常盤橋公園(パレスサイドビルから15分)の渋沢栄一の銅像を7月31日に紹介しましたが、像を制作した朝倉文夫(1883~1964年)=写真㊤=の話を書きます。
1933(昭和8)年に建立された渋沢像は、第2次世界大戦中の金属供出により失われ、昭和30年に再建されたこと、両作品とも朝倉の作であることは書きました。朝倉といえば、有楽町・東京国際フォーラムの大田道灌像や早稲田大学の大隈重信像の作者といえば、うなずく方も多いのでは。
さて、朝倉が1907(明治40)年から亡くなるまでの57年間、アトリエ兼自宅とした建物が「朝倉文夫彫塑館」(台東区谷中7丁目、JR日暮里駅から徒歩3分)として朝倉作品の展示館になっています。彼の最高傑作といわれる『墓守』(1910年作、高さ約1.8メートル)=写真㊦=もここに収蔵されています。朝倉の生まれ故郷・大分県豊後大野市の「朝倉文夫記念館」、東京国立近代美術館(竹橋)、福岡市美術館、大分県立芸術会館にも『墓守』があると聞いて一瞬、「エッ?」。
ちょっと考えれば当たり前なんですね。釈迦に説法ですが、「彫刻」といっても彼の作品は「彫塑」で、粘土などを盛り付けた粘土原型から石膏原型を作り、それをもとにした型に、溶かしたブロンズを流し込んでブロンズ像に仕上げる技法。大本の石膏原型を彫塑館が保有していて、これだけが国の重要文化財で、他はブロンズ像なのです。
「日本のロダン」と言われる朝倉ですが、文化庁のデータベースによると、『墓守』は、「それまでのロダン彫刻の影響とは異なる客観的な自然主義による作品として、その後の日本における具象彫刻の主流をしめた意義や後進に与えた影響は大きく、わが国初期洋風彫塑が到達した写実主義の一頂点を示す作品」ということです。
朝倉彫塑館は現在、耐震補強工事などのため閉鎖されています。来年3月に再開予定なので、まだ見たことがない『墓守』に会いに行こうと思います。この建物自体が文化財で、大変な工事のようですが、その話は、また後日。