パレスサイドビルに本社を置く毎日新聞が12日、日本の新聞で初めて、5万号に到達しました=写真㊤。もちろん、長けりゃいい、ってもんじゃぁありませんが、ひとまず、めでたい。1872(明治5)年に、毎日新聞の前身の「東京日日(東日)新聞」が創刊されてから143年間、ほぼ毎日積み重ねてきた結果ですからネ。
ちょっと説明が必要なのは、「5万号」が東日本(毎日新聞社の「東京本社」と「北海道支社」管内(静岡~長野~新潟以北)だけで、「中部本社」「大阪本社」「西部本社」管内は12日で「4万7581号」ということ。これは、現在の毎日新聞が「東日」と「大阪毎日(大毎)新聞」が合併してできたため、通算号数は、それぞれ前身の新聞の数字を引き継いでいるのです。
ちなみに、夕刊は朝刊と同じ号数です。1年前の2014年2月12日は4万9636号でしたから、1年間で約364号。365日に1号足りないって? そう、朝刊のない日は原則として年間10日あり、日曜や祝日の翌日の朝刊が休みでも、その日の夕刊は発行され、号数は増えていきますが、1月2日の朝刊が休みで、年末年始のため夕刊がありません。なので、この日だけ号数がカウントされないということ。今のペースでは30年足らずで1万号増える計算になります。
さて、5万号の12日朝刊は、紙面でPRしています。1面左下に「毎日新聞きょう5万号/ご愛読 感謝します」との囲み記事を掲げ=写真㊨、中の方には見開きの特集面が計4ページ。
特集の1つ目(東京本社版の最終版は12、13面)=写真㊦=は、創刊当時から、1万号、2万号、3万号、4万号の各節目の前後の社会状況などを解説。
・創刊2年後の1874年12月に社説欄を新設し、他紙も社説欄を常設する先駆けに
・日露戦争最中に1万号を迎え
・2万号の1932年は前年に満州事変、32年5月に5・15事件などがあり、翌年の2・26事件などを経て言論の自由が失われていった
・戦後になって3万号を迎えた1959年は高度経済成長へ向かう時代で、皇太子さま(現天皇陛下)の正田美智子さま(現皇后陛下)のご結婚という明るいニュースの一方、「総資本対総労働の対決」といわれた三井炭鉱の労働争議など、時代の転換を示す出来事があった
・4万号(1987年)は「昭和の締めくくり」といえる時期で、自民党田中派の「闇将軍」の支配の終わりなどを記述、その田中角栄元首相が脳こうそくで倒れ、車いすで庭に出る姿の空撮に成功して1986年度の新聞協会賞に輝いた
――などと書かれています。
もう一つの特集(東京本社版の最終版は20、21面)は、「文字」と「画像」の変遷を振り返っています。
1面の囲み記事は「自由と多様性を重んじながら、質の高い情報で責任のある紙面を作り続けたいと思います」と、次の6万号に向けた決意を記しています。約30年後は、どんな時代になっているのでしょうか。