久し振りに平将門公にまつわるお話。PART7です。
パレスサイドビル界隈を離れて、今回は茨城県坂東市へ。将門公が朝廷に反旗を翻し本拠にしたのがここです。旧岩井市などが平成の大合併でくっついて誕生した市で、この地のお寺「延命院」に将門公の「胴塚」があります(市内に延命寺もあるのでお間違いなく)。940年、このあたりに最後の布陣をした将門公は、急に風向きが変わり、敵の矢を受けて倒れたとされます。首は京都に送られましたが、親族らが残された遺体を密かに葬ったのが、この胴塚と伝えられています。1975年には東京・大手町の将門(首)塚から「南無阿弥陀仏」の石塔婆が移設されました。ここにようやく首と胴体がつながったということでしょうか。
坂東市で毎年11月第2日曜に「岩井将門まつり」が催され、昨年は東京・神田明神から駆け付けた「将門太鼓」の響きのなか、総勢100人の勇壮な武者や雅なお姫様たちが歩行者天国を練り歩き、昨年は約4万人の観客が訪れたそうです。その日に毎年、「いわい将門ハーフマラソン」も行われ、昨年は約7000人が参加。写真は数年前のマラソン大会スタッフのキャップです。茨城県に勤務していた時、マラソン大会を毎日新聞社が後援している縁で入手しました。帽子に刺しゅうされているのは茨城県のマスコット「ハッスル黄門」がゴールを切る姿。眉毛がちょっと「ハ」の字になった " ゆるキャラ " が結構、イケてません?