大相撲秋場所は白鳳と鶴竜の一騎打ちでしょうか。
ということで、竹橋から地下鉄で20分足らずの相撲のメッカ、両国の回向院(墨田区両国2‐8‐10)と相撲の話の続きです。
境内で勧進相撲が江戸時代から興行されたことは先週書きました。お相撲は絵になりますね。江戸時代の芸術の一つの頂点と言える浮世絵が、こんな素敵な素材を放っておくはずもありません。
先週は回向院の全景(歌川広重)を紹介しましたが、今日取り上げるのは土俵、つまり屋内の作品。㊤の絵はそのものズバリ、「勧進大相撲土俵入之図」です。都立図書館のホームページによると、1849(嘉永2)年11月に回向院で開 催された冬場所を描いた錦絵。大関・剣山以下東方(右側)の力士が土俵入りを済ませ、代わって西方の力士が土俵に上がる場面を描いています。この作者は歌川国芳(1798=寛政9年~1861=文久元年)ですが、似たような絵柄の作品がいくつもあり、作者もいろいろです。
次(㊧)は国芳と同じ初代歌川豊国の弟子、歌川国貞(1786=天明6年~1865=元治元年、後に三代目歌川豊国)の勧進大相撲興行図(1843年)で、西方(左側)の力氏が土俵入りを済ませたところのようです。
もう一つ、㊨は三代目豊国(国貞)の門人である二代目歌川国輝(1830=天保元年~1874=明治7年)の筆になる「勧進大相撲土俵入之図」で1866(慶応2)年の土俵を描いた幕末の作品ですね。
国芳・国貞と国輝を比べて何か気になりませんか?
はい、「柱」。ピンポンピンポン。土俵の屋根を支える四本柱の色です。国芳・国貞は4本とも赤というか朱色ですが、国輝は青赤白黒の4色に塗り分けられています。これ、それぞれ青龍、朱雀、白虎、玄武の四神を表します。
ちなみに㊧㊤は戦前の旧両国国技館で、白黒ですが、4色であることが分かります。㊧㊦は現在の国技館で、蔵前国技館時代の1952(昭和27)年の秋場所から「見えにくい」ということで吊屋根となって以降も、柱の代わりに4色の房が吊るされています。東力士が力水を付ける所が「赤房下」、西が「白房下」と言われるのはこれです。
4色それぞれが配された方位や季節の守護神で、古くから五穀豊穣の願いとも結びつく縁起もので、宇宙飛行士の山崎直子さんがスペースシャトルに乗って宇宙に旅立った際、松戸神社の四神のお守りを持参しました。高松塚古墳(奈良県明日香村)の壁画にも描かれ、会津藩の年齢別の部隊編成で少年の「白虎隊」などでも知られます。
江戸時代のある程度の時期までは国芳らが描いたように4本とも朱色だったんでしょうか。