【2015年10月】のアーカイブ

2015

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 パレスサイドビルを出て皇居・東御苑で秋探し。「赤い実」の続きです。

 まずはクロガネモチ(モチノキ科)=写真㊤=です。本州(茨城・福井以西)~四国、九州、沖縄、さらに台湾、中国、インドシナまで広く分布します。高さ約20メートルにもなり、葉は革質で表面は光沢があり、5~6月に直径4ミリほどの淡紫白色の花が開きます。実は直径5~8ミリの球状で赤く熟します。ちょっとデラウエア(ブドウ)みたいでもありますね。前回紹介したウメモドキにもちょい似てます。漢字では黒鉄黐。鳥の捕獲などに使った鳥黐(とりもち)が樹皮から取れるそうで、葉柄や枝が紫色っぽい(やや黒っぽい)ところから「黒鉄黐」の名がついたそうです。

⑥PA140008ゴンズイ小.jpg お次はゴンズイ(ミツバウツギ科)=写真㊧。魚じゃありません、植物です(笑)。本州の関東以西~四国、九州、沖縄、朝鮮半島、中国、台湾に広く分布。漢字では権萃。名の由来は、樹皮の模様が魚のゴンズイに似ているという説とともに、材質がもろくて役に立たないことから、役に立たない(食べられない)魚のゴンズイと同じでこの名をあてたという解説も見ました。本当はどうなんでしょうか。5~6月に枝の先端に15~20センチの円錐花序を出し、黄緑色の小花を多数つけます。実はミカンの房状で、9月半ばに赤く熟し、やがて裂けます。東御苑のみも既に裂け、中から直径5ミリほどの黒い光沢のある種子が1~2個ずつ、顔をのぞかせていました。

 続くは、オトコヨウゾメ=写真㊨㊤=とコバノガマズミ=写真㊨㊦。同じスイカズラ科で、その下の属も同じガマズミ属ですから、よく似ていて、ちょっと見、区別がなかなかつきません。コバノガマズミは葉柄に毛が密生しているので区別できるといいますが、この写真ではちょっとよくわかりません。ただ、実はコバノ④DSC_6717オトコヨウゾメ トリ小.jpgガマズミの方がまっているのに対し、オトコヨウゾメの方がまばらで垂れ気味ということです。

 オトコヨウゾメは本州~四国、九州の太平洋側の暖温帯・冷温帯に分布する落葉低木で日本固有種。コバノカマズミは関東以西の本州、四国、九州のほか、朝鮮南部にもあり、暖温帯・冷温帯下部に分布する落葉低木というのはオトコヨウゾメと同じ。

 「ガマズミ」は漢字で「莢蒾」と書くそうで、「神ッ実」あるいは、「噛み酢実」が転化したなどの説があります。「スミ」は「染め」が語源との説もあるそうで、「カマズミ=蒲染」という表記も見たことがあります。⑤PA140012コバノガマズミ小.jpgコバノガマズミは「小葉莢蒾」で、カマズミに比べて葉が小さいというのが名の由来。

 オトコヨウゾメの名の由来に定説はないようです。「ヨウゾメ」は、木曽・下伊那地方でカマズミをさす方言が「ヨウゾメ」ということで、漢字もカマズミと同じ「莢蒾」を充てるようですが、なぜオトコなのか。ヨウゾメは実が大きくて熟すと食用にしていたそうですが、オトコヨウゾメは実がやせていて苦く、食用にならないといいます。喰えないから男ってか?

 最後はツリバナ(ニシキギ科)=写真㊦。北海道~九州、アジア東北部に分布する落葉低木で、高さ3~4メートルになります。初夏に8ミ⑦DSC_6709ツリバナ トリ小.jpgリほどの緑白色から淡紫色の小さな花を多くつけますが、長い柄の先に吊り下がるので、「吊り花」と呼ばれます。実は径1センチほどの球形で、最初は緑色から赤褐色の種皮に包まれていますが、秋も深まると裂けて朱色の仮種皮に包まれた種子を通常は5個ぶら下げます。写真は、ちょっとピントが甘いので見えにくいですが、実が割れている感じはお分かりいただけるでしょうか。

 小1時間の散歩で、前回の分と合わせて7種類もの実を発見できるとは。東御苑は凄い。恐るべし、です。

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 秋です。パレスサイドビル向かいの皇居・東御苑も、春~夏の花たちの宴も去り、実りの季節を迎えています。

 華やかだった二の丸庭園も秋らしいたたずまいになってきました。視線を少し上に向けて二の丸雑木林から中雀門、本丸跡の広場方面を歩くと、あざやかな赤い実を付けた木が次々と現れます。

 写真㊤は雑木林で見かけたカマツカ(バラ科)。ネットで検索すると、コイ科の魚が出てきますが、こちらは植物。漢字では、魚も植物の「鎌柄」で同じみたいです。魚の方は鎌の柄のように硬い、あるいは煮ると鎌の柄のように締まることからの命名のようです。植物の方は、材質が硬くて折れにくいので、鎌の柄に使われたことから呼ばれるようで、材を牛の鼻環に使ったことから「ウシコロシ」の別名があるとされますが、一説には、牛が枝の間に角を入れると、抜くことができなくなるくらいに強靱なことからその名がついたという物騒な解説もあるようですが、さて、どうなんでしょうか。

 北海道~九州の山地の日当たりのよい林縁に生える落葉樹で、高さ5~7メートルになり、樹皮は暗灰色、しわがあって、 斑紋状になります。4~6月に直径約1センチほどの白色の花が10~20個単位でまとまって咲き、10~11②PA140024ウメモドキ トリ.jpg月に実が赤く熟します。7~9ミリの楕円形の可愛い実です。

 中雀門の少し先で見かけたウメモドキ(モチノキ科)=写真㊨=は漢字で書くと「梅擬」。由来は梅に似ているということですが、葉が似ている説、花が似ている説などがあり、はっきりしないようです。本州~四国・九州の山中や湿地に分布する落葉の低木で、2、3メートルまでしか育ちません。6月ごろに淡紫色の花を咲かせます。実は直径5ミリほどの球状で、小鳥が好んで食べるそうです。今はまだ緑の葉がありますが、これから晩秋・初冬にかけて葉が落ちた後は、赤い実だけが枝いっぱいに残るので、また違った趣になるでしょう。

 他にも赤い実をいろいろ見つけました。その報告は次回。

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 NHKBSプレミアムの金曜午後9時放送中の

新日本風土記.jpg

に、パレスサイドビルが取り上げられます。放送予定は10月30日。テーマは「首都高」です。

 NHKのホームページ(http://www.nhk.or.jp/fudoki/)によると、番組のコンセプトは、次の通りです。

 「日本人なら誰もが持っている懐かしい風景。長い歴史の中で培ってきた豊かな文化。来たる年の豊作や大漁を願って、神に祈りを捧げてきた日本人。それぞれの 土地に根づく風習・自然・建築・工芸・食文化などを丹念にたどっていくと、日本人が長年かけていかに深い文化を築いてきたかを実感することができます。・・・日本各地に残された美しい風土や祭り、暮らしや人々の営みを描く本格的な紀行ドキュメント番組です。」

 今回は、大都会・東京の風土を象徴する道である首都高を取り上げ、人と物の流れを劇的に変えた道にまつわる人々の暮らしや眼差しから、東京の過去と未来を考える――とのこと。番組の中の項目では、「人間交差点~だれもが通り過ぎていくだけの首都高で生まれる一瞬の出会いを見届ける」ということで取り上げられるようです。

 なるほど、「人間交差点」とは言い得て妙ですね。パレスサイドビルは首都高の間近に建ち、全面ガラス(5階以上)を通して高速を走る車と、ビルの住人が至近距離で顔を合わせ、表情まで伺えるほど。修学旅行のバスの生徒たちが手を振るといった一瞬の出会いが無数に生まれています。他に例を見ない首都高と"親密"なビルといえます。コンクリの壁がないビルの「透明感」からか、首都高を通行する車両へのアンケートでも、最もドライバーの印象に残るビルの一つになっているそうで、手前みそですが、取り上げられるべくして取り上げられる、ってことでしょうか。

 こんなビルの様子を、ビルから眺めた首都高などの映像とともに伝えるということで、ディレクターさんが何DSC_6698.jpg度も訪れ、カメラクルーがビル事務室や屋上から首都高を撮影したほか、毎日ビルディング・羽田恒夫社長のインタビューも収録しました。

 ビル北側は、ちょうど改修中で、毎日ビルディングの事務所も、足場に覆われていましたが、10月12日までに、事務所部分の工事は終了して足場も撤去、なんとか撮影に間に合いました。写真㊨は好天に恵まれた10月13日の屋上での撮影の様子です。

 お時間のある方は、是非、ご覧ください。

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 パレスサイドビル屋上の毎日神社の第76回例大祭が10月19日、厳かに挙行されました。

 1年あまり前にリニューアルされ、真新しい檜の社(やしろ)と鳥居に生まれ変わってから2回目の例大祭です。北東方向に東京スカイツリーを望む雲ひとつない青空に、特設のテントの白さが映えます=写真㊤

 例年のように毎日新聞社の朝比奈豊社長以下の役員・幹部、羽田恒夫毎日ビルディング社長ほか関連会社代表、毎日新聞とヘリを共同運行している共同通信の福山正喜社長らに加え、ニッポン号の機長、副操縦士●DSC_6753トリ.jpgのご遺族、ニッポン号を製造した三菱重工業、さらに航空会社の日本航空、全日空の関係者ら多数が参列。修祓、祝詞に続き、参列者が順番に玉串を奉奠(ほうてん)しました=写真㊨

 企業所縁(ゆかり)の神社は珍しくありません。世界のトヨタ自動車は本拠の愛知県豊田市に、俗に「トヨタ神社」と呼ばれる「豊興(ほうこう)神社」があります。場所は本社工場の敷地内の北西端で、トヨタ自動車設立(1937年)の2年後につくられたそうで、毎年、仕事始めの日にはトヨタ自動車社長以下の幹部がそろって参拝するそうです。

 「三菱稲荷」との俗称がある土佐稲荷神社(大阪市)は三菱財閥創業者の岩崎弥太郎が譲り受けて移設したとのこと。三囲(みめぐり)神社(東京都墨田区)は三井家が18世紀前半の享保年間に守護神と定めたそうです。

 多くの企業関連の神社は、一般的な商売繁盛とか社員の無事などを祈念するもののようですが、毎日神社はその点、異色です。1939(昭和14)年、毎日新聞社(当時は「東京日日新聞社」「大阪毎日新聞社」)が双発機「ニッポン」号で世界一周を達成するという偉業を成し遂げました。これを機に創建されたのが毎日神社で、飛行の安全への思いを込め全国から送られてきた沢山のお札やお守りが収められています。この時は毎日新聞社が有楽町にあり、1966年に本社がパレスサイドビルに移った時に神社も一緒に移転して今日に至ります。

 神社のご祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)と大山咋神(おほやまくひのかみ)。大山咋神を祀る神社では比叡山の麓、日吉大社(大津市)が全国の総本社。太田道灌が江戸城の守護神として川越日吉社から大山咋神を勧請して赤坂近くの日枝神社を建てたことから、同神社が江戸時代に徳川家の氏神とされ、明治以降は皇居の鎮守とされているとか。

 大山咋神を祀る縁で、毎日神社には日枝神社からいつも来ていただいているということで、この日も、神職2人とともに雅楽奏者2人も来訪され、竹を組み合わせたハーモニカのような笙(しょう)と、龍笛という横笛の音が会場に響きました。

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 パレスサイドビルを出て真向かいの皇居・平川門から東御苑へ。春~夏の華やかさが去り、すっかり秋のたたずまいといった風情の二の丸庭園界隈を歩くのが気持ちいい季節です。

 庭園の二の丸池の滝口付近でツワブキの黄色い花を見かけました=写真㊤

 実は、じっくり見たことがありませんでした。ツワブキの花。

 ツワブキといえば、葉っぱ。「たくご」の名の生薬として知られ、幼いころの記憶は「化膿に効く」。特に小学校時代、よく「ひょうそう」(手足の指の小さな傷から菌が感染しておこる炎症)になって、指と爪の間が腫れるとけっこう痛いんですが、そんなときは、ツワブキの葉で指先をすっぽり覆って、包帯を巻いてもらったものです。

 原産地は日本~台湾。本州の東北南部より南、四国、九州、沖縄に分布して、毎年花を咲かせる常緑の多年草です。日本以外では台湾のほか朝鮮半島、中国でも広く見られます。主に海が近い海岸線に自生し、高さは30センチくらいから70センチくらい。花は直径5センチほどの黄色のタンポポのような頭状花です。

 長い軸を持った葉っぱがフキ(蕗)に似ていて、ワックスを塗ったような光沢があるところから「ツヤのあるフキ→ツヤブキ」が転じて「ツワブキ」になったというのが一応の定説ですが、厚みのある葉っぱから「厚い葉のフキ→アツバブキ」に由来するとの説もあるとか。漢字で書くと「石蕗」となります。

 古くから親しまれている植物だけに、地方ごとに呼び名は様々で、「オカバス」「イシブキ」「イワブ●DSC_6730トリ.jpgキ」「ツワ」「オバコ」などがあり、沖縄方言では「ちぃぱっぱ」というそうです。津和野(島根県)は、ツワブキが野に群生していたことから石蕗の野と呼ばれ、これが転じたといわれています。

 二の丸庭園の滝の脇(向かって右側)に、ちょっとまとまって植えられています=写真㊨。花はちょうど咲き始めたところで、12月まで見られますから、花の少ない時期の貴重な彩(いろどり)といったところでしょうか。

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 パレスサイドビルを出て九段方向へ5分、江戸城(皇居)・清水門(しみずもん)内の屋敷の話の続きです。春日局のほかにも、有名人の屋敷がありました。(前回と同じ地図を末尾に)

 まず英勝院(えいしょういん、1578~1642年)は、江戸城を築いた太田道灌(どうかん)に連なる血筋とも言われる家康の側室で、「お勝」「お梶」とも呼ばれたようです。1607年に、家康最後の子である五女市姫を産むも、姫は4歳で夭折しました。

 先日紹介した春日局との関係では、駿府にいた家康に三代将軍家光の乳母だった春日局が会う手はずを整え、2代将軍秀忠の後継を家光と定めるのを助けたという話があります。家康没後、大奥の女性官僚の中で春日局と並んで最上位を占めました。

 天樹院(てんじゅいん、1597~1666年)は秀忠の長女千姫=写真㊤。豊臣秀頼に嫁ぎ、大坂夏の陣の後、再婚するも、夫の本多忠刻(ただとき=桑名藩主、後に姫路新田藩主)にも先立たれて出家し、江戸に娘の勝▲雲光院像(徳川記念財団蔵).jpg姫とともに帰って天樹院に。1628(寛永5)年に勝姫が秀忠の養女として鳥取藩主・池田光政に嫁ぎ、天樹院は一人暮らしになりました。鳥取藩については2月6日の当ブログでも書きましたが、光正の父利隆の正室も、秀忠の養女鶴姫(福正院=徳川家臣団の榊原康政の次女)ということで、血縁関係強化が、当時はホント、大切だったんだと、つくづく思います。

 一位様(いちいさま、1555~1637年)=写真㊨=は家康の側室だった阿茶局(あちゃのつぼね)です。戦場にも幾度となくお供し、小牧・長久手の戦いの陣中で一度懐妊したほど(結局は流産)。家康との間に子はなしませんでしたが、秀忠を養育するなど、家康の信任は厚かったようです。秀忠の五女和子(まさこ)が後水尾(ごみずのお)天皇の中宮として入内した際の守役を務めた功績で従一位民部卿を賜り、秀忠没後出家して雲光院となり、「一位尼」「一位様」と呼ばれました。ちなみに、来年のNHK大河ドラマ「真田丸」では斉藤由貴さんが演じることになっているそうです。

 最後は駿河大納言。徳川忠長(ただなが、1606~1634年)、つまり秀忠の三男(家光の弟)です。秀忠や母江(ごう)〇春日局屋敷ほか図.jpgは病弱だった兄・竹千代(家光)より才気煥発な国千代(忠長)を寵愛したことから、両者それぞれを担ぐ家臣団内の派閥による次期将軍の座を巡る争いが起こりました。前記のように、春日局が家康に直訴して竹千代後継指名で決着したとされます。

 忠長は1623年に家光の将軍宣下と一緒に権中納言に任ぜられ、翌年には駿河と遠江の一部を加増され、計55万石を領有。1626年に権大納言となりましたが、その後、素行不良ということで(本当に悪かったのか、言いがかりか・・・)領国全てを没収され、高崎(群馬県)へ逼塞の処分が下され、最後は幕命により自刃しました。享年28。短い人生でした。幕府の権力確立に向けた秩序(世襲ルール)の形成過程での悲劇ということでしょう。

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 パレスサイドビルを出て千代田区役所前の清水門(しみずもん)へ。この門の名前を聞いて忘れてならないのが、春日局(かすがのつぼね)です。

 家康が江戸城を築いた初期の北の丸は、まだ竹藪を整備し関東代官となった内藤清成の屋敷や旗本屋敷に割り当てられ、代官町と呼ばれました(今の首都高の代官町がそれです)。その後、お城の整備が進むと、徳川家近親者らの屋敷地として利用されてきました。明暦の大火(1657=明暦3年)以降は屋敷が取り払われてほぼ空き地(防火帯)のまま幕末を迎えたようです。

〇春日局屋敷ほか図.jpg 明暦の大火前の地図が築土神社(千代田区九段北1)のホームページに掲載されています=㊧㊤の春日ノ局(春日局)をはじめ、が「英勝院(えいしょういん)殿」、「天樹院(てんじゅいん)殿」、「一位(いちい)様」、「駿河大納言殿」などの屋敷です。現在の科学技術館、皇宮警察官舎あたりですね=㊧㊦の現在の地図参照

 春日局(1579~1643年)は3代将軍家光の乳母としての威光を背に大奥で権勢をふるいました。

 築土神社は春日局に1ページを割いて紹介しているのですがなぜでしょう。それは、築土神社の氏子だったからなんです。

 神社の歴史は、2012年2月に当ブログで書いた平将門の話にもありますが、ザッと振り返りましょう(神社ホームページより抜粋)。

 940(天慶3)年、京都にさらされた平将門公の首を密かに持ち去り、これを現在の千代田区大手町周辺の観音堂に祀って津久戸明神と称したのが始まり春日局屋敷ほか 現在.jpgで、江戸城築城後の1478(文明10)年には、太田道灌が江戸城の乾(北西)に社殿を造営。江戸城の鎮守神に。1552(天文21)年には、上平河村内の田安郷(現在の九段坂上からモチノキ坂付近)に移転。地名を冠して田安明神とも称し、山王(日枝神社)、神田(神田明神)とともに江戸三社の一つに数えられました。1589(天正17)年の家康江戸入城で城拡張(二の丸等築造)となったため、下田安牛込見附米倉屋敷跡(現在のJR飯田橋駅付近)へ、さらに1616(元和2)年には外堀拡張のため新宿区筑土八幡町へと移転し、築土明神と改称。明治維新後の1874(明治7)年、氏子の請願により天孫降臨の神・天津彦火邇々杵尊を歓請し築土神社と改称。1945(昭和20)年4月に空襲で全焼し、翌年、千代田区富士見へ移転。さらに1954年、九段中学(現・九段中等教育学校)建設のため現在地へ移転――ということです

同じホームページの「春日局」の紹介は次のようにあります。

 1634年(寛永11年)4月17日に記された『要用雑記』に次のような記述がある。「津久戸は御城内氏神につき、大御台様御繁昌の時分は春日殿御取次ぎを以って御上様方へ御札御守、差上げ候」。

 つまり、津久戸(築土神社)は江戸城(北の丸)の氏神(守り神)であったことから、「大御台様」(秀忠の正妻・江)が御繁昌の時には「春日殿」(春日局)を通じて築土神社のお守りを御上様方(将軍の妻子)へ届けたと書かれている。

 有力者をがっちりつかんで、神社も隆盛を極めたということでしょう。

 このほかの英勝院などの話は、また後日。

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 パレスサイドビルを出て江戸城・清水門(しみずもん)への散歩で、門を入って北の丸公園へと登る石段を、先日紹介しました。「雁木坂(がんぎざか)」です。

 ところが、雁木坂は江戸城だけじゃないよ、と、教えていただきました。早速、ネットでググると、出てきますね。

 身近なところでは千代田区神田駿河台1丁目=写真㊤。JR御茶ノ水駅の南、靖国通りの方へ100メートルほど、御茶ノ水杏雲ビル・駿台予備校お茶の水1号館と日大歯学部病院・杏雲堂病院の間の道で、「小桜通り」とも呼ばれます=地図参照。今は石段がありませんし、とてもなだらかです(写真の左側、地図の下方向にむかって靖国通り方面に下りて行く坂がよほど急です)。

 千代田区教育委員会が設置した標識には次のようにあります。

 「今はその面影もありませんが、むかしは急な坂で雁木が組まれていたといいます。雁木とは木材によりはしご状または階段状に組んで登りやすくしたもので、登山道などに見られます。『新撰東京名所図会』には『駿河雁木坂 地図.jpg台西紅梅町と北甲賀町の間を袋町の方に行く坂を雁木坂と称す。慶応年間の江戸切絵図をみるに、今の杏雲堂病院の前あたりに『ガンキ木サカ』(原文ママ)としるされたり』と書かれています。」(慶応年間は1865~1868年)

 次なる「雁木坂」は港区麻布台1丁目。こちらは今も石段なので風情があります=写真㊧㊤。ただ、港区が設置した標識では、特に歴史的経緯については触れられていません。

●雁木坂・麻布台.JPG 最後にもう一つ。全国的にメジャーなのは、むしろこっちでしょうか。天下の大阪城です=写真㊧㊦

 ここの標識にも詳しく書いてあります。

 「大阪城の本丸を取り囲む二の丸は北が低く、内堀の東にあたるこの通路は南から北にかけて急な下り坂となっている。江戸時代ここは長い石段(雁木)だったことから雁木坂とよばれ、坂を上りきった所には上部に部屋を持つ雁木坂門があり、脇には通行を監視するための番所が置かれた。明治維新以後の陸軍管轄時代にはダラダラ坂とも呼ばれた。●雁木坂・大阪1.jpg現在、盛土によって坂の勾配はゆるやかになっている。」

 「雁木坂」は、固有名詞とじゃなくて普通名詞ってことですね。

 「日本坂学会」という民間団体があり、ホームページ(http://sakagakkai.org/)にもこの3つの雁木坂が全国の坂のリストに収められています。

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 9月29日、30日にパレスサイドビル西口玄関前で、献血バスによる出張献血を実施し、2日間に計111人に来場いただき、95人(400ミリリットル88人、200ミリリットル7人)の方に献血していただきました。ご協力、有難うございました。

 当ビルでの最近の献血実績(受付人数・採血人数)は2013年9月9日が63人・54人、2014年4月4日・7日が2日間計で94人・81人、2014年9月8日47人・38人、2015年2月3日が72人・54人などとなっていました。今回は2日間で100人を目標にしていましたが、受付人数は100人を突破し、献血者も3ケタに迫りました。ちょうど桜満開で皇居乾門からの通り抜けに重なった中で2日間実施した2014年4月を、今回は大幅に上回りましたから、"新記録"といっていいでしょう。

 近年は災害が多いこと、企業の社会的責任に関する意識の高まりなどから、多くの個人が、また企業や事業所が、献血に積極的に協力してくださいます。今回は、毎日新聞社がパレスサイドビル勤務の社員に、人事部から一斉メールで献血の実施を知らせていただいたほか、MS&ADシステムズ㈱さんも、総務部の担当の方が献血実施を周知するメールを社員さんに送ってくださいました。私たちが知らないところで、同様の対応をしていただいた企業・事業所さんも多いと思います。(そうした取り組みがあれば、ビル担当者にも是非お知らせください)

 多くの方の支援で、慢性的な血液不足が少しでも解消されることを祈るばかりです。 今回、献血できなかった方も、次の機会には、可能ならばよろしくお願いします。

 また、今回は初めて、骨髄(こつずい)移植のドナー(提供者)登録に関する相談・受付窓口を設置しました。こちらには2日間で12人受け付け、うち7人の方がドナー登録してくださいました。献血者の数からすると、ちょっと少なめでしょうか。ドナーは、登録している人が満55歳に達すると登録が自動的に解除されるため、新規登録が減ると、漸減してしまうため、新規登録、とりわけ若い方の登録が期待されています。

 ドナー登録については、次回以降、宣伝にさらに努めたいと思います。

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