今の時代、広告を目にしない日はありません。今の時代というよりも、ずいぶん以前から私たちの生活と広告は切っても切れない関係にあります。特にパレスサイドビルの毎日新聞社は、前身の東京日日新聞創刊の直後から新聞広告を掲載していますから、広告とは長~く密接な関係です。
では、世界最古の広告は?
ネットでいろいろと調べましたが分かりません。それらしいところでは古代エジプトが最初ではないかという説がありました。古代エジプトのテーベ遺跡から発掘されている「奴隷が逃げたので捕まえてください。(中略)-テーベで一番上手な織物師であるハプー」というのが、現存する最古の広告という説です。
それでは、日本のIT分野における広告の歴史はどうでしょう。こちらならまだ数年前のことでしょうから、分かるかもしれません。
日本のインターネット広告の歴史はバナー広告から始まっています。1996年4月ヤフージャパンが開始し、2002年にはリスティング広告が始まったようです。リスティング広告とは、検索エンジン(Yahoo!やGoogleなど)でユーザーがあるキーワードで検索した時に、その検索結果に連動して表示される広告の事です。2005年には「行動ターゲティング」という言葉も出てきます。インターネットユーザーのクッキーを利用し解析することで、求める人に必要な広告を届けようという考え方です。ネットを見ていると、「あれ、俺にぴったりのバナー広告が出ている」「ちょうど靴が欲しいと思っていたら、靴のPRが出てきた」ということがありませんか。あれが、最新のネット広告です。
では、日本でもっとも古い広告塔は?
もちろんこれも不明なのですが、明治の文豪・森鴎外が小倉(今の北九州市小倉北区)時代のことを書いた小説『獨身』に『西洋から直接小倉に伝わった、東京にはないもの』として広告塔が出てきます。『常盤橋の袂に圓(まる)い柱が立ってゐる。これに廣告を貼り付けるのである。』=写真は、長崎街道の東の起点である常盤橋に当時の3分の1のサイズで復元されている広告塔です。
鴎外は1899(明治32)年から足掛け4年を、九州・小倉の陸軍第12師団の軍医部長として過ごしました。10分足らずの距離を毎朝、馬に乗り、馬を馬丁にひかせて通勤していました。北九州市では当時鴎外が住んだ家が、鴎外旧居として残されています=メーンの写真。
蛇足ですが、几帳面な文豪が小倉での日々を書き残した『小倉日記』は一時所在が分からず、その小倉日記を探すことに生涯を捧げた、障害を持つ青年のストーリー『或る「小倉日記」伝』は、松本清張の第28回芥川賞受賞作です。