7月14日は「求人広告の日」でした。今は求人雑誌・情報誌が百花繚乱の時代ですが、もちろん求人広告と言えば本家は新聞です。パレスサイドビルに本社を置く毎日新聞の前身・東京日日新聞の1872年7月14日付(明治5年の旧暦7月14日で、西洋暦では8月17日と題字下に明記されています)が、日本初の求人広告が掲載された新聞です。きょうの毎日新聞朝刊は東京日日新聞から号数を引き継いで第49791号ですが、求人広告が最初に掲載されたのは第130号。東京日日新聞が産声をあげた1872年2月の創刊から間もないころに、既に求人広告がお目見えしていたことになります。
きょうのブログのメーン写真がその東京日日新聞の第130号です。3段組みで、最初の記事は大蔵卿井上馨の「官書公報」、二番手が「司法省より文部省へ御達ニ相成候書面ノ写」で、最下段には郵便の出し方「宛名はしっかりと」といった駅逓寮(のちの郵便局)布告があり、かなり官報の趣が残っているのですが、最後から2番目の記事が「初の求人広告」でした。
見出しは「報告」、文面は、「乳母雇入度ニ付心当りの者ハ呉服橋内元丹波守邸内天野氏へ御尋可被下候。本乳にして乳さへ宜しく候へば給金ハ世上より高く進ずべし」というもので、3行広告ならぬ4行の広告です。現代文に訳せば、「乳母を雇い入れたいので心あたりの者は(中略)御尋ねください。本乳にして乳さえよく出るならば給金は、世間並みのところより高く差し上げます」。なんと日本で最初の求人広告は、乳母となれる赤ちゃんのいる女性(の母乳)を探していたものでした。
さて時代変わって、今年4月に話題を呼んだ米国でのネット動画キャンペーンの「求人広告」です......。
公開後わずか3日で、動画再生数は1,000万再生を超えたという動画で、中味は「世界で最も過酷な仕事」の求人をめぐる応募者と面接官とのやりとり。
動画冒頭、「私たちは最も過酷な架空の求人募集を作った」とスタートします。ビデオチャット越しの面接官と応募者との会話のみでこの動画は進んでいき、徐々にその仕事の概容が明らかになっていきます。
・ほぼ立ちっぱなしで、体の丈夫さが要求される仕事であること。
・24時間週135時間の無期限労働の労働であること。
・「どこか座って休憩できる場所とかないの?」「休憩を取りたいということですか? 残念ですが、休憩時間はありません」
・昼食を取るなら、他の人の昼食が終わってからです。
・高度なネゴシエーション能力が必要で、医学・金融・調理のスキルが必要です。
・時には夜通しで取り組まなければいけない可能性があります。
・感謝祭の日も、クリスマスも新年も、業務上の必要があれば休みはありません。
ここまでのやりとりを聞いた後、求職者は口々に「そんな仕事、無理に決まってる」「狂ってるよ」と答えます。さらに過酷な条件の提示は続きます。
・給与の支払はありません。完全な無償奉仕です。
もはや「絶句」する求職者に、面接官は語りかけます。
「もうすでにこの職業について働いている方がいます。実際に10億人がこの職業についています」
そうです。明かされるその職業の正体、その職業は「母親です」。その答えを聞いた求職者に笑みが浮かびます。これは「母の日」用のメッセージカードのコマーシャル動画でした。
いつの時代も、どの国でも、求人広告の先陣を切るのは女性、母親のようです。