パレスサイドビルを出て江戸城・清水門(しみずもん)への散歩で、門を入って北の丸公園へと登る石段を、先日紹介しました。「雁木坂(がんぎざか)」です。
ところが、雁木坂は江戸城だけじゃないよ、と、教えていただきました。早速、ネットでググると、出てきますね。
身近なところでは千代田区神田駿河台1丁目=写真㊤。JR御茶ノ水駅の南、靖国通りの方へ100メートルほど、御茶ノ水杏雲ビル・駿台予備校お茶の水1号館と日大歯学部病院・杏雲堂病院の間の道で、「小桜通り」とも呼ばれます=地図参照。今は石段がありませんし、とてもなだらかです(写真の左側、地図の下方向にむかって靖国通り方面に下りて行く坂がよほど急です)。
千代田区教育委員会が設置した標識には次のようにあります。
「今はその面影もありませんが、むかしは急な坂で雁木が組まれていたといいます。雁木とは木材によりはしご状または階段状に組んで登りやすくしたもので、登山道などに見られます。『新撰東京名所図会』には『駿河台西紅梅町と北甲賀町の間を袋町の方に行く坂を雁木坂と称す。慶応年間の江戸切絵図をみるに、今の杏雲堂病院の前あたりに『ガンキ木サカ』(原文ママ)としるされたり』と書かれています。」(慶応年間は1865~1868年)
次なる「雁木坂」は港区麻布台1丁目。こちらは今も石段なので風情があります=写真㊧㊤。ただ、港区が設置した標識では、特に歴史的経緯については触れられていません。
最後にもう一つ。全国的にメジャーなのは、むしろこっちでしょうか。天下の大阪城です=写真㊧㊦。
ここの標識にも詳しく書いてあります。
「大阪城の本丸を取り囲む二の丸は北が低く、内堀の東にあたるこの通路は南から北にかけて急な下り坂となっている。江戸時代ここは長い石段(雁木)だったことから雁木坂とよばれ、坂を上りきった所には上部に部屋を持つ雁木坂門があり、脇には通行を監視するための番所が置かれた。明治維新以後の陸軍管轄時代にはダラダラ坂とも呼ばれた。現在、盛土によって坂の勾配はゆるやかになっている。」
「雁木坂」は、固有名詞とじゃなくて普通名詞ってことですね。
「日本坂学会」という民間団体があり、ホームページ(http://sakagakkai.org/)にもこの3つの雁木坂が全国の坂のリストに収められています。