【2014年8月28日】のアーカイブ

 視聴率が低迷していたNHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」は7月下旬放送の中国大返しのころから視聴率も大返ししてきたようです。第29回放送の「天下の秘策」の平均視聴率が番組最高となる19.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったのですが、さて番組も佳境、徳川と豊臣のツバ競り合いのあと、先週日曜日の放送分から舞台に九州が登場してきました。

 豊臣傘下に入った豊後のキリシタン大名・大友宗麟に味方し、毛利とともに薩摩の島津の侵攻を阻止する官兵衛。豊前・香春岳の麓に本陣を構えます。

 次回(8月31日放送)は、天正15年3月、秀吉がいよいよ九州へ出陣(するはずです?)。秀吉の陣が九州へ渡り、最初に入ったのが豊前小倉(こくら)城でした。また、その小倉城では先週の放送で、黒田と共に出陣することに最後まで抵抗していた吉川元春(毛利元春)の最期が描かれていました。元春は『三本の矢』で有名な毛利元就の次男、隠居の身でありながら病を押して九州征伐に参加しました。化膿性炎症(癌とも)に体を蝕まれながら、毛利家の豊臣家への忠誠の証のために出征、豊前小倉城二の丸で死去しました。享年57でした。

 先週、毎日ビルディングの会議で西部支社の毎日西部会館(北九州市小倉北区)と毎日福岡会館(福岡市中央区)へ出張の機会がありました。

 出張のついでにちょっと小倉城公園に寄ってみました。小倉城は最初の築城年代は明らかではありませんが13世紀中ごろ、現在地の紫川河口西岸にあった丘に築かれたといわれています。慶長7(1602)年に細川忠興が南蛮造の天守などを建てたとされ、この細川氏築城とされています。もちろん、今㊤小倉城庭園.jpgの城閣は再現です。1959(昭和34)年、鉄筋コンクリート構造で天守が外観復興され、内部は郷土資料館として利用されています。

 本日のメーン写真のように、小倉城庭園から見る小倉城の景色はなかなかのものです。この庭園=写真㊤=は、小倉城の東側にある小倉城主・小笠原氏の下屋敷跡地に、平成10年9月にオープンした、江戸時代の大名屋敷を再現したもので、全国でも珍しい「礼儀作法のテーマ館」です。潜り戸を通って自由に庭へ入れます。小倉城を眺めるなら、絶景の穴場ポイントです。

 会議での出張ですが、翌日は場所を福岡市に移しました。

 黒田官兵衛の続きです。九州を平定した豊臣秀吉は、大友と島津との戦で焼け野原となった博多の復興を官兵衛と石田三成に命じます。交易で富を得る事と同時に、戦で疲れ切った民心をつかむ考えでの事ですが、作戦は上々、今も博多の人たちは「太閤町割り」と呼びます。復興にあたって、博多商人の協力を得て、「太閤町割り」と呼ばれる都市整備を2回に分けて行いました。そのおかげで今も博多の町はすっきりとしています。またこの町割りの複数の町で『流』(ながれ)を作り、この流は博多祇園山笠の山車の単位と㊦母里太兵衛.jpgなっています。

 さてJR博多駅前です。凛々しい立ち姿の武士が槍と盃を持って立っています=写真㊨。これは母里(もり)但馬守友信、通称は母里太兵衛です。名槍日本号を福島正則から飲み取った「黒田節」の逸話は有名ですが、母里太兵衛を演じているのは速水もこみち、なかなかに適役です。

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