2015

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石垣番外 江戸城・百人番所

 パレスサイドビルを抜け出して江戸城(皇居)散歩。このところ、中之門を詳しく紹介してきました。なにしろ、江戸城で最大級の35トンもの巨石が使われ、しかも表面がきれいに加工されていますから、さすが、中枢。

 さて、中之門の手前に、大きな、というか、長~い建物がありますね。「百人番所」です。

 「番所」とは、警備の詰所のこと。まあ、検問所といった方がよさそうです。

 長さ50メートルを超える建物は、数ある城内の番所でも最大規模で、鉄砲百人DSC_3474.jpg組と呼ばれた甲賀組、伊賀組、根来(ねごろ)組、二十五騎組(廿五騎組)の4組が交代で、昼夜を問わず警護に当たったことなどが、案内板にも書いてあります=写真㊨。各組には各100人の同心(どうしん)が配属されていたところから百人番所の名が生まれたそうです。

 4組の名前を見ると、「忍者」が思い浮かびますね。甲賀組は滋賀県南東部(甲賀市)の集団、伊賀組は有名な服部半蔵が率いていた伊賀上野(三重県上野市)の集団。家康により召抱えられ、諸大名の内情を探ったり、江戸城下の治安を警護したりしました。根来組は紀州根来(和歌山県那賀郡)の根来寺の僧兵を中心とした鉄炮軍団がルーツで、秀吉に敗北した後、家康に召抱えられました。二十五騎組は、もともとは黒田官兵衛が家臣の中から選んだ精鋭軍団で、後藤又兵衛や母里太兵衛などもいたようで、一般には「黒田二十四騎」と呼ばれることが多いそうですが、官兵衛の嫡男長政を含め「二十五騎」とも呼ばれました。長政は家康の信任厚く、この流れを引き継いで江戸城警備に抜擢されたのです。

 4組は幕府直属、若年寄(老中に次ぐ重職)配下の独立部隊として編成されました。将軍が寛永寺や増上寺に参拝する際には山門を警備するなど、一種の親衛隊だったのでしょう。

 組屋敷は、甲賀組が青山、伊賀組が大久保に、根来組が市ヶ谷、二十五騎組が内藤新宿にありましたが、これらは全て甲州街道沿い。江戸城が万一攻められて落城するような事態になったら、将軍が大手門の正反対に位置する半蔵門から抜け出し、内藤新宿から甲州街道を通り、八王子を経て幕府の天領である甲府に逃れる手はずになっていたといい、そのための屋敷の配置だったとか。

 ちなみに、大久保の近くに「新宿区百人町」という地名がありますが、これは伊賀組屋敷があったことに由来し、新大久保駅前にある「皆中(かいちゅう)稲荷神社」の名も、鉄砲の名手たる伊賀組の「みんな的中」からきていると、神社のホームページ(http://kaichuinari-jinja.or.jp/)にありました。

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