「大手町のビル群がなければ、ここから東京湾(江戸湾)が眺められたのか」と思って看板を見たら、汐見坂から見えた海は、日比谷入江となっています。もちろん東京湾は東京湾ですが、新橋付近を湾口にして北に伸び大手町付近まで達していたのが日比谷入江だそうです。皇居外苑に和田倉門があります。「和田」は「ワダ(海)」の意味で、海に面して倉庫があったところということになります。
江戸時代の初期、1600年代に日比谷入江の埋め立て事業が「天下普請」として行われ、大手町周辺は大名屋敷になっていきます。
首都直下型地震が4年以内に70%の確率で発生する、という試算もあります。震源地は東京湾北部とか...。東日本大震災と同じように津波が都心を襲うかも知れません。地下街や地下鉄の危険性も指摘されています。避難訓練を繰り返し行うことが大切だと思います。日比谷入江があった、ということは、東京駅、丸の内、大手町は、400年前はすべて海辺だったのです。津波が押し寄せてくる可能性は否定できません。
「汐見坂」を下りながら、首都江戸の、いや東京の安寧を祈らずにはいられませんでした。