改めてですが、竹橋近くの皇居(江戸城)の石垣、綺麗だなぁと感心します。時折昼休みなどに東御苑に出かけて、いろんな石垣を観察するのも乙なものです。
ということで、まずが本丸から見てみます。パレスサイドビルから紀伊国坂を上って北桔橋門へ。門を潜ってすぐ、本丸エリアの最奥部に天守台の石垣が残っています。遠くから見ると小さいように思えますが、近くで見るととても大きく、高さ11メートル、東西約41メートル、南北約45メートル。御影石(花崗岩)でできています。スロープがあって=写真㊨㊤、登ると上は展望台で、ベンチもあります=写真㊨㊦。ちょうど赤丸部分にパレスサイドビルの白いエレベーター塔も見えています(写真はいずれも夏に撮ったので、木々が緑なのはお許しを)。
6月30日の当ブログで、石の加工度3分類×積み方2分類=6種類という基本的な分類を書きましたが、天守台は「切込接(きりこみは)ぎ×布積み」。丁寧に石を加工して隙間なく積む「切込接ぎ」で、且つ、石と石の継ぎ目が横に一直線になるように積み上げた「布積み」。角はお約束の「算木積み」、すなわち細長い石を長短交互に整然と積み上げ、強度を高めています。
江戸城の天守は第1~3代の家康、秀忠、家光と、将軍が代わるたびに造り変えられました。最初、1606年(慶長11年)に築造を担当したのは黒田長政。軍師・官兵衛の嫡男ですね。1622(元和8)年に本丸の大改造に伴って現在地に改築され、1637(寛永14)年と1653(承応2)年の修築を経て外観5層(内部は穴蔵を含めて6階)、石垣の上からの高さ44.8メートル(地上からは58.6メートル)の天守閣が完成します。しかし、1657年、当ブログで何度も書いている「明暦の大火」で、天守閣はあえなく焼け落ちてしまいました。そこで、翌1658年に築造されたのが、今残っている天守台の石垣で、加賀藩4代藩主・前田綱紀によって築かれました。
しかし、この上に天守閣が築かれることはありませんでした。その辺りの事情など、続きはまた後日。