パレスサイドビルの真向かい、江戸城(皇居)東御苑の本丸跡の広場の奥にある「富士見多聞(たもん)」が2016年秋から公開されていることは、年が明けて3月に書きましたが、その話の続きです。
中に入れるようになったということは、西方向を望むことができるということ。そして、「富士見」ですから、冬などは富士山が......と、期待するところです。
でも、結論として、残念ながら、富士山は拝めません。
写真㊤は富士見多聞の窓からの眺め。すぐ下の濠の方に向く窓は、3月に書いたように、元来、防御第一ですから、縦に細い格子様で、その隙間から見ることになります。窓のところの全体の感じは写真㊨のような具合です。
かつては将軍らが富士山のほか、春はサクラ、秋冬は紅葉などの眺望を楽しんだのでしょうか。そんな気分が、ちょっぴり味わえますね。写真は昨年秋の紅葉のシーズンのものです。
窓から何が見えているかを示したのが写真㊧㊦です。
手前が、本丸と西の丸を分ける蓮池濠。これに沿って走る乾通りは、皇居内を南北に貫く主要道路です。サクラやモミジが植えられ、春の桜、冬の紅葉シーズンに一般開放されるようになったのは、当ブログでも何回も書いた通りです。(2016年冬、2017年春は樹木の更新工事のため公開を休止)
乾通りに沿って局(つぼね)門と門長屋があります。いずれも明治時代、明治宮殿が造営された1887(明治20)年ごろの建物。局門は、この辺りに女官が居住していた局があったことに由来する名で、写真は工事中。門長屋は木造2階建ての倉庫で、中央部に門があります。末尾の写真が乾通り公開時のショット。1枚目が局門(2015年12月)、2枚目が門長屋(2016年3月)です。
そして、多聞の正面が紅葉(もみじ)山です。江戸時代は頂上に東照宮がありました。現在は「紅葉山御養蚕所」があります。これは、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)に遡ります。1871(明治4)年、長らく途絶えていた宮中での養蚕を昭憲皇太后が吹上御苑内で復活。中断をはさんで1908年に貞明皇后(大正天皇皇后)によって再開されました。1914(大正3)年に紅葉山御養蚕所が新設され、香淳皇后(昭和天皇皇后)、そして現在の皇后美智子様に引き継がれています。毎年、皇后が蚕に餌の桑の葉を与える「御給桑行事」も行われ、今年も5月22日にあり、ニュースで報じられました。
最後に富士山です。かつては写真㊧㊤の赤丸部分に見えていましたが、江戸時代、紅葉山を造成したため拝めなくなったということです。いまは「富士見えない多聞」ってことですね。