1923(大正12)年9月1日に起きた関東大震災の日に、パレスサイドビルでも「震災対応訓練」を実施しました。パレスサイドビルを管理する㈱毎日ビルディングでは年に数回の震災訓練、消防訓練、救命講習などで適切な対応を体で覚えるよう、繰り返し訓練を行っています。震災対応訓練については、毎回の訓練ごとに検証する「震災対策マニュアル」と「地震発生時の初動措置マニュアル」に基づいて、いろいろな事案を分刻みで織り交ぜながら、当日に急に指示するシナリオも入れて訓練をしました。
午前10時ちょうどに訓練開始。東京地方に震度6強の地震が発生したという想定です。机の下に常備しているヘルメットを急いで被り、そのまま机の下に潜り込みます。1~2分後に揺れが収まった後、余震を警戒しながら各部の要員の安全確認をします。ほぼ同時に、担当取締役が「震災非常配備体制」を発令、社長を本部長とする「震災対策本部」を発足させます。1時間の訓練のスタートです。
パレスサイドビルのエレベーターはすべて地震管制装置が付いていますが、東18号エレベーターと西17号エレベーターで閉じ込め発生。地下鉄竹橋駅入り口のエスカレーターが急停止したため数人が転倒、けが人が発生したという被害想定一報が次々に入ります。
毎日ビルディングの社員はもちろん全員、それに館内2つの警備会社の警備員、設備管理の技術員、清掃員が参加をしました。写真は、警備員が詰めている防災センター、設備員が待機している中央監視室です。いずれもパソコンやメーター類の端末で館内の様子を見ています。エレベーターの閉じ込め現場に着いて、中への呼びかけ、安全確保、エレベーターメンテナンス業者への通報を終えると、間髪置かずに1階飲食店から出火。防災センターから2人が消火器を持って現場に急行、しかし消火器での鎮火は出来ず、屋内消火栓での消火応援依頼の設定で進みます。と、地下1階の別の店舗からも自火報が発報、別の場所で訓練火災は続きます。
バタバタと時間が流れますが、まだ最初の地震から15分、ビル内点検の設備班からは異常なし、不具合なしの連絡も入りますが、エスカレーターのけが人の応急処置を済ませても、エレベーターの閉じ込め者の救出はまだです。1階と地下1階の店舗火災でも軽傷のけが人が出ました。救急箱が足りなくなっています。次回までの反省点です。
この後も外壁レンガの落下、地下2階で漏水、10時30分には震度5強の余震発生、2カ所で自火報発報、1階店舗で陳列棚が倒れ客が下敷き、といろいろなケースを想定して、1時間後に訓練を終えました。
訓練終了後の11時からは各部門の責任者たちが集まって、訓練検討会。無線の混信が指摘されましたし、一部情報の食い違いもありました。これらはすべて、次回の訓練に生かしていくことになります。