【2013年9月27日】のアーカイブ

富岡八幡宮.jpg パレスサイドビルのある地下鉄東西線竹橋駅から門前仲町までは4駅。仕事の合間を見つけて「深川の八幡さま」として親しまれている富岡八幡宮=写真㊨=まで足を延ばしてみました。

 富岡八幡宮は1627(寛永4)年、当時永代島と呼ばれていた地に御神託により創建。周辺の砂州一帯を埋め立てて社地と氏子の居住地を開き、6万500坪の社有地を得たとされています。世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。

 大鳥居の傍らに、江戸時代後期の測量家・伊能忠敬(いのう・ただたか)の銅像=メーン写真=が建っていました。比較的新しく平成13年に建てられた銅像の横には、三等三角点(測量に用いる際に経度・緯度・標高の基準になる点)も設置=写真㊦=されていました。伊能忠敬は1745(延享2)年1月11日生まれ、享年は満73歳です。上総国山辺郡小関村(現在の千葉県山武郡九十九里町小関)の生まれ。18歳の時に婿養子に入った下総国香取郡佐原村(現在の香取市佐原)の伊能家は酒、醤油の醸造、貸金業を営んでいたといわれます。50歳の時に隠居、その後の1800(寛政12)年から1816(文化13)年まで、足かけ17年をかけて全国を測量し『大日本沿海輿地全図』を完成させ、日本史上はじめて国土の正確な姿を明らかにした人です。日本で初めて金星の子午線経過を観測した人物でもあります。

 その壮大な足跡もともかく、それを隠居してから成し遂げたというのは、とても真似はできませんが、リタイア後の第2の人生の完璧なお手本ですね。50歳を過ぎてから天文学・測量術を学ぶために忠敬は深川黒江町(現・門前仲町1丁目)に住んだとされ、測量旅行出発にあたっては必ず富岡八幡宮を参拝していたということです。銅像は、黒御影石に刻まれた伊能日本図を背景にして建ち、右足を踏み出しています。55歳の忠敬が杖先方位盤を手に力強く測量への第一歩をしるした姿です。

三等三角点.jpg 主演・加藤剛、妻・お栄役は賀来千香子、2001年東映配給の映画「伊能忠敬-子午線の夢」はこの忠敬を描いた良い映画でした。第2の人生を勇気づける映画ですが、残念ながらDVD化はされていないようです。

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