【2015年1月】のアーカイブ

 2月3日(火)、パレスサイドビル西口玄関前に献血バスが訪れ、緊急の「出張献血」が実施されます。

 パレスサイドビルでは春と秋の毎年2回)、出張献血を実施しています(写真㊦は過去の出張献血)。ただ、今回は血液在庫が急減したため、特別に行われます。

 東京都赤十字血液センターによると、通常、都内の医療機関で必要とされ9090359.JPGる血液の3日分以上の在庫確保をメドにしていますが、年末に予想以上に血液需要があったため、在庫不足に陥っているとのこと。全ての血液型が足りませんが、中でもO型の在庫が著しく落ち込んでいるということです。

 3日の受付は午前中が10時~11時、午後は0時15分~4時。採血自体の所要時間は10分程度ですが、医師による問診等を含め、受付から終了まで30~40分かかります。

 日赤は、献血する人に、最低4時間の睡眠が必要だとしています(睡眠不足で疲労が抜けず、献血終了後に一過性の血圧低下により気分が悪くなる場合があるため)。また、午前中に献血する人には朝食(軽食でも可)を摂ってきていただくよう、求めています。

 なお、「過去に輸血、臓器移植を受けた」「海外から帰国して4週間以内」「3日以内に出血を伴う歯科治療をした」などの人は献血できません。

 一定の治療薬を服用している人も献血できませんが、例えば降圧剤については、最近制限が緩和され、2種類以上服用していてもOKになった(心臓などの合併症がないこと、血圧がほぼ正常域にあることが必要)ほか、ビタミン薬(ビタミン薬による貧血治療中を除く)、ミネラル剤(鉄剤による貧血治療中を除く)、漢方薬(肝疾患、感冒、喘息などの治療目的を除く)、非ステロイド系抗アレルギー薬、抗ヒスタミン薬、高脂血症治療薬、胃腸薬などは当日服薬しても献血可能です。その他の疑問の点を含め、当日、ご相談ください。

 一人でも多くの方のご協力をお願いします。

 ハンバーガーチェーンの「the 3rd Burger」竹橋パレスサイド店が、パレスサイドビル東側地下1階(旧「パレ・アリス」跡)にオープンし、昼食時を中心に、早速、大勢のお客さんが詰めかけました=写真㊤は注文・受取カウン●DSC_4752トリ.jpgター、写真㊧はオープンカフェスタイルの店内。

 先週末24日(土)に開店。と言っても土曜日でしたから、ちょいと腕慣らしといったところ。25日(月)が本格的なオープンといったところ。

 「Smart life」「Self management」――そんな言葉に共感する人が集うハンバーガーレストランを目指して、

――これまでに無い、体が喜ぶハンバーガーを作りたい

――バンズは発酵から焼き上げまで店内で

――パティはブロック肉で仕入れ店内でミンチ

――野菜は厳選素材を店内でカット

こんな、本当にフレッシュなハンバーガーを提供することをコンセプトにしているそうです。

 私(50代後半)がオーダーしたのは店名と同じ「the 3rd Burger」とアイスコーヒーのセット=800円也(税別)。肉汁たっぷりなパティに新鮮でパリパリする小松菜とトマトがわさび入りのタルタルソースと絶妙にマッチし、美味しく頂きました。量も十分なボリューム感でランチに最適でした。

 注文の流れは、10数種類以上のハンバーガー&セットメニューからオーダー 精算して出来上がりを知らせる機械(円盤型)を受け取り 空いている席へ 出来上がると機械がバイブして赤ランプが点滅(効率的な方式ですね~)

 出来合いのものをチンして出すだけではないので、出来上がるのに少々時間がありますが、美味しいものをいただくには、これも必要なこと。さらに、さらに、事前にスマホのアプリ「O:der」で注文しておけば、事前決裁され、待たずに受け取れるサービスもあります=写真㊦参照。

●サードバーガースマホで注文.jpg 営業時間は平日8時~22時30分(ラストオーダー22時、テイクアウトは22時15分まで)。土曜日は8時~22時(同21時30分、21時45分)。日曜・祝日はお休みです。

 食材や調理方法にこだわり、お店のインテリアにもこだわるスタンスは、胃袋だけでなく心まで満たしてくれる?

 パレスサイドビルを抜け出して江戸城(皇居)石垣の見て歩きは、中之門の続きです。前回(1月13日)の当ブログで一言書いたように、最近、大規模な修復が行われました。

 中之門の石垣は1638年(寛永15年)にその原形が普請され、1657(明暦3)年の明暦の大火で焼け、1658(万治元)年に熊本藩主・細川綱利により再構築さDSC_3453.jpgれました。1703(元禄16)年に起きた地震でも被害を受け、翌年に鳥取藩主・池田吉明によって修復され、その後、明治維新後に門は取り壊されたといい、 石垣だけ残りましたが、長い年月の間に地震などで変形し崩壊の危険性が生じたため、2005年8月~2007年DSC_3455.jpg3月の約20カ月をかけて安全性確保を目的にした修復工事が行われたのでした。

 中之門前には、パネルで工事の様子を詳しく解説しています=写真㊤はその一部。また、パネルの脇には、修復の際に交換した瀬戸内産の花崗岩=写真㊧㊤=と伊豆産の安山岩=同㊧㊦=が展示されています。

 地震などで、石材が動いたり目地の開きやはらみが生じ、また荷重や風化によS中之門 修復前.jpgる破損や剥離などが発生していました=写真㊨㊤。断面図にすると=写真㊨㊦のような具合で、本来の姿より前に膨らんでいたわけです。これをまず三次元レーザー測量で正確な状況を把握、それをコンピューターグラフィックにして修復計画を立て、慎重に工事を進中之門 断面図.jpgめたということです。

 工事は解体から始まり、築石(つきいし)同士を連結する銅製の「契り(ちぎり)」や築石の据付に使用した銅製、鉄製の「敷金(しきがね)」、さらに石垣構造としては大変珍しい大鎹(おおかすがい)など出土しました。大鎹は築石の転倒S中之門 創建時遺構.jpg防止のため築石裏側に設置された石と連結した特異な構造の補強材です。

 また、写真㊦のように、現在の石垣の中に、江戸城創建時の中之門の遺構が出土しました。

 

 2014年12月に刊行された『高層建築が一番わかる』写真㊦は表紙技術評論社表紙.jpgパレスサイドビルが紹介されました。

 発行元は技術評論社、つまりかなりマニアックというか、専門的な技術本。同社は『・・・・が一番わかる』というタイトルで、様々な分野の技術を基礎から理解しようという解説本「しくみ図解シリーズ」を出していて、その最新刊というわけです。ちなみに、同シリーズは電気、通信・IT、運輸・交通、機械・工業など幅広いジャンルにわたり、うち、「建築・土木・インフラ関連」の分野では『耐震・制震・免震が一番わかる』『断熱・防湿・防音が一番・・・』などが刊行されています。

 さて、本書の著者は、建築史家、建築評論家として知られる五十嵐太郎・東北大大学院工学研究科教授以下4人。「現代都市に必要不可欠な高層建築物」の多面的な側面を解説するというのがコンセプトとのこと。内容は、「第1章 高層建築物の基礎知識」に始まり、「第2章高層建築物のつくり方」「第4章 高層建築物が解体されるまで」など技術的、実務的なことが中心で、実例として実際の建物を取り上げたり、特徴ある建物をトピックス的に紹介したりしています。

 パレスサイドビルが取り上げられているのは「第5章 高層建築物の存在意義」。六本木ヒルズ、横浜ランドマークタワー、あべのハルカス、霞が関ビル、東京タワー、東京スカイツリー、そして日本古来の木造高層建築である東大寺大仏殿、中東や中国の最近の超超高層ビルなど国内外の有名な建物を紹介しているのですが、そこに伍して、「高さ制限が生んだ名建築」とのタイトルでパレスサイドビルは2ページにわたって写真と図入りで解説されています=一番上の写真

 「・・・高さ制限から容積制へ移行期の名建築として知られ、・・・ずらして配置した2棟の水平に伸びる直方体のヴォリュームと、それらの端部に位置する2本の垂直に立つ白いシリンダー型のコアから構成されます。ガラスのはめ殺し窓に水平庇と竪樋(たてとい)と雨受けで構成されるメカニックなファサードは、環境の変化を刻々と映しだし豊かな表情を持ちます・・・」

 さて、パレスサイドビルは「高層ビルじゃないだろう」と思っている方はいませんか? 実は、立派な(?)「高層ビル」なんです。当ブログ2013年6月7日の当ブログで、一度書きましたが、改めて解説します。

 消防法第8条の2で「31メートルを超えるビル」を高層建築物といいます。これは概ね10階建て以上に相当しますが、パレスサイドビルは各階の天井が高いので、9階建て部分の高さが約37メートル、エレベーターの東西2本の白い円塔は50メートル余り。31メートル基準では「高層ビル」なのですね。ちなみに、31メート丸ビル1926年04月.jpgルは、はしご車が届く高さと考えられますが、1923(大正12)年2月に完成した旧「丸の内ビル」=写真㊧は1926年4月=の高さが100尺=31メートルで、1933年、皇居の周囲一帯が美観地区に指定された際、軒高は丸ビルが基準になり、また、丸ビルが完成半年後の関東大震災に耐えたことから、市街地建築物法(建築基準法の前身)で耐震性のために建造物の高さも31mに制限され、戦後も続いたとのことです。

 パレスサイドビルは、東側エレベーターホールの塗装改修工事を実施し、壁が生まれ変わりました。まぁ、白壁を赤く塗り替えたというような劇的変化はありま壁(施工前)トリ.jpgせんから、お気づきでない人もいるかとは思いますが・・・。

 工事は昨年12月中旬に着手し、年末年始の休みを使って一気に仕上げ、年明けからピカピカというわけです。壁だけでなく、天井も綺麗にしましたよ。

 こうした塗装は年月を重ねるうちに少しずつ劣化するもの。特にエレベーターへの乗り口付近は、写真㊨㊤のように台車などがぶつかるなどして、傷んだ個所がありました。

 色は、以前とほとんど変化はありませんが、その中でちょっと変わったのはリン天井(施工前)2.jpgグライトの淵の部分。写真㊧のように、以前は白っぽかったのが、写真㊨のように、ちょっと濃い色になりました。

 工事中は、エレベーター8台中4台ずつの

天井施工後2.jpg

運転になるなど、ご迷惑をおかけしました。ご協力、有難うございました。

 今回は東側だけを改修し、西側エレベーターホールは2015年度に行う予定です(正確な実施時期は未定)。

 パレスサイドビルを抜け出して江戸城(皇居)石垣の見て歩き、天守台に続くのは中之門です。場所は本丸大手門(大手三の門)を抜け、「百人番所」の前。前に紹介した本丸(天守台前の広場のところ)へ上がっていく時に必ず通る、いわば最後の関門ということです。

 本丸への"公式ルート"ですから、当然立派。石の加工度3種類×積み方2種類=6種類という基本的な分類で、天守台と同じ「切込接(きりこみは)ぎ×布積み」。丁寧に石を加工して隙間なく積む「切込接ぎ」、石と石の継ぎ目が横に一直DSC_3459.jpg線になるように積み上げた「布積み」です。ちょっと離れて取った㊧の全景写真の方が、感じが分かると思います。

 並び方以上に目を引くのが石の大きさです。最大35トンもの江戸城内でも最大級の巨石が使われ、しかも表面がきれいに加工されています。これらの石垣は白い花崗岩と黒い安山岩とで築かれ、花崗岩は瀬戸内の島あたりから、安山岩は東伊豆から運ばれてものといいます。西国大名が花崗岩を献上させられたのでしょう。

 この中の門の石垣は1638年(寛永15年)にその原形が普請され、1657(明暦3)年の明暦の大火で焼け、1658(万治元)年に熊本藩主・細川綱利により再構築され、1703(元禄16)年に起きた地震でも被害を受け、翌年に鳥取藩主・池田吉明によって修復されました。その後、明治政府によって取り壊されたという説と、関東大震災で大破したまま再建されなかったという説を聞きましたが、確認できていません。いずれにせよ、現在は石垣だけ。なので、正確には「中之門跡」ということになります。

 江戸城の6つの大門の中で唯一、「枡形門(ますがたもん)」ではありませんでした。「枡形門」は四角(枡形)に周囲をかこみ、2カ所に門を設けたもので、通常は攻めてきた敵が一直線に進入できないように奥の門は左右いずれかに曲がって進むような方向に設けられます。大手門などは、もちろん、コレ。中之門はというと、櫓門(やぐらもん)だけのシンプルな構造。左右に長く連なる多聞塀(石垣)の中間を切って櫓(やぐら)を渡した形の「渡櫓門(わたりやぐらもん)」でした。「中之門跡」の標石の手前にある丸い穴=一番㊤の写真の赤丸囲いのところ=は、その櫓の礎石の穴の跡ということです。

 もちろん、櫓と言っても、ミニサイズのお城のようなかっこうで、中之門は正面の旧中之門(明治初期).jpg渡櫓、左手に屏風多聞櫓、後方には御書院出櫓があり、決して"粗末"だったわけではありません=㊨の明治初期の写真参照。

 (なお、渡櫓は枡形門でも使われていて、例えば江戸城の清水門は、第1門が普通の門、右に曲がる第2の門は渡櫓門になっていますから、「枡形門でなくて渡櫓門」という言い方は、分類上、正しくありません)

 中之門の石垣は約300年の間にかなり傷んだため、21世紀になって修復されました。その話は、また後日。

 パレスサイドビル自衛消防隊の出初式が7日午前、屋上で実施されました。新春恒例の行事ですが、お屠蘇気分なんてトンデモない真面目な訓練でした。

 ビルを管理する毎日ビルディングと、設備管理を受け持つ鹿島建物総合管理、警備を担うアイングと東京センター、清掃を担当するセイビの各協力会社などから計約70人が参加。訓練開始の午前10時は雲が広がり、雨こそ降らないものの、結構冷えました。それもそのはず、この日の東京地方は最低気温が3.0度まで下がり、10時時点も5.9度。その上、北風が結構吹いてましたから。時折、突風のような感じでビューッと吹き抜ける時もあって、風通しのいい(笑)屋上では、結構、ききました。

 愚痴はこれぐらいにして、訓練は真剣です。メニューは消火器による初期消火訓練(消火剤でなく水を使●DSC_4713トリ2.jpg用)、ホースを使った放水訓練、そして救出救護・応急手当訓練の3つ。

 まず、「火事発生」との想定で、初期消火訓練=写真。16人が4人1組に分かれ、指揮者の号令一下、「火事だー」と大きな声を出しながら火元(赤いカラーコーン)に勢いよく水をかけました。

 屋内消火栓からホースを使った訓練は一番上の写真です。1階東玄関わきの「防災センター」に常駐するアイング警備員の代表3人が声をかけながら手際よく放水を実演。いかがですか、写真の腰つき。「火」の文字が入った丸い的を水でキッチリ打ち抜きました。この後、放水をしたことがない他の参加者も、放水口の丸い輪を回して水量を調節しながら放水を体験しました。

 救出救護・応急手当訓練=写真㊦=は三角巾、簡易担架、AEDなどを使用。けが人役の人に三角巾を巻き、簡易担架に乗せて搬送。人形を相手にした心肺蘇生訓練では胸骨圧迫の上、AEDを張ってショック、また胸骨●DSC_4759トリ.jpg圧迫を繰り返しました。

 最後に自衛消防隊長が、日ごろからの訓練の積み重ねの重要性を訓示。参加者は安全・安心なビルへの誓いを新たにしました。

 本年も、パレスサイドビルをよろしくお願い申し上げます。

 東京は全体に穏やかな正月でしたが、皆様はどのような新年を迎えられたでしょうか。暦通りなら2年連続の9連休でしたDSC_4616トリ.jpgネ。海外などに出かけた方も多かったのではないでしょうか。私のように、ゆっくり過ごした方もおられるでしょう。

 新年ですので、初詣のご報告。"今年の人"と言えば・・・吉田松陰(1830~59年)。NHKの大河小説「花燃ゆ」は松陰の妹がヒロインですから。その松陰所縁(ゆかり)の場所と言えば・・・ということで、初詣は迷わず松陰神社(世田谷区若林4丁目)へ。1月3日に行きましたが、写真㊨㊤のように、「花燃ゆ」のポスターが参道でバッチリ目立ってます。人出もなかなかのDSC_4615トリ.jpgようで=写真㊨㊦、賽銭箱に到達するのに10分余り行列しました。

 神社には松陰のお墓があります。写真㊧㊦ですが、思いのほか小さいのに驚きます。ご存知、安政の大獄で斬首された松陰の遺骸は、まず小塚原(こづかっぱら)回向院(荒川区南千住)に葬られました。明暦の大火の被害者の供養に建てられた両国の回向院の別院でしたが、今は独立したお寺です。傍らに小塚原刑場があることから、刑死した人を弔うべくお寺ができたのですが、松陰が処刑されたのはここではなく、江戸伝馬町処刑場(今の大安楽寺=中央区日本橋小伝馬町)のようでDSC_4654.jpgす。

 さて、井伊直弼(1815~60年)が暗殺されて安政の大獄が終わった後、1863(文久3)年に高杉晋作、伊藤博文ら松下村塾の教え子たちが松陰の遺骸を小塚原回向院から毛利屋敷があった世田谷に改装したのが今のお墓で、「禁門の変」(1864年)後の長州征伐の際、幕府により破壊されましたが、維新成った1868(明治元)年、木戸孝允らの手により修復され、1882年には松陰神社が創建されました。周囲には維新の志士らも多数埋葬されています。後に、徳川家が"罪滅ぼし"に石灯籠などを贈ったそうで、松陰の墓所前に見られます。

 実は、松陰のお墓は小塚原回向院にも墓石だけ残っているほか、故郷の山口県萩市にもあります。誕生地に隣接し、団子岩とよばれる小高い風光明媚な場所で、松陰没後100カ日に、吉田家墓地に家族や親戚、高杉、久坂玄瑞らが集まって霊を弔い遺髪を埋葬、後日墓碑も建立したものということです。"本物争い"ではありませんが、世田谷の松陰神社が本当の墓ということです。

 松陰神社も、萩市にもあります。萩の神社境内には松下村塾の建物が残されていますDSC_4624.jpgが、世田谷の神社にも松下村塾の建物があります=写真㊨。これは文句なく萩が本物で世田谷はレプリカ。NHKに出てくる塾の場面と雰囲気を比べてみてください。

 松陰の像を神社で2体確認しました。一番上の写真は鳥居と本殿の中間くらいの目立つ位置。1890年、日本の近代彫刻の先駆者として知られる大熊氏廣によって製作された石膏像から、神社鎮座130周年記念として2013年に鋳造されたブロンズ像です。

 まだ松陰神社に行ったことがない方、一度訪ねてみてはいかがでしょう。

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