11月8日は「鞴祭り」の日です。何の日かですって? 「鞴=ふいご」と読みます。私もビルに勤めるまで知りませんでした。鞴を用いる鍛冶(かじ)屋や鋳物師などが、その守護神をまつる神事です。ちなみに、11月8日と言うのは、陰暦です。
パレスサイドビルも、毎年挙行しています。今年は8日が土曜だったので、1 日早く7日午後でした。ボイラーがあるエレベーター塔の上の部屋の一角に祭壇を設け、体長50センチもの大きな鯛のほか、野菜、果物、お神酒などをお供えし=写真㊤、ビル関係者、業務委託会社、協力会社のみなさんなど計約80人が参列し、玉串を奉奠して一年の無事と商売繁盛を祈念しました=写真㊨。
鞴は「吹子」ともいい、昔の金属の精鉄や加工には欠くことのできない送風機。金属を溶かすのに必要な高温を生み出すため、風を送り込みます。獣皮を縫い合わせた革袋などに始まり、次第に改良され、気密性の箱の中のピストンを往復させて風を送り出すものなどがあり、足で踏む大型のものは「踏鞴(たたら)」と呼ばれます。
詳しいことはプロに頼るのが一番、ということで、日立金属さんのホームページを拝見したら、次のような記述があります。
「我が国で記録に初めて現れる吹子は、『日本書紀』にある天羽鞴(あまのはぶき)という皮袋の吹子(皮吹子)です。これは真名鹿の皮を全剥(うつはぎ)にして作ったとされています。この皮吹子は、もともと中国から朝鮮半島を経由して日本に伝えられたと考えられています。中国では漢代の出土品に上から吊った皮吹子のレリーフが描かれており、後漢書には水排、すなわち水車に連動する吹子で鉄を得て、農具を作ったこと が書かれています。」
同じホームページに、鞴を動かすのは相当の重労働だったため次第に人手不足になり、中国では後漢時代に水車動力が使われるようになったのに、日本では、何故か江戸時代末期にようやく導入されたとして、「約1900年も遅れたのは何故でしょうか」と書いています。ホント、どうしてなんでしょう。
この疑問はさておき、鞴祭りは元々、鞴を使う職人が、稲荷神社に詣でて鞴を清めて祝う行事でしたが、やがて、鍛冶屋や鋳物師だけでなく火を扱う商売に広がり、現代ではボイラーなどのあるところでも安全祈願の年中行事として行われるようになったということです(例えばお風呂屋さん)。ただし、最近はビルでも、行事を行わないところが増えたそうです。
鞴祭りのミカンを食べると風邪や麻疹(はしか)にかからないと言われ、昔は神社の門前で近所の子どもたちに、餅とともにミカンが振舞われたそうです。パレスサイドビルでも、参列者にミカンをお配りしました。
どうか、この1年、健康に、安全に、過ごせますように。
(写真㊦はボイラー室での鞴祭りの全景パノラマ写真)