評な感想をいただきました。
の付け根を置き、両手を重ねて少なくとも5cm沈むように圧迫します。肘をまっすぐ伸ばし、100回/分の速さで圧迫を繰り返します。
圧迫して人工呼吸2回、また30回胸骨圧迫して人工呼吸2回、このセットを5セット。もう汗びっしょりです。消防の指導官からはテキスト説明時には「決して無理はしないでくださいね」と優しい言葉が貰えるのですが、いざ実技に移ると「もっと強く」「もっと早く」「もっとゆっくり」「圧迫位置が違います」などみっちりと指導を受けます。2人1組、3人1組で役割を分担して救命する訓練もあり、AEDの操作やら胸骨圧迫の交替のタイミングやら、盛りだくさん学びました。おかげさまで、普段は使わない二の腕の筋肉を繰り返し酷使したため、筋肉痛が1~2日残ってしまいました。
れました。
同市は下水への思い入れが強いようで、「ふれあい下水道館」=写真㊧=という市立ミュージアムがあります。そのホームページは「1990年度に下水道普及率が100%を達成したことを記念してつくられました。・・・下水道の役割を知り、水環境について考えてもらう全国でも初めての施設です」と謳っています。昔の小平周辺は関東ローム層の乾燥した武蔵野台地で、水の乏しい地域。江戸時代、玉川上水から野火止用水や小平用水の引き込みで、やっと新田開発が進んだとか。
あったわけです。途上国へ行けば、今も上下水道の整備が遅れた地域は多く、不衛生な環境で人々の命が危険にさらされています。小平市の事情は深くは知りませんが、「ふれあい下水道館」は、普通の建物と違って、地上は2階までで、下へ下へともぐり、最深部地下5階(地下25メートル)に埋められている下水道管=写真㊨=の中に実際に入って臭いを体感できるとのこと。
月1日パレスサイドビル




















