【2017年8月30日】のアーカイブ

 暑さが少し戻ってきました。パレスサイドビルを出て昼休みにぶらぶら散歩すると、かなり汗が出ますが、木陰はそれなりに涼しい風も・・・。ということで、江戸城(皇居)東御苑の富士見櫓(やぐら)です。昨年秋から、ちょっと近くまで行けるようになりました=写真㊤

 櫓とは、城郭の隅や城門の上などに設けられ、見張りや防御の役割を果たしました。平時には収蔵庫(倉庫)など多様な用途に使用されたようです。江戸城には19の櫓があったとのこと。今は、伏見櫓、桜田二重櫓、富士見櫓の3つだけが残り、その中で、富士見櫓は唯一の三重櫓、つまり3階建て。建物の高さ 約16メートル、石垣の高さ 約15メートル、延面積 323.08平方メートルです。

 1606(慶長11)年ごろ創建されたといい、明暦の大火(1657年)で焼失し、1659(万治2)年に再建され現在の姿になったといいます。ほとんど天守閣の風格ですね。それもそのはず、明暦の大火では天守閣も焼失し、天守閣はその後、再建されることはなく、その代用として、富士見櫓が使われたのです。標高23メートルと天守台(約30メートル)に次いで高いからでしょうが、天守閣が再建されなかった裏には、時の4代将軍・徳川家綱の後見役で、3代家光の異母弟である会津藩主・保科正之の指示がありました。2014年12月12日の当ブログ(https://www.mai-b.co.jp/guide/2014/12/part4-6.html)で書きましたが、保科は「天守は近世の事にて、実は軍用に益なく、唯観望に備ふるのみなり。これがために人力を費やすべからず」(『寛政重修諸家譜』)と述べ、被災者の救済や復興優先を主張したというのです。

◇I富士見櫓 地図2.jpg 「富士見」ですから、家綱以降の将軍はここから、富士山を愛でたのでしょう。両国の花火や品川の海も、眺めたといわれます。

 説明が長くなりましたが、歩いてみましょう。㊧地図(宮内庁ホームページより)の紫色の線を参照してください。竹橋から紀伊国坂を上って北桔橋(きたはねばし)門へ。ここから東御苑に入ってすぐ、目の前に天守台の石垣がそびえています。その脇を抜けて広々とした本丸跡に出たら、広場を突っ切って南に向かった右の奥に、お目当ての富士見櫓があります。前に紹介した富士見多聞(広場の真ん中辺の西端)の横を通るイメージ。本丸の南東の隅にあります。

 一番上の写真は現在、近付けるだけ近くまで行って撮影しました。かつてはどうだったかというと、一番近くでも写真㊨が精いっぱいでした。柵があって、これ以上近◇150602DSC_5626小.jpg寄れませんでした。写真㊦のように、現在の柵は元の位置(赤い点線)から15メートルぐらいでしょうか、櫓の方に後退して、グンと近くで見ることができるようになったのです。以前の柵は「富士見櫓」の石の標識のところ(写真㊦の青丸)にありましたので、行った際はご確認ください。

 といっても、ここから見えるのは「背中」「お尻」。表からの雄姿は、皇居の一般参観で桔梗門を入ると見られます。

◇古い柵.jpg

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