【2012年2月24日】のアーカイブ

平将門公にまつわるお話PART5です。
パレスサイドビル近辺には、将門公ゆかりの場所がまだあります。竹橋駅から地下鉄東西線で北西に1駅、九段下駅の築土(つくど)神社もその一つ。駅前の北の丸スクエア(旧日本債券信用銀行本店跡)の裏のビルの谷間にあり、1994年の大改築でコンクリート壁の社殿とビルに生まれ変わりました。
神社のホームページ(最近更新されていないようですが)によると、940年に討たれ京都にさらされた将門公の首が首桶に納められて密かに持ち去られ、今の大手町近辺の観音堂にまつられて「津久戸(つくど)明神」と称したという言い伝えが神社の始まりとか。
えっ、首は京から将門塚まで飛んできたんじゃなかったっけ? まあ、伝説ですから。
神社は江戸城築城後の1478年に城の北西に社殿が置かれ、その後、田安明神、江戸明神と呼ばれた時期もあり、山王(日枝神社)、神田(神田明神)とともに江戸三社の一つに数えられました。所在地も田安、牛込、筑土八幡町、富士見などと移り1954年に現在の九段北に移転しました。
徳川幕府とはいい関係だったみたいですが、明治になって1874年(明治7年)、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫、天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)を「主神」としてまつり、将門公はいっしょにまつる神に"格下げ"されました。ホームページはこのあたりの事情について、「将門を天皇に反抗した『逆賊』と評するような風潮も一部に見られるようになった」ことから、「便宜上、天皇と関わりの深い神を『主神』として祀り上げ......」などと説明。将門公をまつる神社だと再び公言したのは1990年になってからといいます。
将門公の首桶が神社の「社宝」として保管され、「見ると目が潰れる」と恐れられたといいますが、昭和20年に空襲で焼失。大正時代に撮影された写真がホームページに載っています。

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