パレスサイドビル地下1階と1階の名店会ではきょう5月1日と2日に名店会加盟店を利用されたお客様に、鯉のぼり柄の金太郎飴=写真㊤=を先着1500人にプレゼントしています。吹き抜け中央廊下でみなさんに楽しんでいただいた鯉のぼりと武者のぼりの飾りは、あす5月2日までです。鯉のぼりは5月5日の端午の節句まで飾るのが本来ですが、連休中はパレスサイドビルが原則お休みなので、申し訳ありません。
みなさんのお宅の(といっても東京では個人のお宅で鯉のぼりを見るのは珍しくなってきましたが)飾りも、この連休まででしょうが、昔の鯉のぼりは「お父さん」だけだったのは、ご存知でしょうか。鯉のぼりは、通説として中国の正史、二十四史の一つである後漢書による故事から始まったと言われています。中国・黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り、竜になることができたことにちなんで鯉の滝登りが立身出世の象徴となりました。この立身出世にあやかって江戸時代中期から、端午の節句に飾るようになりました。本来は真鯉(まごい=黒い鯉)のみで、これに裕福な町家では五色の吹き流し飾りなどが付けられていました。えっ、お父さん鯉の単身赴任みたい、とおっしゃる方、その通りです。江戸時代はお父さん鯉が単身で滝登りをしていたのです。(右上の絵は歌川広重による名所江戸百景の「水道橋駿河台」です。江戸時代の鯉のぼりは黒一色です)
時代は移って、明治時代から真鯉(まごい)と緋鯉(ひごい)の対で揚げるようになりました。つまり夫婦で?
いえ、違います。
この歌詞をご存知ですよね。
やねより たかい こひのぼり
おおきい まごいは おとうさん
ちいさい ひごひは こどもたち
おもしろさうに およいでる
童謡 鯉のぼりです。1931年(昭和6)年12月に刊行された『エホンショウカ ハルノマキ』が初出ですが、よく聞くと、お母さんがいません。昭和初期の鯉のぼりは、お父さん鯉と子どもの鯉が大空を泳いでいる間、お母さん鯉は家で留守番です。ひょっとしたら父子家庭かもしれません。
で、昭和時代も進むにつれ、家族を表すものとして子鯉(青い鯉)を添えたものが主流となってきたようです=写真㊧。子どもたちだった緋鯉はいつの間にかお母さん鯉に役割が変わりました。最近では緑やオレンジといった、より華やかな色の子鯉も普及してきており、所によっては女の子も含め家族全員の分の鯉を上げる家もあるそうです。
端午の節句も金太郎(時として桃太郎)も、健やかな子の成長を願う親心ですね。