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下水道PART3 神田vs横浜 「元祖」争い

 先日、我が国近代下水の発祥の地ともいえる神田下水を当ブログで紹介しましたが、よく調べると、日本初は横浜とも言えるようです。

 横浜市環境創造局のホームページに「下水道事始め」というページがあり、明治時代の整備の様子が紹介されています。

 そこでは、まず「日本で初めて横浜に導入されたもの」として、「公園、新聞、競馬の他、鉄道、電信、水道、ガスなど都市の基盤を担う技術」を誇らしげに列挙。下水に関しては、「居留地の外国人たちは、産業の発展とともに汚染が進んだ自国の状況をつぶさに見ており、都市の基盤整備の重要性を痛感していた」と説明しています。

 具体的な導入の経緯としては、「元治元年(1864)11月に各国領事と幕府との間で交わされた『横浜居留地覚書』に基づいて」、明治政府最初のお雇い外国人だった英国人のリチャード・ヘンリー・ブラントンが、1869(明治2)年、瓦製陶管による下水管の埋設に着手し、1871年に完成したというからかなり早いです。ただ、容量が全く追い付かず、詰まってばかりいたため、神奈川県は1880年から、改修工事の調査・計画立案に取り掛かり、御用掛三田善太郎をその責任者として1881年から1887年にわたって施工され、煉瓦卵形管(内径3×4.6メートル)約4キロ、陶管(1×1.6メートル)12.6キロが敷設されました。神田下水が造られたのは1884~85年ですから、たしかに横浜が早い。

 ちなみに、この下水は、神田下水と同様、英国人J・フィリップが考案した逆さ卵形で、流れる下水の量が少ないときも流速を確保でき、ごみが堆積しない合理的な構造ということです。中土木事務所.jpg

 1981(昭和56)年に、山下町の横浜開港資料館に隣接する開港広場の造成工事の際、発掘された卵形下水管が資料館地下閲覧室脇にそのまま保存されている(横浜市中区ホームページより)ほか、市中土木事務所の前にも展示され=写真㊤と㊧、すぐ脇に記念碑もあります。「旧横浜居留地煉瓦造下水道マンホール」として1998年に国の有形文化財に指定されました。ブラントン.jpg

 また、横浜スタジアムがある横浜公園の一角に、ブラントンの胸像=写真㊨㊤=があります。ちなみに横浜公園もブラントンの設計・施工(1871、72年)とのこと。このほか、フェリス女学院大近くの山手公園には「近代下水道記念碑」=写真㊨㊦=もあり、横浜市を挙げて、「元祖・下水道」をPRしています。近代下水道記念碑.jpg

 でも、パレスサイドビルが千代田区にあるからというわけでもありませんが、横浜=1番というのには、ちょっと釈然としません。だって、居留地は治外法権の「外国」で、日本側に「返還」されたのは1899年です。つまり「日本」の近代下水道発祥の地は神田であると、ワタシ的には認定させていただきたい・・・けど、ちょっと苦しいか? 文化財指定も横浜は国、神田は都だからなあ。

 ちなみに、ネット百科事典Wikipediaは神田を「初めて整備された近代下水道網」、横浜は「日本初の近代的下水網の構築」と区別。東京都水道局のホームページは神田を「初めて日本人の手により計画・設計・敷設された近代下水道」、国指定文化財のデータベースは横浜を「日本人の計画になる最初の近代下水道遺構」と記しています。

 う~ん、どっちがどうなんだか、わかんなくなりました。

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