2014

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下水道PART5 銀座の下水

 先日来、明治時代の近代下水道のルーツを探っていますが、どこが「一番」最初だったかはさておいて、銀座の話です。竹橋からも地下鉄を乗り継いですぐの、まさに日本の「繁華街」のハシリであり、今もその地位を守る銀座。その明治時代の整備の話をネットで見かけたので紹介します。

 「銀座煉瓦街の洋風溝渠

 明治5年(1872)2月・・・の大火を機に、東京を外国風の不燃建築物によって近代都市化することをめざし、銀座に煉瓦街を建設することになりました。明治6年(1873)10月のことです。・・・道路両側には、洋風の石造りの溝渠が設けられました。車馬道と人道との境界石の下に暗渠が設けられ、数条の支溝が横に通じていました。暗渠の中は、潮の干満により常に流れが生じ、不潔なものが停滞することのない構造となっていました。

 表通りや横町通りは洋風の溝渠でしたが、裏通りは蓋のないU字形の溝渠でした。・・・便所は汲取り式でした。台所からの汚水は、支溝を通じてU字溝や暗渠に流れ込みました。」

写真㊤はそのころの銀座の煉瓦街=煉瓦街の整備に参加した大成建設のホームページより)

 一部は暗渠になっていたとはいえ、しょせんは溝渠、つまり側溝みたいなものですから、「下水道」の話というにはチト苦しいんですが、これが出ていたのが「明治以降の東京における下水道整備」というタイトルのネット上のページで、神田下水の「前史」として書かれていたものですから、引用しました。

 実は、記事の内容以上に気になったのは、このページの「主」。東京都小平市です。銀座の記述に続いて神田下水の話なども出てきます。

●下水道館.jpg 同市は下水への思い入れが強いようで、「ふれあい下水道館」=写真㊧=という市立ミュージアムがあります。そのホームページは「1990年度に下水道普及率が100%を達成したことを記念してつくられました。・・・下水道の役割を知り、水環境について考えてもらう全国でも初めての施設です」と謳っています。昔の小平周辺は関東ローム層の乾燥した武蔵野台地で、水の乏しい地域。江戸時代、玉川上水から野火止用水や小平用水の引き込みで、やっと新田開発が進んだとか。

 下水道の普及率は東京が100%近いなど、都市部では大方完了し、上水道を含め、水もトイレも空気のように当たり前。そんな生活にすっかり慣れ切ってしまっています。でも、下水に限りませんが、日本の長い歴史の中で、こんな便利な時代は、せいぜいここ何十年のこと。それ以前に、膨大な「不便な時代」が●下水道館2.jpgあったわけです。途上国へ行けば、今も上下水道の整備が遅れた地域は多く、不衛生な環境で人々の命が危険にさらされています。小平市の事情は深くは知りませんが、「ふれあい下水道館」は、普通の建物と違って、地上は2階までで、下へ下へともぐり、最深部地下5階(地下25メートル)に埋められている下水道管=写真㊨=の中に実際に入って臭いを体感できるとのこと。

下水道整備は、利権のうわさの絶えない公共事業のあしき一面の権化という面もありましたが、それはさて置き、便利な都市生活を支える"裏方"の役割を知るのは、悪くありません。

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