【2016年9月23日】のアーカイブ

 パレスサイドビルを出てぶらりと江戸城(皇居)「二重橋」へ。9月14日に書いた続きです。

 前回、地下鉄千代田線「二重橋前駅」を降り、皇居外苑の楠正成像のほぼ真正面に「皇居正門石橋」があり、そのすぐ奥にもう一つ、「皇居正門鉄橋」があること、「二重橋」とは、正式には「鉄橋」を指すこと、とは言え、「石橋」と「鉄橋」を合わせて「二重橋」ということなどを書きました。

 歴史上、「二重橋」の名を冠した事件が、大きく3つあります。今日はその話。

 まず一番大きな事件が1954年1月2日の「二重橋事件」。正月恒例の皇居の一般参賀に大勢の人が訪れ、「二重橋」で将棋倒しになって16人が死亡、65人が重軽傷を負うという大惨事になったのです。事件とは言っても、事故ですね。一番上の写真は、これを報じた1月3日「毎日新聞」朝刊社会面です。二重橋事故・『アサヒグラフ』 1954年1月20日号小2.JPG

 皇宮警察と警視庁丸の内署の警備が不十分だったということで、警察は警備上の欠陥を認めて、犬養健法務大臣らが被害者を慰問したそうですが、皇宮警察と警視庁での説明が食い違い責任をなすりつけ合うような格好になったといいます。いつの時代も、同じようなことがあるんですね。最終的に警察関係の9人が処分されたようですが、刑事事件にはならなかっ二重橋事故皇居内から見た橋上と広場の群衆 19540102小.jpgたとのこと。

 この現場の橋は、新聞紙面では分かりにくいですが、写真㊨㊤(『アサヒグラフ』 1954年1月20日号)や他の現場写真㊨㊦などを見ると、上記2つの橋のうち、間違いなく「石橋」です(14日に塔ブログに乗せた写真参照)。つまり、正確に言って、「二重橋=鉄橋」ではないということになります。

 あと2つは戦前で、爆弾絡みの事件です。

 一つ目の二重橋爆弾事件は、1922(大正11)年3月17日、大正天皇(摂政宮)に上奏文を渡して直訴する目的で二重橋から入り込もうとした労働者・藤田留治郎が、持っていた爆弾に火を付けて橋の上で爆死した事件です。

 二つ目の二重橋爆弾事件は、1924(大正13)年1月5日に朝鮮独立運動組織・上海義烈団のメンバーの金祉燮(キム・ジソプ)が皇居突入を図って警官に手りゅう弾を投げつけた(いずれも不発)事件で、金は無期懲役が確定(後に懲役20年に減刑)し、1928(昭和3年)獄死しました。

 両事件とも、やはり舞台は「石橋」で、「二重橋事件」の名は不正確と言えますが、目くじらを立てることはないか・・・。

 ちなみに、皇居外苑を管理する環境省のサイトの「二重橋」を紹介するページ=写真㊦=には「『二重橋』は一般にこの二つの橋を総称して言われていますが、厳密には奥の橋を指します」と説明しています。ただ、写真は石橋で、奥の鉄橋は見えません。せめて、両方の橋の写真は使ってほしいところですね。じゃないと、「石橋=二重橋」という世間に広くある誤解を助長しかねないと思いますが、いかがでしょう。

環境省HP.jpg

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