2013

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内蔵助は吉良邸表門、主税は裏門に

 赤穂四十七士が主君の敵として吉良上野介を討った忠臣蔵。14日の討ち入りの日には浪士が眠る品川・泉岳寺などで様々な行事があります。宮内庁が、この時期に合わせ、赤穂浪士関連の図面など6点をホームページで初めて公開しています(http://toshoryo.kunaicho.go.jp/=写真㊤

 6点は主に討ち入りに関係するもの。一番目を引くのは「吉良上野介屋敷図」。討ち入り当日に吉良邸●吉良邸.jpg(現在の墨田区両国付近)を取り囲んだ際の具体的な配置が記され、東の表門に大石内蔵助の名=写真㊨。西の裏門には堀部安兵衛や内蔵助の長男主税らの文字が見えます。四十七士のうち名前が確認できるのは42人。残る5人は配置場所が不明だったのか、はたまた書き写す際に漏れたのか・・・なんてことを考えながら見るのも楽しいですね。

 このほか、浅野内匠頭による江戸城松の廊下での刃傷事件から討ち入りまでの経緯を、討ち入り後に内蔵助らが語った「浅野内匠頭家来口上書等」がありますが、要は供述調書でしょうか。内蔵助が赤穂に構えた「大石内蔵之助屋敷図」は、流石に1500石、浅野家筆頭家老の家格がうかがわれる立派な造りとのこと。討入り後の浪士10人を預かった毛利家の記録「赤穂浪人御預之記」には切腹場の敷設図などもみえます。

 いずれも江戸後期以降に書き写された写本ということで、幕末の国学者らによって収集され、明治以降に皇室に献上されたとのことです。

 これらの資料を管理するのは、皇室に代々伝わる古文書や絵巻物などを収蔵する宮内庁書陵部図書課の図書寮文庫。どこにあるのかと思ったら、すぐ近く。竹橋から首都高代官町入り口へ坂を登って行く途中、道からは平川濠を挟んで向かいの位置に書陵部庁舎があります。同文庫は所蔵する資料の画像1万点、目録31万点を11月からネットで公開し始め、「ギャラリー」ページに月替わりで何点かを特集して掲載しているようで、12月2日から今回の忠臣蔵関連がアップされたました(期間は1カ月程度とのこと)。今後、どんな画像が公開されるか、楽しみです。

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