2015

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石垣PART10 江戸城中之門 番外・・・鳥取藩の黒門

 パレスサイドビルの向かい、江戸城(皇居)の中之門の話を1、2月に4回ほど書きましたが、久しぶりにその関連の話題です。

 1704年に門を修復した鳥取藩32万石の第3代藩主・池田吉泰の池田家は、徳川家一門(親藩)に準ずる家格を与えられていた名家だと、繰り返し書きました。旧因州池田屋敷表門の看板.jpg

 徳川300年、江戸に構える大名の屋敷にも、家の格、財力が反映します。上野公園の東京国立博物館に、「屋外展示」の一つという位置づけで、道路からも見える立派な門=写真㊤=があるのをご存知の方も多いでしょう。案内板には「旧因州池田屋敷表門(黒門)」と書いてあります=写真㊨。そう、鳥取藩江戸上屋敷の正門だったんです。江戸時代は旧丸の内大名小路(現在の千代田区丸の内3丁目)にあったものが、明治時代に当時の東宮御所正門として移された後、高松宮邸に引き継がれ、さらに1954(昭和29)年に上赤門.jpg野に移築されたもので、国の重要文化財に指定されています。

 門の色というと、有名な門がありますね。そう、東大の「赤門」です=写真㊧。本郷キャンパスの敷地はかつて加賀藩前田家の江戸上屋敷などがあり、1827年に第12代藩主斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女溶姫を迎える際に造られ たのが赤門です。将軍家から夫人を迎える場合、門を朱色に塗る慣習があったそうですが、現存するのは、この赤門だけということです。

 さて、上野の門は、見かけの通り、別名「黒門」なんですが、東大の赤門ほど定着していません。なんでかなぁ、と考えていたら、上野にもう一つ、別の「黒門」があったことを知りました。きっと、これと紛らわしいからに違いないと思い至った次第。

 1868年5月15日、江戸城無血開城に不満を持つ彰義隊などが上野山に立て籠もり、新政府に抵抗、新政府軍が武力鎮圧した上野戦争。その最激戦地の一つが、山に8つあった門の一番前の門で、これを「黒門」と呼んでいたのです。彰義旧上野の黒門.jpg隊の戦死者266人の遺体は新政府をはばかってなかなか回収されなかったのが、円通寺(荒川区南千住1丁目)の住職らの尽力で回収され、同寺に埋葬され墓も造られました。同寺のホームページによると、黒門は1907年に「帝室博物館」(東京国立博物館などの前身)から下賜され、境内に移されたということで、荒川区指定有形文化財として今も残されていますが、柱が穴だらけなのがわかりますか=写真㊨。上野戦争の弾痕とのこと。

 歴史的遺物は楽しい出来事、明るい話を伝えるものばかりじゃありません。

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