1878(明治11)年に近衛砲兵第1大隊の兵260余名が反乱を起こした「竹橋事件」では、竹橋の営所から直線距離300~400メートルの清水門前にあった大隈重信参議(1838~1922年)=写真=の邸宅が砲撃を受けたことは、以前に紹介しました。反乱の直接の引き金が、前年の西南戦争での行賞への不満で、大隈が行賞をケチった張本人として標的にされたのでした。
竹橋交差点から専大前交差点に向かってすぐのところに雉子(きじ)橋がかかります。今は30メートル以上の長さですが、江戸時代は、共立大の前の小さい橋だったようです。そこから皇居側の清水堀の手前、今の自動車ディーラーの辺りに雉子橋御門がありました。大隈邸は、ここから清水門前付近まで、現在は九段合同庁舎、東京法務局、千代田区役所になっている一帯を占める大邸宅でした。大隈がこの地に住んだのは1876(明治9)~84年の8年足らずですが、この間、81年の下野(明治14年の政変)を経て82年10月には東京専門学校(現早稲田大学)を開いています。
邸宅の用地はその後、フランス公使館、憲兵練習場などになり、1935(昭和10)年に国営竹平住宅(憲兵隊宿舎、後に公務員宿舎)が建てられ、2001(平成13)年から解体された後、2007年に地上23階建ての区役所が完成したのです。