江戸城(皇居)東御苑の本丸跡の広場の奥にある「富士見多聞(たもん)」。その内部が2016年秋から公開されているのを御存知でしょうか。
正確な位置は右の地図(宮内庁ホームページより)を参照してください。パレスサイドビルをぶらり出て、真向かいにある平川門、あるいはビルから代官町方面に紀伊国坂を登って行く途中の北桔橋(きたはねばし)門から本丸跡に上がり、竹林や石室などの裏側です。
「多聞」とは、戦国時代末期から城郭の石垣上に建てられた長屋です。敵が攻めてきた際、弓や鉄砲で攻撃する強固な防御施設であり、武器庫としても使われていました。平時には、武器のほか、諸道具、文書などの収蔵庫、あるいは女中の住居など多様な用途に供されたそうです。
江戸時代の江戸城本丸は、十五もの多聞がぐるりと周囲を固めていましたが、現存するのは、この富士見多聞だけです。
富士見多聞内の説明文によると、建築された正確な時期は不明ですが、1659(万治2)年ごろの可能性があるということで、徳川将軍の地位はすでに安定していて、防御の必要性はあまりなかったと思われます。
写真㊧は多聞の中に掲示されていた図面(多聞建設当時)です。本丸御殿内の、将軍の日常生活の場である「御休息」の近くという位置から、「御休息所前多聞」という名前も残っているとのこと。ふすまが備えられていた形跡もあり、富士見多聞も、倉庫以外の用途があった可能性が考えられるそうです。
用途とは別に、城の装飾としての機能も重要だったと思われます。蓮池濠に面した高さ約20メートルの石垣上にあり、なかなかの雄姿です。この濠に沿った乾通りから良く見えますが、といっても、乾通りは普段は入れません。2014年から、春のサクラ、冬(12月)の紅葉の時期に数日、一般公開されるようになり、写真㊦の1枚目は2016年3月、2枚目は2014年12月の、それぞれ乾通り公開の際の貴重なショットです(2016年冬、2017年春は乾通りの樹木の更新工事を行うため一般公開を休止)。
千代田区観光協会のホームページは富士見多門の石垣について、以下のように説明しています。
「東・南・西の三面いずれも激しく屈折しています。石垣下と石垣塁壁に取り着いた敵を攻撃する際、死角をなくすための工夫だといわれています」(http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/254/Default.aspx)
いずれにせよ、白壁を擁する姿は、なかなか美しいです。