本年も、パレスサイドビルをよろしくお願い申し上げます。
東京は全体に穏やかな正月でしたが、皆様はどのような新年を迎えられたでしょうか。暦通りなら2年連続の9連休でしたネ。海外などに出かけた方も多かったのではないでしょうか。私のように、ゆっくり過ごした方もおられるでしょう。
新年ですので、初詣のご報告。"今年の人"と言えば・・・吉田松陰(1830~59年)。NHKの大河小説「花燃ゆ」は松陰の妹がヒロインですから。その松陰所縁(ゆかり)の場所と言えば・・・ということで、初詣は迷わず松陰神社(世田谷区若林4丁目)へ。1月3日に行きましたが、写真㊨㊤のように、「花燃ゆ」のポスターが参道でバッチリ目立ってます。人出もなかなかのようで=写真㊨㊦、賽銭箱に到達するのに10分余り行列しました。
神社には松陰のお墓があります。写真㊧㊦ですが、思いのほか小さいのに驚きます。ご存知、安政の大獄で斬首された松陰の遺骸は、まず小塚原(こづかっぱら)回向院(荒川区南千住)に葬られました。明暦の大火の被害者の供養に建てられた両国の回向院の別院でしたが、今は独立したお寺です。傍らに小塚原刑場があることから、刑死した人を弔うべくお寺ができたのですが、松陰が処刑されたのはここではなく、江戸伝馬町処刑場(今の大安楽寺=中央区日本橋小伝馬町)のようです。
さて、井伊直弼(1815~60年)が暗殺されて安政の大獄が終わった後、1863(文久3)年に高杉晋作、伊藤博文ら松下村塾の教え子たちが松陰の遺骸を小塚原回向院から毛利屋敷があった世田谷に改装したのが今のお墓で、「禁門の変」(1864年)後の長州征伐の際、幕府により破壊されましたが、維新成った1868(明治元)年、木戸孝允らの手により修復され、1882年には松陰神社が創建されました。周囲には維新の志士らも多数埋葬されています。後に、徳川家が"罪滅ぼし"に石灯籠などを贈ったそうで、松陰の墓所前に見られます。
実は、松陰のお墓は小塚原回向院にも墓石だけ残っているほか、故郷の山口県萩市にもあります。誕生地に隣接し、団子岩とよばれる小高い風光明媚な場所で、松陰没後100カ日に、吉田家墓地に家族や親戚、高杉、久坂玄瑞らが集まって霊を弔い遺髪を埋葬、後日墓碑も建立したものということです。"本物争い"ではありませんが、世田谷の松陰神社が本当の墓ということです。
松陰神社も、萩市にもあります。萩の神社境内には松下村塾の建物が残されていますが、世田谷の神社にも松下村塾の建物があります=写真㊨。これは文句なく萩が本物で世田谷はレプリカ。NHKに出てくる塾の場面と雰囲気を比べてみてください。
松陰の像を神社で2体確認しました。一番上の写真は鳥居と本殿の中間くらいの目立つ位置。1890年、日本の近代彫刻の先駆者として知られる大熊氏廣によって製作された石膏像から、神社鎮座130周年記念として2013年に鋳造されたブロンズ像です。
まだ松陰神社に行ったことがない方、一度訪ねてみてはいかがでしょう。