【2015年4月】のアーカイブ

 パレスサイドビルで開催中の「第7回鯉のぼり祭り」。地下1階・1階のアーケード街中央廊下の吹き抜けに、鯉のぼりとともに2流(りゅう)の「武者のぼり」がお目見えしています。幅75センチ、長さ7.2メートルの大きさはなかなかの迫力で、東西の夢の階段の真上にそれぞれ1流ずつ。階段を登り降りする人に覆いかぶさるように吊るされています。

 武者のぼりは鯉のぼりと同様、岐阜県の無形文化財に指定されている郡上八幡の紺屋「渡辺染物店」の渡邊庄吉さんが400年以上前から伝わる郡上本染の技法で染め抜いたものだということは、17日の当ブログで書きました。今日は、武者のぼりの絵柄の話です。

 東側ののぼり=写真㊤=は何となくわかりますよね。そう、白頭巾の上杉謙信(写真の上側)と兜をかぶった武田信玄(写真の下側)です。川中島の合戦で、謙〇DSC_5362まる小さい.jpg信が信玄の本陣に切り込んだ有名な場面ですね。堂々たる人生を願い、寿ぐのぼりとして人気だそうです。

 西側ののぼり=写真㊧=は何の場面でしょうか? 渡辺染物店のホームページを見ると、出ていました。豊臣秀吉が毛利攻めの折、備中・高松城を水攻めにした様子だそうです。なるほど、お城が青い水に囲まれていますね。馬印は千成瓢箪でしょうか。3人の人物は、中央が秀吉、下に加藤清正、右奥、秀吉の背後霊のように描かれているのは福島正則とのこと。この城攻めの最中に本能寺の変が起こり、秀吉の「中国大返し」へと続くのは、昨年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」でもハイライトシーンの一つでした。こちらは、立身出世を呼ぶおめでたいのぼりとして、やはり定番の絵柄とか。

 さて、川中島の合戦の方にはもう一人描かれています。写真㊨㊦は一番上の川中島の絵からアップにした真中の人物です。渡辺染物店のホームページにも出ていなかったので、推測させていただきます。信玄と同じ右に向き、左向きの謙信に対峙していること、黒くて長めの棒(恐らく槍の柄)を握っていること、兜はかぶっていないことから、信玄の家来、原大隅守虎吉だと思われます。

 おさらいをすると、川中島の戦いとは、12年余りの間に5回に及んだ両雄の戦〇DSC_5348トリ原虎吉小.jpgいの総称で、実際に川中島で戦闘が行われたのは、第2次の犀川の戦いと第4次の八幡原の戦いだけ。このうち最激戦が1561(永禄4)年の第4次で、一般に「川中島の戦い」と言った場合、これをさすことが多く、謙信・信玄の"一騎打ち"もこの時でした。

 この戦いでは上杉軍が死者3400人余り、負傷者6000人余り、武田軍は死者4600人余り、負傷者1万3000人余り、両軍合わせて3万2000人のうち83%にあたる2万7000人余りが死傷するという戦国時代屈指の激戦で、信玄の弟信繁や有名な軍師・山本勘助も討ち死にしています。

 さて、"一騎打ち"があったのか否かは諸説あるところですが、言い伝えでは次のようになります。謙信が太刀を振りかざし信玄本陣へ単騎乗り込み、信玄に馬上から斬りつけると、信玄はとっさに軍配で受け止めたが腕に負傷。このとき、信玄の「中間頭(ちゅうげんがしら)」の原大隅守が持っていた信玄の槍を繰り出しました。突き損じたものの、謙信の馬の膝を打ったため馬が跳ね上がって駆け出し、信玄は九死に一生を得た――というお話 です。武者のぼりの絵柄と符合するでしょ。

〇信玄・謙信の銅像2.jpg この信玄の本陣が置かれたとされる場所が、現在の「八幡原史跡公園」(長野市小島田町)です。一角に建つ銅像は両雄1対1=写真㊧㊤=で原大隅守の姿は見られませんが、同じ公園内に「執念の石」があります。主君の危機を救いながらも、謙信を討ち損じた無念さから傍らの石を槍で突き通したという言い伝えで、確かに穴があって、槍で刺したように見えるような・・・=写真㊧㊦

 ちなみに、「中間」とは江戸時代には非武士身分で、脇差1つを挿し、時には戦いにも〇執念の石.jpg参加し、平時は雑用を行い、また、大名行列で奴(やっこ=槍や挟み箱などを持って行列先頭を歩く)の役を務めたといいますが、元々は戦闘員である足軽(士分)と家事労働をする下男の中間という意味だったようです。ただ、大名には大名の、家臣には家臣の「中間」がいて、戦では主人の身辺に付き添って武器を渡したり馬の世話をしたといいますから、実質的な戦闘員だったのでしょう。まして、信玄直属の中間の「頭(かしら)」であれば、それなりの立場だったのかもしれませんね。なにせ「大隅守」という立派な名前でもあるし・・・。

 この戦いの後、大隅守は功を認められ、会村(長野市篠ノ井会)あたりに300貫の知行を与えられたとい、墓と伝えられる史跡もあるそうです。少なくともこの戦いの後は正式な武士ということでしょう。武田家滅亡後は徳川家康に仕えたそうです。

 パレスサイドビルでは地下1階・1階のアーケード街中央廊下の吹き抜けの鯉のぼりと武者のぼりが、通る人々の目を楽しませています=写真㊧㊦

 そういえば、鯉のぼりはいつごろできた風習なんでしょう。

 ということで、鯉のぼりの由来をちょっと調べてみました。日本で風習として現れ●DSC_5382.jpgたのは江戸時代になってからのようです。最初は武家の行事だったものが、江戸時代後半には経済力をつけた町人にも広がったということです。の絵は江戸後期の有名な浮世絵師、北川広重(17971858年)の「名所江戸百景」の48番目、「水道橋駿河台」に描かれた真鯉です。富士山を仰いで泳ぐ姿が見事です。向こうの方にも2匹見えます。

 この絵のように、元々は真鯉だけでした。それが、明治時代以降、緋鯉も飾られるようになり、さらに子鯉が加わるのはかなり後のこと。「屋根より高いこいのぼり」で知られる童謡「こいのぼり」の歌詞は「ちいさいひごいは こどもたち」とあります。この歌の初出が1931(昭和6)年ですから、少なくとも昭和初期の時点では青い子鯉はなかった、緋鯉もお母さんではなくて子ども、「黒&赤=夫婦」とは認識されていなかったのでしょう。男児を祝う端午の節句とはいえ、男尊女卑の表れかもしれません。

 時代が進み、戦後になって鯉のぼりも「家族」のイメージが確立していったということでしょうか。真相はよくわかりませんね。ネットで見つけた情報なので現物は未確認ですが、1982年音楽之友社発行の教科書「しょうがくせいのおんがく1」に、カッコ付で2番として、「・・・おおきいひごいは おかあさん/ちいさいまごいは こどもたち・・・」という歌詞が載っていたそうです。

 パレスサイドビルの「鯉のぼり祭り」は59日(土)までの予定です。430日(木)、51●せんべい2小.jpg日(金)には地下1階、1階の名店会のお店を利用した先着4000人に、名店会オリジナル煎餅=写真㊨=をプレゼントします。

 地下鉄竹橋駅改札口を出てパレスサイドビルのエスカレーター、西エレベーター塔への入口の照明がLED化されました。まずは売店前の様子を見比べてくださ●●DSC_4845小.jpgい。写真㊤が現在、写真㊨は3月までの様子です。

 工事は3月末までに完成したので、お気づきの方も多いと思います(毎日、何気に通っているためか、「え~、そうだったっけ?」なんて言う友人もいましたが・・・)。

 写真の通り、かつては四角い蛍光灯のライトが2列並んでいましたが、今回の工事でビルに入る直前は丸いダウンライトに、地下鉄改札に近い方は四角いLEDになりました。LEDはやっぱり明るいです。併せて天井を改修してピッカピカにしたほか、周囲の黄色いタイルも、黒いつや消しの「メラミン不燃化粧板」の壁に生まれ変わりました。上の写真はちょっとわかりにくいですね。下のBefore・Afterをご覧ください。

 

 あと、西エレベーター塔への入り口の写真㊦も見てください。どうでしょうか。シックになったと思いませんか。

 今回の工事は、経年劣化でかなり傷んできたライトを美しくするとと▼▼DSC_4865小.jpgもに、蛍光灯▼▼DSC_5288トリ小.jpgからLED に替えて省エネも図ったもの。同じ期間、西玄関や一ツ橋口(白山通り側出入口)などビル外周、高速道路下のライトのLED化工事も実施しました。

 少しでも快適なビルにすべく、引き続き様々な改修を進めていく予定です。

 悪夢です。ビルじゃありません。広島カープは1年前の今頃は絶好調で、一時はセ・リーグ首位にも立ちました。今年は下馬評が一段と高く、優勝候補に挙げられてもいたのに・・・。

 でも、まだ始まったばかり。鯉の季節5月5日に向かって挽回してほしいところです(個人的な願望)。

 パレスサイドビルでは、カープの成績には関係なく、今年も地下1階・1階のアーケード街中央廊下の吹き抜けに、恒例の鯉のぼりと武者のぼりがお目見えしています。今週日曜に設置したばかり。館内のテナントで働く皆さんはもちろん、通勤通学の途中にビルを通る近隣の方などの目を楽しませています。

 館内の飲食店や商店の有志で組織する「パレスサイドビル名店会」(会長・島田幸正「ジャポン」店長)が、来館者に季節感あふれる日本伝統の風習に触れ てもらおうと、6年前から毎年「鯉のぼり祭り」を開〇DSC_5344トリ小.jpgいているのです。今年は第7回目になります。

 中央吹き抜け部分には吹き流しと黒い真鯉、赤い緋鯉、青い子鯉が泳ぐように配置されています。東西の夢の階段の上には、長さ7メートルもの武者のぼりが飾られ、吹き抜けの東西の壁にも、東側2枚=写真㊧㊤、西側1枚=写真㊧㊦=の花柄や羊な〇DSC_5347トリ2小.jpgどを描いた染め物。さらに、名店会加盟各店の入口には小さな鯉がつりさげられています。

 これらは、奥美濃の小京都と呼ばれる岐阜県・郡上八幡に伝わる「郡上本染」。県の重要無形文化財に指定されている紺屋「渡辺染物店」の渡邊庄吉さんが400年以上前から伝わる技法で染め抜いたものです。もち米糊で輪郭大豆汁にとかした顔料で記事を染める「カチン染め」という技法で、吉田川を流れる冷たい雪解け水での「寒ざらし」作業が色を引き締め、褪色しない製品を産むのだそうです。x第7回・鯉のぼり祭り小.jpg

 鯉のぼりの飾りは59日(土)までの予定です。430日(木)、51日(金)には地下1階、1階の名店会のお店を利用した先着4000人に、名店会オリジナル煎餅をプレゼントします。のポスターを目印に、是非ゲットしてください。

 ちょっと前ですが、パレスサイドビルに珍しいお客さんがみえました。

 な~んでしょ? 3月28日(土)の朝9時55分ごろに発見。場所はビル北西の出CIMG0815トリ.jpg入口の脇、高速道路下です。写真㊤のガラス窓は北口出入口の警備員が詰めている部屋。その前のレンガの壁の上を歩く姿です。

 「タヌキか」――ビルの警備員はそう思って、とにかくカメラのシャッターを切ったそうです。けっこる、上手に撮れていますね。近くのちょっとくぼんだ所にも入ったりしていたそうです=写真㊨。人間にきがいが及ぶような事態を防ぐべく、警備員がやや離れて警戒していましたが、10時20分ごろ、高速道路下の区道を横切り、NTT一ツ橋ビル・住友商事竹橋ビルの方に姿を消したということです。

 さて、この珍客の表遺体は何でしょう。「東京タヌキ探検隊」(http://tokyotanuki.jp/comparison.htm)というサイトによると、タタヌキ絵.jpgヌキはア ライグマ、ハクビシン、ニホンアナグマなどと似ているようです。珍客をサイトのイラストと比べると、アライグマ、ニホンアナグマはだいぶ違うので、タヌキとハクビシンを比べてみました=写真㊧㊤と㊦。どうですか? おなかの太り加減、なにより尻尾がとんがってるか丸くなっているかを見ると、たぶんハクビシンですね。ちなみに、タヌキはネコ目イヌ科タヌキ属、ハクビシンはネコ目ジャコウネコ科。どちらも基本的に夜行性で、昼間は巣穴などで休憩していることが多いそうです。今回は寝ぼけて出てきたのでしょうか。

 どこから来たのでしょうか。やはり皇居でしょう、きっと。

 「皇居内に移入されたハクビシンとタヌキについて」(遠藤秀紀・東京大学総合研究博物館教授ほか)という論文に、次のような要約が出ていました。(2000年、もとは英語の論文ようで、日本語の要約がネット上で読めます=http://ci.nii.ac.jp/els/110004313491.pdf?id=ART0006482129&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1428909336&cp=)

「皇居におけるハクビシンとタヌキの人為的定着が推測されるため、宮内庁庭園課および皇宮警察より聞き取り調査を行い、糞の収集と分析を進めた。ハクビシン絵.jpgまた、都心部でのハクビシン捕獲例を検討した、過去およそ2年半にわたり、皇居内の広い範囲で、両種の目視情報が多数確認された。ハクビシンに関しては,目視情報は確実な写真証拠を含み,また皇居に隣接する千代田区の市街地においても2頭の捕獲例があった。糞分析では,内容物に大量の植物繊維とカキの種子を含むため、目視がイヌを誤認していることを否定できるとともに,ハクビシンやタヌキが生息する可能性が示唆された。糞便の直接法および浮遊法鏡検により、オーシストおよび虫卵は確認されず、寄生虫感染は証明されなかった。なおタヌキに関しては、目視情報以上に確度の高いフィールドサインは得られなかった、以上の結果は、ハクビシンが皇居内に生活することを確実に証明している。またタヌキの定住に関しても可能性を示唆しているといえよう。なお両種の場合、皇居での定住は、伴侶動物として都心へ人為的に移入・放獣されたことに起因すると推察される」

 ハキビシンが皇居に生息するのは間違いなさそうですから、きっと、その1頭がでてきちゃったんでしょうね。

 ちなみに、この論文は「人為的定着が推測される」と書いていますから、ペットとして飼われていたものが繁殖したという見立てでしょう。ただ、いつごろから住みだしたのかは、他の記録を見ても不明のようで、誰かが持ち込んだのか、逃げて定住したか、近郊からいつしか自然に移り住んだのか、確定的な記録はないみたいですね。

 いずれにせよ、このハクビシン、怖かったでしょうね。その時の心中を想像すると、心から同情せずにはいられません。無事、巣に戻れましたようにと、祈るばかりです。

 平成の大横綱・白鵬が8日、「白鵬関優勝写真額と写真展」(毎日新聞社、毎日ビルディング主催)開催中のパレスサイドビルにやってきました。ビル内オフィスにお勤めの方を中心に約300人が一目横綱を見ようと集まり、「よこづなぁ~」の掛け声や拍手がわき上がり、大いに盛り上がりまし150408①DSC_5281トリ小.jpgた。横綱も歓声ににこやかに応えていました。

 多くのファンが今か今かと待ち構える中=写真①、横綱は8日正午過ぎ、ビル西口玄関に到着。毎日新聞の朝比奈豊社長、毎日ビルディングの羽田恒夫社長らの出迎えを受け、玄関前で記念撮影をした150408②DSC_5292トリ小.jpg後、玄関の階段を上がり=写真②、ビル内へ=写真③1階の廊下を歩いて、写真展会場の「アートサロン毎日」に入りました。廊下を歩いた距離は15メートルほどと、ごく短い距離でしたが、多くの人が廊下を埋め、大歓声の中をゆっくりと歩きました=写真④。会場内では写真展を見学するととも150408③DSC_5294x小.jpgに、今年初場所での33回目の優勝を記念して毎日新聞が5月場所で贈る優勝額の前で記念撮影=写真⑤

 見学を終えると、エレベーターに向かう途中でも両側人垣をかき分けるように歩き、差し出150408④DSC_5296x小.jpgされる手へのハイタッチにも気さくに応じるサービスぶりに、「触っちゃった~」と大喜びするファンの声があふれました=写真⑥

 この後、ビル5階の毎日新聞の本社を訪ね、朝比奈社長らと懇談。午後037分、毎日新聞の社員数十人が拍手と歓声で見送る中、ここでもハイタッチに笑顔で応じ=一番上の写真、本社を後にしました。

 とってもご機嫌で明るい表情が印象的でした。

 もっともっと優勝して、また遊び来てくださいね!!

 

 「白鵬関優勝写真額と写真展」(毎日新聞社、毎日ビルディング主催)はパレスサイドビル1階西側の「アートサロン毎日」で大好評開催中ですが、なんと、明日8日、横綱白が自ら訪れるそうです。ビル内のポスターには「白鵬来る」の赤い文字が加えられ、通りかかる人にPRしています。

 横綱は8日正午に西口玄関に到着予定で、そのままアートサロンの会場に向かう予定です。その前後を含め、1530分は会場に入れなくなるので、ご理解ください。

 言うまでもなく、大横綱・大鵬を超える34回の幕内優勝を記録した白鵬。その33回目の優勝となった初場所の優勝額の現物が、今回、特別に展示されています。縦317メート ×2265メートル、重さ59キロ。さすがの迫力。その前での撮影ができるので、多くの来場者が記念に撮っています。

 8日には横綱・白鵬も自身の額の前でポーズを撮るのでしょうね。

 西玄関からアートサロンの間は短距離ですが、ちょうど昼休みの時間帯になりますので、かなりの混雑も予想されます。ナマ白鵬の見物にお見えになる場合は、十分ご注意ください。

 新年度に入って2週目。1年前は消費税率の引き上げで、結構な騒ぎでした。今年は消費税は上がりませんが、円安に伴う輸入物価上昇のためでしょうか、ケチャップや乳製品など食料品を中心に値上げがありました。

 まあ、いろいろあっても、「新」がつくと、気が引き締まりますね。「新」入社員を迎えた会社も多いでしょう。中には組織改編などで「新」社名になったところもあります。

 そうなると、ビルも対応が必要です。そう、テナントさんの名前を書いた「館内案内表示板」を変える必要があるのです。パレスサイドビルでは、東5階の旧「日本錬水株式会社」が4月1日を期して「三菱レイヨンアクア・ソリューションズ株式会社」に社名が変わり、毎日新聞社から出版局(西3階)が独立して「毎日新聞出版株式会社」になりました。オフィス系テナントの場合、各階のエレベーターホールを含めて館内に案内板が12枚あるので、これを変えるのは結構、大仕事です。

 偶然ですが、今回変わった2社はどちらも「ま」行なので、1階東のトイレ脇の案内板の場合、「ま」の字のグレーの文字板すぐ下に両社が入りました。

 「なんだ、それなら変更作業は簡単だったじゃん」なんて思っている人、いませんか? そうでもないんですよ。実は、「ま」行は下の方に余裕がなく、やむなく「ま」の字の文字板を上方に動かして2社分のスペースを確保したんです。

 ちなみに、三菱レイヨンアクア・ソリューションズは、旧日本錬水に、親会社である三菱レイヨン株式会社から水処理膜と水処理装置等の販売事業のほとんどを移管し、日本錬水の社名を変更したということです。

 毎日新聞出版は毎日新聞社が発行してきた「サンデー毎日」「エコノミスト」などの雑誌や単行本の発行を引き継ぎます。

 いずれも、厳しい経済環境、競争環境の中で、一層の事業拡大を目指しての組織改編に違いありません。社名が変わらない多くの会社も含め、当ビルのテナントの皆さんの事業がますます栄えることをお祈り申し上げます。

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