神田の太田姫稲荷神社が新装・お披露目されていると聞いて行ってみました。地元に親しまれている「病を治し、災いを除ける神様」だけあって、参拝の方々が切れ目なく訪れ、手を合わせておられました。
お茶の水聖橋に社殿を構えていた太田姫稲荷神社が、今の神田駿河台に移ったのが1931(昭和6)年、80年以上前になります。神社縁起の立札は小野の篁(おののたかむら)の伝承・古絵巻から始まりますが、最後の1行に御茶ノ水駅-両国駅間の総武線建設工事のために、一切の建物をそのまま移転して遷座したと書かれています。1923年の関東大震災で類焼、ご神体のみをようやく避難させ、その後1928年に社殿、神楽殿、御水舎、神輿庫などを新築したばかりのことで、さぞやの遷座だったろうと思います。
なのに、東日本大震災で再び被災しました。神社および社務所も老朽化が進んではいましたが、大震災の際に本殿は最大10㌢傾き、社務所は何とか倒壊を免れましたが、社務所としての機能が果たせない状況に陥りました。駿河台東部町会、駿河台西町会、小川町2丁目南部町会、錦町1丁目町会の氏子4町会などが力を合わせて、何とか再建にこぎつけたようです。今年3月から9月末までの改修工事で本殿を修復して傾きを戻し、屋根の銅版張りも新しくなりました。社務所を新築、ひびの入った鳥居も新造されました。
菅原道真公、徳川家康公が合祀されている文武の神様ですし、もちろん江戸開祖の太田道灌ゆかりの神社です。
ちょっと残念だったのはこの日、「江戸城の鬼門を守る鍵をくわえる白狐」=写真㊦=を見ることが出来なかったことです。修復工事が終わったばかりで、まだ戻されていないのでしょうか。それとも本殿の中に仕舞われているのでしょうか。普通、稲荷神社の狐がくわえている鍵は、穀物蔵の鍵だと言われていますが、太田姫神社の白狐は、太鼓の上に乗り、後ろ脚を蹴り上げて、江戸城の鬼門の方角(東北向き)の出入り口を守る鍵をくわえています。太田姫は道灌の姫という説と、この白狐の別名という説もあるのですが、社殿の神社縁起には太田道灌の姫の病が快癒した話しか書かれていません。また近いうちに、白狐を見るために太田姫神社に出掛けようと思っています。何しろパレスサイドビルからは10分少々のところですし、「病を治し、災いを除ける神様」ですから、ご利益は多そうです。