パレスサイドビル西玄関から竹橋を渡ったところに、竹橋(御)門がありました。清水濠の脇の小さなスペースに門跡の碑があります。葉っぱが茂っていて、この季節、ちょっと暗めです。
一帯は、かつて江戸城内でしたから、千鳥ヶ淵方面へ向かう公道などなし。江戸城防衛のため、主に譜代大名屋敷が分布する内曲輪(うちくるわ=一般的にこの内側を江戸城と呼ぶ)に15の門が配されていて、竹橋門もその1つとして1620(元和6)年に造られたそうです。(ちなみに、さらに外側の赤坂、四谷、小石川、浅草橋を結ぶラインが城の外郭でした)
明治になり、江戸城が皇居になったのに伴い、大手前(現大手町)、大名小路(現丸の内)や、それより外側の門は1873(明治6)年ごろ以降、街づくりの障害として順次撤去された一方、皇居と外部をつなぐ門の多くは残されましたが、馬場先門と竹橋門は、交通を妨げるとして取り壊されたとか。ちょっと残念です。
江戸時代の竹橋は、今の橋より約10メートル南(大手町寄り)にあったそうで、1590(天正18)年、徳川家康の江戸入国時点で存在していました。「竹を編みて渡されしよりの名なり」と、その由来が伝えられますが、近くに住んでいた小田原北条氏の家臣の名に由来するなど諸説あるようです。1602年ごろ製作されたといわれる「別本慶長江戸図」(都立中央図書館蔵)には、竹橋を「御内方通行橋」と記してあり、主に大奥への通路として使われたようです。春日局なんかも渡ったんでしょうか。
現在の竹橋は、1926年に関東大震災復興事業で架設された鉄筋コンクリートのアーチ橋で、1993年に周辺景観との調和や補強を目的に大規模改修がなされ、白・黒・桜の御影石張りに生まれ変わっています。
欄干のデザインが竹なのは、ご存知でしたか?
毎日のように歩き、眺めている身近なものなのに、気づかないこと、知らないことが多いのに、我ながら驚かされます。このパレスサイドビル界隈は、まさに歴史の宝庫。引き続き、いろいろと歩きたいと思います。