【2017年8月】のアーカイブ

 暑さが少し戻ってきました。パレスサイドビルを出て昼休みにぶらぶら散歩すると、かなり汗が出ますが、木陰はそれなりに涼しい風も・・・。ということで、江戸城(皇居)東御苑の富士見櫓(やぐら)です。昨年秋から、ちょっと近くまで行けるようになりました=写真㊤

 櫓とは、城郭の隅や城門の上などに設けられ、見張りや防御の役割を果たしました。平時には収蔵庫(倉庫)など多様な用途に使用されたようです。江戸城には19の櫓があったとのこと。今は、伏見櫓、桜田二重櫓、富士見櫓の3つだけが残り、その中で、富士見櫓は唯一の三重櫓、つまり3階建て。建物の高さ 約16メートル、石垣の高さ 約15メートル、延面積 323.08平方メートルです。

 1606(慶長11)年ごろ創建されたといい、明暦の大火(1657年)で焼失し、1659(万治2)年に再建され現在の姿になったといいます。ほとんど天守閣の風格ですね。それもそのはず、明暦の大火では天守閣も焼失し、天守閣はその後、再建されることはなく、その代用として、富士見櫓が使われたのです。標高23メートルと天守台(約30メートル)に次いで高いからでしょうが、天守閣が再建されなかった裏には、時の4代将軍・徳川家綱の後見役で、3代家光の異母弟である会津藩主・保科正之の指示がありました。2014年12月12日の当ブログ(https://www.mai-b.co.jp/guide/2014/12/part4-6.html)で書きましたが、保科は「天守は近世の事にて、実は軍用に益なく、唯観望に備ふるのみなり。これがために人力を費やすべからず」(『寛政重修諸家譜』)と述べ、被災者の救済や復興優先を主張したというのです。

◇I富士見櫓 地図2.jpg 「富士見」ですから、家綱以降の将軍はここから、富士山を愛でたのでしょう。両国の花火や品川の海も、眺めたといわれます。

 説明が長くなりましたが、歩いてみましょう。㊧地図(宮内庁ホームページより)の紫色の線を参照してください。竹橋から紀伊国坂を上って北桔橋(きたはねばし)門へ。ここから東御苑に入ってすぐ、目の前に天守台の石垣がそびえています。その脇を抜けて広々とした本丸跡に出たら、広場を突っ切って南に向かった右の奥に、お目当ての富士見櫓があります。前に紹介した富士見多聞(広場の真ん中辺の西端)の横を通るイメージ。本丸の南東の隅にあります。

 一番上の写真は現在、近付けるだけ近くまで行って撮影しました。かつてはどうだったかというと、一番近くでも写真㊨が精いっぱいでした。柵があって、これ以上近◇150602DSC_5626小.jpg寄れませんでした。写真㊦のように、現在の柵は元の位置(赤い点線)から15メートルぐらいでしょうか、櫓の方に後退して、グンと近くで見ることができるようになったのです。以前の柵は「富士見櫓」の石の標識のところ(写真㊦の青丸)にありましたので、行った際はご確認ください。

 といっても、ここから見えるのは「背中」「お尻」。表からの雄姿は、皇居の一般参観で桔梗門を入ると見られます。

◇古い柵.jpg

 パレスサイドビルに7下旬、「薬局」が誕生しました。正確に言うと、1階西側のコンビニ「ファミリーマート パレスサイドビル店」内、東(ビルの真ん中寄り)の入り口すぐの棚が、医薬品販売のコーナーになったというわけです=写真㊤

 販売するのは「一般用医薬品」の一部。医薬品には第一類、第二類、第三類があり、第一類は安全性評価が確立していない成分、またはリスクが特に高いと考えられる成分を含み、その副作用などにより日常生活に支障を来たす程度の健康被害が生ずる恐れがある医薬品で、薬剤師のみが販売できますから、今回の販売対象外ということです。IMG_20170804_153600.jpg

 棚を覗いてみると、テレビCMなどでお馴染みの名前がズラリ=写真㊨。風邪薬、頭痛薬、胃腸薬、湿布薬などですね。市販薬の大半は第二類、第三類なので、フツーの街中の薬局と大差はないと考えてよさそうです。

 販売時間は、お店の営業時間(午前7時~午後11時)より短い午前9 時~午後5 時。クレジットカード、Tポイント、Tマネーでの購入もできます。

 ファミリーマートはほぼ1年前の2016年7月4日、ビルの1階東から現在地に移転、面積が29.43坪から91.85坪へと、3倍余りに大拡張され、その時から医薬品コーナーの設置が検討されていました。他方、テナントの皆さんをはじめ、ビルを利用される多くの方から医薬品の販売を強く要望されていたため、パレスサイドビルとしてもファミリーマートに、医薬品販売を要請していました。

 内堀通りの歩道に建つ鉄柱。な~んでしょ?

 高さ約5メートル。電線がつながっているわけではありませんから、電信柱ではありませんね。場所は、パレスサイドビルの東玄関前です。

 種明かしというほどではありませんが、これ、タクシー乗り場の庇を支える柱なんです●DSC_6473.jpg

 写真㊨㊤写真㊨は庇があった時と今の比較です。なんか、いつもあるものがないのは、スースーして落ち着きませんね。

 この春、1969年に設置された庇の本格的な●IMG_20170808_122624.jpg改修に着手し、屋根を外したのですが、50年近く風雪に耐えてきたものだけに、 構造物が思いのほか傷んでいたため、改めて改修計画を練り直していました。お盆も明け来週から本格的な工事を再開し、9月末に完成予定です。

 さて、実は、この庇ができる前、ビル開館当時は、ここには立派な車寄せがありました。「パレスサイド・ビルディング50年史」(2017年10月刊行)に詳しく書いていますが、写真㊧㊤が1966年10月の開館当時の風景です。庇は12メートル四方の巨大なものでした。車もクラシカルですね。

 ところが、内堀通りの拡幅計画のためにビルの敷地の一部を提供することになり、ビル前はすぐ都道になり、歩道も整備され、庇は都の許可を得て歩道を覆う形で設置されることになりました。

 そうして完成した1969年末の様子が写真㊧㊦です。よくご覧ください。球状の屋根が二つ並んだ形(左右各6.4メートル幅)なのですが、その屋根が三角にせり上がっていますね。そう、電動で●車寄せ3トリ.jpg屋根が半分開閉する仕掛けなのです。正直に言って、なんのために開閉機能を持たせたのか、今となっては謎。実際、庇がどのような時に開閉されたのか、いつまで開閉されていたのかなども、はっきりしません。むろん、長いこ●雨除け19701222①.jpgと開閉を行ってはいませんし、今回の改修でも、開閉機能の復活はしません。

 改修工事は、できるだけビル関係者、通行のみなさんの邪魔にならないよう、原則として夜間(午後10時~午前6時)に行い、天候などのため工程が遅れるような場合は日曜等の昼間も工事することがあるかもしれません。いずれにせよ、玄関の半分が通行止めになるなど、ご迷惑をおかけしますが、どうかご理解ください。

 パレスサイドビルは、テナントの皆さんやビル社員、協力会社員を集めた2017年度の「上級救命講習」を6日、地 下1階毎日ホールで開催しました。急病人やけが人の発生、とりわけ心肺停止など1分1秒を争う緊急事態に対応できるように、「1事業所に1人以上の上級救命講習修了者の配置」を目標に、2014年から本格的に実施しているもので、今回は17人が受講しました。

 公益社団法人東京防災救急協会の講師を迎えて午前9時~午後5時の8時間、昼食休憩を挟んでみっちり取り組みました。座って、講義を聞いて、睡魔との闘い・・・という講習も多いようですが、この講習は、なんといっても実技中心という特徴があります。講師の説明をちょっと聞いた後は、とにかく声を出し、体を使い、瀕死の状態の人を助けることに徹した訓練を繰り返しました。

 こうした救命講習は、市区町村の消防局や東京消防庁のような消防本部が指導し、認定する公的資格の一つで、半日の「普通救命講習」と終日の「上級救命講習」があります。当ビルで実施しているのは「上級」で、成人への心肺蘇生法だけでなく小児・乳児・新生児に対する蘇生法も学ぶのが大きな特徴です。P8060341トリ2.jpg

 止まっている心肺を蘇らせる蘇生法は「胸骨圧迫」。よく、「人工呼吸」と言いますが、正確には、蘇生術は、心臓を動かす「胸部圧迫」と、肺に息を吹き込む「人工呼吸」の2本立てです。

 「胸部圧迫」は、成人では胸の真ん中に手の付け根を置き、両手を重ねて体重をかけ、肋骨ごと約5センチ沈むように圧迫します=写真㊤。一方、小さい子供に同じようにやったらつぶれてしまうので、16歳未満の「小児」は片手の手のひらで胸骨の下半分の位置を、胸の厚さの3分の1が沈むまで押し、1歳未満の「乳児」は胸の中心やや下を指2本で圧迫する=写真㊨=といった具合です。

 この胸部圧迫を、1分間に100~120回のペースで30回したら、肺に息を吹き込む人工呼吸2回、そしてまた胸部圧迫・・・と、救急車が到着するまで続けます。やってみると相当の重労働です。実際には、複数の人が交代でやらないと続けられないでしょう。

 さらに、救★P8060351.jpg命の大きなカギを握るAED(自動体外式除細動器)の操作も重要な訓練項目です=写真末尾。これは、機械を持ってきて、スイッチさえ入れれば、機械が声で手順を支持し、これに従ってあわてずにやれば、概ね。うまくできるようになっています。

 このほか、応急手当では、やけど処置や骨折固定などがありますが、今回は三角巾を使って、頭部のけがの止血=写真㊧や、骨折などで傷ついた腕をつりさげる実技などを教わりました。

 全教程を修了し、全員合格。後日、消防長認定の「救命技能認定証」が交付されます。

 参加していただいた皆さん、お疲れさまでした。

★P8060334.jpg

●IMG_20170802_123400花弁アップ.jpgさて、写真は何でしょう。はホワイトチョコレート? はレースの生地??

 種明かしは後にして、パレスサイドビルを抜け出して、ぶらぶらと、久しぶりに江戸城(皇居)の東御苑を散歩しました。向かったのは、本丸跡の芝生の広場のところです。北橋門から入って、天守台の横を抜けました。

 56月に比べると、植物も夏バテの季節ですが、そこで一番元気に咲いているように見えたのがムクゲ。天守台から南に向かって芝生の広場の奥、富士見櫓に近い方の植え込みに咲いていました。松の大廊下跡の横くらいの位置です。この花の中央の花粉をアップにしたのが冒頭の写真㊤。花弁をアップにすると、花だから葉脈ではありませんが、そのような細かい透かしが入っているように見えるのが写真㊤㊨です。

●IMG_20170802_123400.jpg 花の全体像は写真㊧です

 ムクゲはアオイ科フヨウ属の落葉樹で、原産地は中国。別名ハチス。庭木として広く植栽されるほか、夏の茶花としても欠かせない花です。

 漢字では「槿」ですが、中国語の木槿(ムーチン)と書いて「むくげ」と読ませることも、ままあります。

 通常、樹高3~4メートルくらいで、7~10月に白、ピンク、紫、さらもは赤いものまで、美しい花をつけます。花の大きさは直径5~10センチ程度。花の咲き方は、一重咲き、半八重咲き、八重咲きといろいろのようで、写真は花弁が5枚あるように見えます。

白の一重花に中心が赤い底紅種は、千宗旦(利休の孫、宗旦流の祖)が好んだことから、「宗丹木槿(そうたんむくげ)」とも呼ばれるそうです。写真は一重ではないようですが、宗丹木槿のイメージはこんな感じではないでしょうか。

 2日はちょっと猛暑も一服で、歩いても軽く汗ばむ程度でした。カンカン照りの暑い日は、ちょっと散歩も躊躇しますが、暑さの合間を縫って、江戸城の散歩をお楽しみください。

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